第18話 実態はブラック企業

「あのまま市井で暮らしても、良かった気もしなくもないですが……。通いでここに来る方が、彼女に嫌な思いをさせなくて済んだんじゃないかと」


 塔に戻り、フィスラは執務用の大きな机に座り、私はその前に椅子を置いて向かい合った。

 面接スタイルだ。


 他に誰もいないので気楽な気持ちになり、ちょっとした抗議をする。


「私はモルモットを離すつもりはない。……本当にモルモットというのだな。笑ってしまいそうになった」


「あそこで笑ってたら、つよすぎますよ。私がモルモットでずっと居られればいいですけど。もしこの生活に慣れてから役に立たないってわかって、そこから市井に行くのとは、ちょっと気持ちが違うんですよね……」


「その気持ち自体も良くわからないが、今すぐ市井に行くと暗殺の危険がある」


「えっ。誰にですか?」


「聖女召喚についてはそもそも機密事項であるし、召喚に関わっているとわかれば狙われやすい。それに、あの聖女の態度を見ただろう? 私の目の届かないところに行ったお前を生かしておくとは思えないな」


 交渉以前にかなりの危険にいたようだ。


 ここは日本とは違う。平民である私の命は軽い。

 ぞっとして、無意識に身を護るように腕を組んだ。


「助けていただいて、ありがとうございます」


 フィスラは困ったように眉を下げた。


「別に、私は私の召還の責任を取るだけだ。助けるとかそういう事ではない」


 本心と言葉が全く別のように感じて、私は笑ってしまった。


「それは、ありがとうございます」


「ああ。後は、とりあえず今日は契約だな。一番面倒なところが終わったからとりあえずは良かったかもしれない。無能二人と無駄な時間を過ごしたものだ」


「安定で悪口が出てきますね」


「まあ、誰も咎める人は居ないから大丈夫だ。それと、引っ越しがあるので適当に今部屋にあるものを移動しよう。他に必要なものがあれば、随時メイドに伝えてくれ。そうだ、今いるメイドは君の専属にするのでそのまま連れてくるといい」


「わあ。それは嬉しいです。話しやすい子だったので良かった。というか、メイドさんに対して私、給与払えるものでしょうか……」


「メイドは城で雇われているので問題ない」


 まだ少ししか話していないけれど、立場が怪しげな私にも、マスリーはとても感じが良かった。

 安心できる人が居るのは、ありがたい。


「じゃあ、契約内容について話そう」


 フィスラは机の引き出しの中から一枚の紙を取り出した。羽ペンを出して、少し考えた仕草をしてから、さらさらと何かを書いた。


「勤務時間は通常の団員と同じで、計画表を出すが具体的に拘束時間はない。貴族が多いから、イベントも多い為抜けるのは自由。一日休みの日は事前に自己申告してくれ。給与は城の中でも高い方だろう」


 驚くべき高待遇に私は慄く。


 今までは朝早くから働いても、仕事が終わっていなかった。夜中帰るときに仕事が終わっていないのに帰っていいのかという謎の罪悪感があった。

 進捗はいつも遅れ気味で、周りもそうだから誰にも頼れない。


 キャパオーバーなのはわかっているけれど、どうしていいかわからなくてともかく時間をかけるしかなかった。

 誰も彼もがピリピリしていた。


 ああいうストレスがないだけでも驚きだというのに、何もかもが凄い。

 異世界でホワイト企業に転職とは奇跡だ。まだ業務内容も曖昧だが。


「結果が出ない場合は、他の場所に行くこともある」


 夢みたいに思っていたら、現実はやはりそうゆるくはなかった。


「そして、大体の団員が、研究を趣味としているようなものだから、あまり休まない」


 実態はブラック企業。


 それでも、喜んで研究しているなら一応違うのだろうか……。


「具体的な内容はこの書類に示すが、読めるだろうか」


 手渡された書類は、そのまま読むことができた。


 金額は月額百金貨となっている。これはもしや百万と同額なのだろうか。

 この世界のわかりやすさを考えれば、可能性は高い。


 他は、先ほど説明された通りだ。自由度が高すぎて、逆に何を契約するのかっていうぐらいだ。

 お金か。


「大丈夫です!」


「一つ説明し忘れていた。他の団員はほぼ貴族の為、貴族手当がある。君は爵位がないので、残念ながらこの城ではかなりの貧しさとなる」


「……そんな!」


「パーティー用のドレス等は君の月給ではなかなの厳しさとなるだろう。宝石もだ。必要となれば、私が用意してもいいので心配しないように」


 過剰なサービスだった。

 百万じゃないかと思ったけれど、やっぱり百万の可能性が高そうだ。宝石やドレスなんて、今までの人生全く縁がなかった。


「私は聖女様に嫌われてしまっているようなので、パーティーに行く必要はなさそうです。なので、きっと宝石が必要な場面はないと思われます。もともと日本に居る時だって、持っていませんでしたから」


 私がそう言うと、フィスラはあからさまに動揺した顔をした。


「宝石を持っていなかっただって?」


「ええと、そうですよ。この世界のように貴族はいないですけど、私は言うならば庶民ですし。お給料だって多くなかったので、宝石なんて買えないです」


「そうだったのか」


 彼は多分貴族しか知らないだろう。そんな残念そうにしなくてもいいのに。


「もしかしたら今後の実験で、ボーナスが出るような大きな成果を出すかもしれないのでそれまで我慢しておきます」


 私が冗談でこの話を終えようとしたのに、フィスラは疑うような顔をした。


「大きな成果」


「夢は大きくですね」


 彼はこれ見よがしにため息をついた。


「仕事は一か月後からとなる。それまでは生活に慣れなければいけない。買い物はメイドと私に相談するように。部屋も整えなさい」


 それでも私の上司は神様のように親切だった。

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