第十話 阻む者
「アピちゃん、ノノちゃん。本当に戦うの……?」
アチェトが声を震わせて言った。サリスも「やめようよ」と何度も言っていた。
アピオとノノは無言で外へ出た。
ここは、何も植わっては居ない畑の上である。
草の芽が畑上にちらほらと生え、耕されていないその土は硬くなっていた。
ここで、アピオとノノの喧嘩が始まる。
私には、ノノの怯えが鮮明に伝わってくる。
怯えという単語には、行動を伴った怖がり、という意味がある。
もうどうする事も出来ない私は、サリスの隣に立ち、彼女の手を強く握って見守っている。
現在ノノは、アピオへ将に立ち向かおうとしているところである。
そんなノノの涙に潤む瞳から、また重い感情を載せる吐息から、ある感情が感じ取れる。
がくがくと震えるその怯えの先には、アピオとの戦いへの怯えではない何か別の怯えがあるように思えた。
「いきます。」
ノノは、畑の上に置いてあった雨水の溜った瓶を拾い、それを凍らせた。
アピオへ向かって走りゆき、氷瓶を頭目掛けて振る。アピオはそれを見るや否や、非常識な速さでしゃがんだ。
それを下から何かが穿つ。竜の手のようだった。
アピオは、後ろに数メートル程推し飛ばされ、口と鼻から液体ドーナツを吐きだした。
ノノは、嘔吐し小さく悶えるアピオの髪を掴み、何かしらの魔術を施す。
よく見ると、吐きかけた吐瀉物が凍っていた。アピオも霜付いていた。
「はあ、はあ……。こんなのでご主人様が死なないことは知っています。」
ノノは畳み掛けるように魔術を使った。
「――ヌルの非例外的実行。」
吐瀉物と共に凍りついたアピオの傍でノノはしゃがみ、背中から謎の透明結晶を展開した。それは二人を飲み込んだ。
ノノはその中で、腕を大竜の様にした。彼女は結晶の中で囚われ、身動きはできなかったもの、竜の腕先だけは流体を泳ぐかのように動くことができた。
竜の腕から生えた爪はアピオの太ももの付け根へ向かい、将に掻き切ろうとした。
竜の爪先がアピオに触れた瞬間、ノノに強い衝撃が加わり、結晶を突き破り反対側へ押し飛ばした。
しかし作用反作用の法則に反するように、アピオは反動を受けなかった。
結晶が割れると、割れた先からドライアイスが気化するかのようにどこかへ消えた。
ノノは横方向に転がり飛ばされ、土だらけになった。涙が通った頬には土埃が付き汚れている。押し飛ばされる時に鼻を強く打ち付けたようで、彼女の右鼻からは血が勢いよく出ていた。
アピオが吐瀉物で汚れた口を手で拭きつつ、ノノへ近づく。
ノノは自分の腕の竜憑きを解き、ノノより一回り程大きい竜を召喚した。
そして竜は、痛みで顔に苦悶を浮かべるノノの代わりに、アピオへ襲い掛かった。
「バースト。」
彼女は竜の腕をするすると避けながら、手を銃の形にしてゆっくりと結晶を作っていた。この結晶はノノの作ったそれよりも硬く重そうに見えた。
やがてそれは飛び出し、竜の腹を撃ち抜く。最初は耐えていたが、何度か撃ち込まれ竜は消滅した。
その消滅も、透明結晶が消える時の様相に類似していた。
アピオのゆっくりとノノへ近づくその足は止まらなかった。
ノノは余り痛みに慣れていないのか、動けない。だがアピオに向かって腕を伸ばした。その腕は竜憑きと解除を繰り返し、まるで少年漫画に出てくるラッシュ攻撃の様相だ。
アピオはそれを全て的確に避け、ある程度の所まで近づくと魔術を放った。
「トリップ。」
アピオが放った魔術は、私達の脳へも干渉した。
更に、彼女は魔術で情報を送り込んでくる。
私は概念となり、他者と会話しコミュニケーションをすることができなくなってしまったように思えた。
その眼には、世界に沢山のアピオが溶け込んでるよう映り込み、どれが本物か見分けが付かなかった。
幻覚剤。LSDやマジックマッシュルームなどが挙げられる。
幻覚のみの作用を持つ幻覚剤に於いては、一切の依存性は無い。
これは何故か。薬物にはアッパー、ダウナー、サイケデリックとある。このうち人間の精神安定を支える作用を持つものにアッパーやダウナーが挙げられる。しかし、それとは異なり人間の精神安定を崩す作用を持つものがサイケデリックである。
そんなものを進んで摂取しようとは思わない。一種の娯楽として摂取する人は居るだろうが。
精神が安定してきた。
当然、私は薬物を摂取していない。
薬物が体内で代謝されることにより幻覚が軽減されていく。しかしそもそも薬物が存在しないため、長く幻覚を見続けることは無かったようだ。
だがまだ少しだけ音情報が視覚に入ってくる。
ノノは、何層にも渡る氷と魔術の殻を作り、アピオを閉じ込めていた。
だがノノは、満身創痍に力尽き果てていた。
アピオはその殻を何度か殴って破り、出て来た。
サリスは見たくないものを見た故か大きく引いていた。対照的にアチェトは駆け寄った。
「ノノちゃん、ノノちゃん!ねえ、意識がないよ、どうしよう!」
「アチェー、うるさい。ノノは自分のマナの許容量を考えなかった。それだけ。」
ノノは、尿を垂れ流し、ゆっくりとして深い呼吸をしていた。その様子を見るに、酒酔いの昏睡状態に似ていると感じた。
アピオが言った。
「とりあえず、うちに運ぶの手伝って。」
私は、魔術については詳しくない。
異世界の魔術と言えば火球を飛ばし、属性に依る三竦みがあり、最終的に肉体のみが傷付き回復魔法で元通りになるものだ、と思い込んでいた。
だから今日見たのは、生きてきて見たこともないような争いだった。
肉体だけではなく精神までも影響を受けるそれを見て、これから待ち受ける、部員探しを阻む者たちへの恐怖を強く感じた。
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