XXXIV
……、
…朝だ。
どうやら、あのまま眠ってしまっていたらしい。
気付けば僕は、大佐のベッドに横になっていた。
…、大佐は、部屋にはいないようだった。
光が窓から差し込んできていて、その窓の方に顔を向ける。
昨日着ていたシャツのまま着替えていなかったので、ゆっくりとベッドから出ては新しいものに着替え始めた。
…時間は朝の六時前。いつもよりも少し早い時間だ。
大佐は部屋にはいなかったが、大佐のシャツだけは部屋に置いてあるままだ。
…。
部屋の外に出ても、まだ時間が早いせいかちらほら隊員達が起き始めている程度でいつもより人の数が少なかった。
軍服に着替え終わった僕は、大佐が何処に行ったのか基地内を探し回り始めた。
…けど、建物の何処を探しても見つからない。
一つ一つ部屋に入らなくとも、中に大佐は居ないと言う事が分かる程に気配を感じない。
基地の一階まで降りて、中庭に出る。
…すると、
何処からか話し声が聞こえて、僕は足を止める。
…、
大佐の声…?
辺りを見回して声の在処を探す。
…今の目線の高さで見回しても何も見つからず、
僕はふと上の方へ顔を上げた。
…あ、
基地の屋根の上に目線を向けると、
その屋根の上に、大佐らしき人が外側に向かって座っている姿が目に入った。
…その隣には、
あの猫も、一緒に座っていた。
…あそこで話してたのか。
僕もそっちに向かおうと、再び足を動かし始めた。
—————————————————————————
「すっかり落ち込んだよね、」
私は今日、いつもより早い時間に目が覚めた。
…目覚めは非常に悪いもので、とにかく身体が重く、怠かった。
部屋にはMajorも居たが、横になっているだけでは何だか気が休まらず、…頭も冷やせない気がした。
無意識でいるように足を動かし、
何となく、基地の屋根の上まで来て風に当たっていた。
…のだが、
同じく早い時間に起きたであろう、例の猫が私の一人の時間を少し邪魔しに来ていた。
「…何がだ」
「大佐さんの気持ちと、実力
まさか敵軍に捕えられて仲間に手間まで取らせて危険に晒しちゃうなんてねー、
僕が初めに見た大佐さんとも、もう大分変わっちゃったみたいだね」
……。
突かれたくない部分を突かれ、更に気分が落ちた気がした。
…けど、
もう、何だか慣れてしまった。
私が退化している事は、とっくに私自身が自覚している。
気分が落ちる以前に、もう自分で分かっている事だ。
「…、私は退化しても、
Majorは成長し続けている」
「そうだね、少佐さんなんて言うけど、まだ勤め始めてからもそんなに長くないんでしょ
伸び代が沢山あるよね
それに、少佐さんは何だか普通の人とは違う特別な力を持ってるみたいだから
それもあって普通の人よりも成長しやすかったり、力をつけやすくなってたりするのかもね」
猫は私の隣で、座った体勢から寝そべるような体勢に変えた。
…私がこんなに情けない姿になっても、
猫はいつも通りの態度のままで、とくに大きな反応を取る事もなかった。
「…、なんか、
元気も失くなったよね」
猫は私の方に顔を向けて言った。
…、
「…
…少し、疲れてしまったんだ
色々と、出来事が起こりすぎて」
「前まで僕がちょっと煽っただけですぐ怪訝そうな顔見せたのにね
その元気も失くなっちゃった?」
今はもう、何かに言い返す気力がなかった。
自分でも分かる程、かなり疲れている。
一度や二度などでは回復しない程、私には疲れが溜まっていた。
…それもあるが、
やはりもう、こうなってしまった自分に慣れてしまった事が大きいのだろう。
ここまでくると、もう改善されていく事すら出来ないとまで自覚を覚える。
…、改善したいと思っているだけで、実際には身体がそう動けていないのだろうか。
…、どちらにしろ、もうほぼ諦めてしまっている。
「…言い返して欲しいのか?」
「別に?そう言う訳じゃないけど
揶揄い甲斐がなくなっちゃったし。つまんないよねって感じ」
…。
私は、初めからつまらない奴なのだろう。
これに関しては私が退化するしない以前の話だ。
特に面白い事が出来る訳でも言える訳でもない。人と話をする時はただ目の前にある言葉の受け答えをするだけ。
関わっていて楽しいタイプではないだろう。
一時期誰かを支えられるような会話が出来ればと思っていた時期もあったが、
もう今はそれをする余裕すらなくなってしまった。
もはや、私に向いている事とは何なのだろうか。
私は何をしているべきなのだろうか。
自分に魅力を感じない。探そうとしても見つからない。
「…大佐さん、情けないよ
そのままだと大佐の役割すら落とされちゃうよ
どうしちゃったの?」
…、
私はどうしてこうなってしまったのか。
…それも今までに腐る程考えてきた。
意識などしていない。だから気付いたらこうなってしまっていた。
退化すれば戻りたいと思ってももう治す事は出来ず。
今まではFaithfulに心配される事もあれば話を訊かれる事もあったが、
もう、ここまで来ると彼が私に気にかけるだけでは足りないのだろうか。
…Faithfulも、私には呆れてしまっているのだろうか。
けど、これでFaithfulから悪く言われるような事があっても、
否定できないし、そのまま図星になってしまうのだろう。
「…もー、さっきから返事もしないで黙ってばっか
つまんないよ、大佐さん
せめて僕のこと撫でるぐらいしてくれたっていいじゃん」
猫は私の隣で不貞腐れたようにしながらも仰向けに寝っ転がって腹を見せた。
…、
変わらず私は返す言葉もなくて、黙ったままその猫の腹を撫でた。
…。
…つまらないと言っているのに、
何故、私から離れようとしないのだろうか。
「…私といて、つまらないのではないのか」
「つまらないよ、今日はずっとつまんない
何にも楽しくないし気分も良くないよ」
「なら、何故此処から離れないんだ」
私は一度、猫を撫でる手を止めた。
…猫はムスッとした表情を変えずそっぽを向いたままだ。
「僕はつまんないよ。本当に楽しくとも何ともない
でも、これ以上大佐さん自身がつまらなくなったら良くないでしょ
一人にさせておいたら何するか分からなさそうな気持ちの持ちようみたいだし
僕がわざわざ構ってあげてるんだから、早く元気出してよ」
…ぼーっとしていた私の頭が、
ほんの少しだけ目覚めた気がした。
「そもそもそんなになるまで捕らえられてでも自分で動けるほど体力もあって生きてるのって
一緒に調査に行った仲間のお陰でしょ
増してや少佐さんがいなかったらそもそもここまで生きてないんでしょ
大佐さんが少佐さんに生かされてる事、大佐さん本人が一番分かってるはずでしょ。分かってないの?
少佐さん達がいなかったら、今頃本当に死んでたかもしれないんだよ
大佐さんはいっつも少佐さんを悲しませてばっかりだとか泣かせてばっかりだとか言ってるけど、
勘違いでしょ?
大佐さんがいつも少佐さんに守られてるんじゃないの?
それで毎回「退化してばかり」だとか「この仕事に務まるのだろうか」とかぼやいてるけどさ
少佐さんが支えてくれてるからこそ今の大佐さんがいるんだし、少佐さんには謝罪ばっかり伝えて
失礼だと思わない?お礼すら言わずにさ
大佐さんがいつも少佐さんに伝えてるありがとうは、違う意味のありがとうでしょ?少佐さんに全然伝わってないからね」
その体勢のまま話す猫の話から、
耳を背ける事が出来なかった。
今まで「この猫に私達の何が分かるんだ」などと心の中でうっすら考えていたが、
…まさか、ここまで見られているとは思わなかった。
「ずっとずっと見てて不服で仕方なかったよ
大佐さん、本当に失礼すぎるし少佐さんが可哀想だよ
少佐さんのこと愛すだけじゃ駄目なんだよ。分かる?
大佐さんは話を聞いてるだけでも様子を見てるだけでも、きっと大佐さんと少佐さんが会った時から大佐さんは守られっぱなしなんだよ
少佐さんと会えてなかったら、
今頃大佐さんには、仕事が務まる務まらない以前に生きら希望すらなかったでしょ?
そもそも本来大佐さんが少佐さんを守ってあげるべきなのにそれが出来ずに逆にずっと守られてるままなんて」
…口に出さなくても、分かる程の事なのだろう。
今この猫に言われた事は、今初めて自分が自覚した事で、今まで自分の視野になかった事だ。
けど、初めから基地にいる訳でもないこの猫にそんな事を言われるのは、
きっと、一部始終を見ていなくても感じ取れてしまう程の事なのだろうと、
それを今初めて自覚した。
「…大佐が少佐を守る為に必要なのは実力じゃないよ
気持ちと信じる力だよ
気持ちを持つ事も信じる力を持つ事も簡単な事でしょ?今からだって出来る事の筈
そんな何も信じられないような考えでいちゃ何も上手くいかないし少佐にだって気持ちは届かないよ
こんな大佐さんなのにずっと離れずに、何なら距離を縮める形で側にいてくれてる少佐にもっと感謝するべきだよ
こんな事にも気付けないなんて、本当に自分の事しか考えないんだね
僕が呆れるよ」
…確かに、
私は最近自分の事で一杯一杯だった。
自分を落ち着かせる事と、自分を守る事で精一杯で、
周りにまで身体が行き届いていなかった。
周りの事が見えていないから、失敗だって増えるしなくなる事はない。
…私自身の退化は本当にしていたのかもしれないが、
気付く事さえ出来れば、改善の仕方は難しい事でも何でもなかった。
…私は、
私自身を信じる力が足りていなかっただけではなく、
周りを信じる力も、足りていなかったのか。
「…少佐さんからも何回も「僕を信じて下さい」とか言われてたはずでしょ
とっくに気付く答えはくれてたのに、それにすら応えてあげられてないの本当に可哀想だよね
大事な事僕が教えてあげたんだから、感謝してよ」
猫は、また私からそっぽへと顔を向けた。
…、
もしかしたら、言われなくとももう自分で気付いていたのかもしれない。
けど、それよりも感じた事のない自分の感情と、経験のした事ない状況が重なりに重なって、
あまりに追い詰められた挙句、私は自分を見る事しか出来ていなかったのかもしれない。
…けど、もうそんなに窮屈な気持ちを持つ必要はないと言う事が分かった気がする。
…毎回こうして反省や気付きを得た後でも同じような失敗を繰り返してばかりの私な気もするが、
けど、それでも知らない事を新しく知れた事の方が大きい。
それを知っているのと知らないのとではかなり差があるだろう。
…相変わらず言われないと気付けないような私ではあるが、
これに気分を落とすのではなく、知れた事をポジティブに受け止め、知れた事のきっかけに感謝する事が、
今の私には必要なのだろうか。
「…、
ありがとう」
猫は自分の腹に私の手を置かれたまま、私のその言葉を聞いて、
私の方へと顔を向けた。
…が、
また少しムスッとしたような顔をしてそっぽを向いた。
「…ここまで煽ったから流石に言い返してくると思ったのに
本当よく分かんない人だよね」
そう言って、猫は一瞬私の顔を見た後に私の手の中から出てはまたそこに寝そべった。
…私の感謝の言葉が素直に受け止められなくとも、
もう、嫌な気はしなかった。
…新しく大きな事を知れた事による、私の心の晴れがかなり大きかったものだから。
こんなに悩む必要がない事を知れて、今更だが、知る事が出来て、
また心が軽くなった気がした。
…私が今まで大切な事を教えてもらっても尚改善が出来なかったのは、
これのせいだったのかも知れない。
大切な事を教えてもらっても、自分がこれ以上それについて悩む必要がないと言う確信を持てなければ、意味がなかったと言う事なのかも知れない。
…私には、何かと信じる力が欠けていたと言う事なのだろうから、
まずはそうするに越した事はないだろう。
…自信がなくても、ここはそうする事できっとこれからが変わる。
…今度こそ、これからの私を変える為だ。
視野を広くして、礼を伝えて、自分の事も周りの事も信頼して、
まずはそこから努力してみるとしよう。
「…と言うか、
そろそろ僕のこと名前と呼んで欲しいんだけどー?
Qualが名前付けてくれたのまだ知らないの?」
猫は、ムスッとした表情を変えないながらも、
返事を待つように私を横目に見た。
「…いつの間に付いたのか」
「そーだよ、あんたらが仕事に没頭してる間にQualが付けてくれたよ
僕の名前、Rualだから
もう僕のこと猫とか呼ぶのやめてよね」
…そうか、ちょっと見ないうちに名前が付いたのか。
こいつの事はいつもQualが面倒を見てくれていて、とても助かる。
私達だけでは、どうしても手が回らないから。
この猫自身も、自分の気に入った人と一緒にいられて心地が良い事だろう。
「…Rual
いい名前じゃないか」
「でしょ
だからちゃんと名前で呼んでよね」
Rualが私に向かって言ったその時、
彼は背後の方を向き、何かを見たような様子を見せるとその場に立った。
「…
お前は、良く喋る猫だな」
「失礼だね、大佐さんが僕に喋らせるような事ばっかしてるからでしょ
僕のことは別に困らせてもいいけど、
少佐さんのことは、もう困らせちゃ駄目だよ」
そう言うと、Rualは背後の方へと向かってその場を去って行こうと歩き始めた。
私は見送るようにRualに振り返って見ようとしたが、
…その先に、
Majorが立って、私の方を見ていた。
「さっきからずっと待ってくれてるよ
早く相手してあげたら」
私に言い残し、Rualは屋根から降りて行った。
…、去って行くRualの方から、Majorの方へと目線を向ける。
屋根の上には、Majorと私だけになった。
「…、」
私はしばらくの間、黙ってMajorを見つめた。
…見つめていると、Majorは、
段々と悲しそうな表情になって、
走ってその勢いで私に抱き付いてきた。
…少し反動で傷が痛んだが、
もう、昨日程痛まなかった。
私はMajorの身体をしっかりと受け止めた。
そして、そのまま強く強く抱きしめ返した。
「…置いて行かないで下さい」
何を話し出すのか、と思えば
その言葉が、不本意に私の胸に強く突き刺さった。
…、
…そんな、そんな事を言われるだなんて、思っていなかった。
「…、そんなつもりはなかった」
Majorを抱き締めたまま静かにそう伝えた。
…Majorは、黙ったまま私に抱き付いて胸元に顔を伏せていた。
そのまま抱き締め合う力は、弱まる事はなかった。
「…怖かったです」
「…すまない、心配をかけて」
「……本当に怖かったです
心配したんですよ」
Majorは声をしっかりと出さないままの状態で、溢れ出るような言葉で私に伝える。
…Majorのその声は、今にも涙が溢れてきそうな声色だった。
Majorの、私の抱き締める力が更に強くなった。
「…、すまない」
やはり、私の口からはそれしか出なかった。
…、言い訳する事もできない。
今回の件は、完全に私のミスだった。だから、私がどんなに言い訳をしようとしても、紛れもない私が原因だ。
Majorの気持ちに負担をかけてしまった事で私自信も心に傷がつくが、
今の私が、そんな事を言えるような立場でない。
Majorはしばらく私に抱き付いた後、私の顔を見ようと少し
離れた。
…そして、私を少しの間見つめた後、また少し俯いた。
「…身体、大丈夫なんですか」
「大分な。痛みももうほとんど弱くなった
…やはりMajorが治癒してくれたのか?」
私はMajorの顔を覗き込むようにして訊いた。
…、Majorは返事をしないまま、私の身体の傷を確認するように探り始める。
「…
…ちゃんと服着ないと風邪ひきますよ」
私は今、治療をした後の身体の上に軍服の上着を一枚羽織っている程度の状態だった。
…もう身体の状態も人間からスケルトンに戻って、寒さもほとんど感じない。
とにかく、何だか頭を冷やしたい気分になって、まともに服を着ないまま外に出てしまっていた。
…Majorは私の上着の中央のボタンを一つ閉めると、
私と同じ方向を向いて隣に座った。
…、
ふと、Majorの顔を見ようと横に向いても、
Majorは中々私と顔を合わせてくれなかった。
…話しかけるような言葉もなく、ただMajorの横顔を見つめる。
……、
私の横に、Majorの片手が置かれている。
…その片手に、
私はそっと上から自分の手を重ねた。
「…色々と、すまなかった」
私も、正面に向き直った状態でMajorにそう話した。
…、Majorは私のその言葉に反応するように一瞬こちらに顔を向けたが、また正面へと向き直った。
「…だが、Major達がいなければ、私は確実にあそこで死んでいた
加えて、Major達の力が確かだったからこそ、私は助けられた
…ありがとう」
私はMajorの方へ顔を向けて、しっかりとそう伝えた。
Majorは正面の景色を真っ直ぐに見ていたが、
…やがて、また少し俯き、
上から重なった私の手に、恋人を繋ぎをするように指を絡めた。
…そして、Majorは私の方へそっと顔を向けると、
そのまま、私に向かって優しく笑みを作った。
『大佐、お見えでしょうか』
すると、突然私のイヤホンマイクに隊員から通信が入った。
少し突然すぎて驚き、それが若干表情に出てしまう。
「…どうした」
『お疲れの中、大変申し訳ありません
少しお伺いしたい事があるのですが
…ご足労お願い出来ますでしょうか?』
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