第十一話 Nonno Noskaathya
ノノ・ノスカーテャという、一人の少女の物語。
生まれはフェルタッタ。冬にはひどく雪が降り、温かくなると新緑に包まれた平原が顔を出す。
私の住んでいた場所はリデルハイナ地方。不凍港が面する、比較的暖かい地方であった。
数十年程前に厳格な規則や慣習を定めることがタブーになった。
理由はメーレルハントから始まった新たな価値観によるものである。
「自由主義」
それはある程度の自由を規定するものではあり、その自由とは、義務を果たした上で存在するものと昔は言われていた。
しかしながら、その自由主義は、個々の生存へ課される義務が必要最低限度を大幅に超過したものであった。
生存する為の必需品は、食と不動産のみではなくなった。衣類、光熱、教育、そしてそれらと付き纏う諸々の税の概念が、次第に規定されていった。
それを得るために働く。これが勤労の義務である。だが生存に必須なもの達は全く安いものでは無かった。
労働する様を見てしまえば思うことだ。社会の奴隷であり、生きるために自由を捨てている、と。
今の社会では、我々が国を支えて生きていくのではなく、国が我々を支えて生きるべきという思想がよく浸透している。
それはメーレルハントから発祥した思想であった。彼の国はある理由から大量の金銭が必要となった。だが税により全てを頼ろうとするとクーデターの勃発により治安は崩壊する。
では国家が働いて稼ごう。そう思い立ち、実行。結果彼の国は大量の金銭を集め切ってしまった。更に、超過の収入で税はより減少し、人々が生存する為に必要不可欠な義務は同様に減少した。
勤労の義務が形骸化して十数年。その国家は、幸福を求める国家へと転身していた。彼の国は「厳格な規則や慣習を定めることは悪である」と宣言を行った。
数年でその思想は周辺国家へと浸透することとなる。フェルタッタでもそうであった。
それ以来も、やはり文化としては残るもので、私はそんな厳格なる家の下に生まれた一人の少女だった。
私には、姉が居た。
彼女の名はリーン・ノスカーテャ。彼女もまた厳しく真面目な姉である。
親や姉が厳しく真面目なもので、私もそのような価値観を育まざるを得ない環境であった。
私が十一の頃。父が庭に植えていた林檎を1つ、盗んだ少年が居た。
彼を追い、連れてきて父へ謝罪をさせるためその少年を追いかけた。
彼の足は速かった。
ずっと追いつけず、暫く追いかけていると雪が降り始めた。
そうして帰り、何もなく一日を終えた。非常に悔しかった。
翌日、私は彼を探しに出掛けた。
あの舐め腐った態度。どうしても許せない。
そうやって少し歩いていると、気が付けば線路の上に立っていた。
すると手を引かれ、線路から外へと出された。
木の杭に躓きかけた。
「何をするんですか!」と言い終わらない内に列車がやってきて、豪速で走り去っていった。
手を引いた少年は昨日の林檎泥棒だった。
「助けられました。でも父へは謝って下さい。」
「まーまーまー。」
私は少年を睨みつけつつ、共に少し歩いていた。
彼はそうして目の前の菓子屋へ入っていき、幾つか菓子を盗んできた。
「ほれ逃げろー!」
「なっ……!」
私は少年の腕を引き、止めようとしたが、力が足りず逆に引っ張られた。
「そうやって止めるとお前も犯人にされるぞ!」
「あああ。やってしまった。」
逃げ切ったが、私は物凄い罪の意識に苛まれていた。盗みをやった訳でもないのに。
だが彼は私に向かい笑顔で菓子を渡してきた。
最悪だ。食ってしまえば同罪か。
銀包装が剥かれたそれを押し返し、そそくさと家へ帰った。
彼は名をケーヴと言った。年齢は同じくらいに見えた。
定期的に、私の目につく所で彼が顔を出す。
一切興味は無かった。見かけては腹が立ち、手を振ってくる彼を無視していた。
しかし彼は私のことを、これまで会って来た全ての人間とは異なる接し方で接してきた。
定期的に顔を出す彼に呆れ、「もう来るな」と伝えるため近づくと、また手を引っ張られた。
呆れながら付いて行った。すると彼は私を秘密基地へ招き入れ、ゲーム機を遊ばされ、コーラを飲まされた。
最初こそつまらなかったが、何度もそうしている内に、ゲームの楽しさやジュースの美味しさが心に沁み込んでいった。
十三歳の頃、父親が私に竜憑きの稽古を始めた。
私は、姉よりもマナの許容量が大きい。その為無理が叶う。姉よりも簡単に竜憑きの基礎を取得できた。
父はそんな私を見て、姉よりも私に対し良くしていた。
私の十四の誕生日から2日前の事であった。
私は、またケーヴと会った。
彼は私の誕生日と為にと、ぬいぐるみを持ってきてくれた。
とても可愛い、熊のぬいぐるみであった。
彼は何度もこっぴどく叱られ嫌になったのか、盗みはやめたと言っていた。
「これはどうやって手に入れたんですか。」
「ちゃんと買った物だよ。ケチ臭い親からの小遣いを貯めてさ。」
「なら良かったです。」
ケーヴは笑顔だった。
私は、それから暫く話したりして気分良く一日を終えた。
そうして、自分の部屋の目につかないところへぬいぐるみを大切に隠した。
翌日、起きると姉は私を強引に広間へ連れてきた。
何が起こったのか解らない私は混乱しており、また広間にはケーヴが座っていた。
「ノノが、こんな奴と仲良くしていました。」
どんな人と仲良くするくらい良いじゃないか。そう思いながら姉の話を聞いていた。
姉は、ケーヴが盗みを働いていたこと、私を誑かしていたこと、盗品を何度も私とやり取りしていたことを話し出した。
彼が盗みを働いていたのは事実だが、残りの2つは全くの嘘だ。
盗品を口に突っ込まれたことはあれど、盗品は自分からは一度も受け取らなかった。
だが酷く叱られ、彼とはもう二度と会わせないと言われた。
「あーあ。」部屋の窓に顔を当て、遠くを眺め黄昏ていた。
姉が私を気に入らなかったが故に陥れたんだろう。
いつしか真面目な私がどこかに消えてしまったように感じた。
「こんな家に居るのも嫌だな。」気付くと私の腕は勝手にぬいぐるみを取り出し、荷造りをしていた。
12月2日。私の誕生日である。
陽の登る前の早朝である。私は背中にリュックを背負い、吹雪の中ゆっくりと歩きだした。
ケーヴの秘密基地に辿り着き、手紙を置いた。ここから暫く線路沿いに行けば駅があるだろう。
遠く、遠く。酷い家族の眼の届かない場所へ行きたい。家族の事は特段嫌いという訳ではなかった筈だったが、なんだか心から嫌気が差してしまったのだ。
早朝に起きたとは言え、ストレスで殆ど眠れなかったから、徹夜したと言っても過言ではない。
電車に揺られていると気持ちよく、眠ってしまった。
この揺れが、私を不自由から遠ざけた。
ケーヴへ送った手紙にはこう書いた。
「本当に、本当に、ごめんなさい。家族の言う『もう二度と会わせない』の言葉は本当でしょう。貴方から近付くことも、私から近付くことも、絶対に許してはくれない筈です。そこで、私は家族から距離を置こうと思います。長い時間距離を置けば、私の事など忘れているに違いありません。もし家族が私のことを忘れた時、また一緒に会ってお話をしましょう。」
私は姉から盗んだ現金と私のお金以外は持ち合わせていなかった。
ケーヴと遠くへ逃げて、生きていくには少々荷が重く感じた。故にケーヴは連れていかなかった。
2日か3日、ずっと電車に揺られていた。電車移動は思っている以上に高く、交通費が痛手となった。そう、移動だけでお金を使い果たしてしまったのだ。引くに引けない状況へ陥ったそこは、メーレルハント聖域区のはずれであった。
とりあえず駅から降りた。ここからどうすれば良いのか解らず、当てもなく歩いていたら、狭い畑のある邸宅が目に入った。
だが種が蒔かれたばかりなのか、邸宅の畑には何も実っては居なかった。
お腹が減り、何かを盗もうとしていた。
そう、旅糧を補充するお金も無い。溜息を吐き、その邸宅の傍で雑草を食べていた。
「誰?」
家の持ち主らしき緑髪の少女が私に語り掛ける。
そりゃあ、家の前で道草を文字通り食べている阿呆が居たら訝しむものだ。
「あのう、食べ物が無くて。」
「はあ。来て。」
腕を引かれ、邸宅へお邪魔した。こう腕を引いてくる所はケーヴに似ている。
彼女は料理を始めた。
美味しそうなパンが薫る。どうやらパンを生地から焼いているようだ。
焼いている間に、ちぎった新鮮なレタスの上から酢を掛けレモンを絞りサラダを作る。
魚の上から多めにレモンを絞りハーブを乗せ、それをホイルで包み、パンを焼いているオーブンに突っ込んだ。
そして出来上がった食事を、二人で食べた。
これまで食べたことが無い程に美味しいものだった。
「どう。」
「美味しいです。」
「そう。」
「あの、お恥ずかしながら、泊まる場所も無いんです。」
「うん。」
「だから、働きますので、どうか泊めていただけませんか。」
「いいよ。」
そうして二つ返事で、緑髪の少女の家に泊めてもらえる事となった。
彼女の名前はアピオと言った。
私とアピオとの生活はここから始まった。
私は、馬鹿真面目なのである。
アピオの下にやってきても本気で働こうとしていた。
炊事洗濯掃除全てを、フェルタッタに居た時と同じくこなしてやろうと思っていたのである。
だが彼女は、時々私を買い物に行かせることはあれど、彼女自身家事を行って頻繁に仕事を奪ってくるのである。
最初は仕事に支障が出るその行為に鬱陶しさを感じたが、不貞腐れさぼったところ、如何さぼっても、幾らさぼっても彼女は全く怒らないのだ。
人生に過干渉してこないだけだと言われれば確かにそうなのだろうが、私はそこに何かケーヴと居る時のような解放感を感じた。
従者なのに解放感を感じているとは全く面白いものではある。
そうして2年と少しアピオと暮らしているうちに、彼女へ、実の家族以上の思慕をしていた。
普段はアピオとは殆ど喋らないものの、彼女を慕う気持ちはその無言のコミュニケーションの間で沸々と育っていた。
――いなくならないで。
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