—————————————————————————

「…それで、今に至る」


大佐は、初めに比べれば小さくなった声でそう話を締め括った。

さっきからずっと俯いていて、気も落ちている様子だった。

…大佐、過去にそんなことがあったんだ。

それも、今話されるだなんて。

わざわざ休養日をとって、それもわざわざ基地から離れて話をするだなんて一体どんな内容なんだろうと、想像すら出来なかったけど、

こんなにプライベートな話だとは思わなかった。

…。

大佐、過去の関係でこんなに性格が変わるぐらい心に傷を負っていたんだ。

話している最中だって、何度も言葉を詰まらせながら、

それもどこか、苦しそうで。…。

…Faithfulさんは、何でそんなに大佐を大事にしようって思ったんだろう。

こんな成り行きで大佐を自分の軍に入隊させただなんて、思ってもいなかった。

何か大事にしたいって思う大きなきっかけがあったのかな、

何か、寄り添ってあげたいって思う理由があったのかな。

僕は、Faithfulさんが昨日大佐のについて話していたことを思い出す。


『行く宛もなくて彷徨ってたから、放っておけなくてさ』

『Colonelって実はああ見えて色々と深く考えやすくて、おまけに抱え込みやすいタイプでさ』

『Majorくんには、これから大佐を支えてあげられるような立場になって欲しくて』


……、

そんな大佐の存在を、支える役割を持つ。

僕は、本当にFaithfulさんが言う程、大佐を支える器に収まる存在になれるのだろうか。

こんな未経験で、未熟な僕より、もっと他に大佐を支えてあげられる人が…、

………、

…大佐は、

何で今の話を、こんなに早い段階から僕に話してくれたんだろう。

…大佐…、


「…あの、」


僕は正面の景色から、改めて大佐の方に向き直って訊こうとした。

…が、

その時に見た大佐の様子が、少しおかしいように見えた。

何か、感じているような、集中しているような…。

…、大佐…?


「…あの、どうかしまし————」


僕がそう言いかけた刹那、

大佐が突然立ち上がっては、背後を向き、

足を振り上げた。

僕は驚いて目を瞑ってしまったが、

耳からは確かに、何かが強く当たるような鈍い音を感じ取った。

驚いたまま状況が把握出来ない僕も急いで立ち上がり、大佐がついている方へ振り返る。

…そこには、四人の白い軍服を着た人達が、

岩場から追いやるようにして僕達を囲んでいた。

一人だけ、仰向けに倒れてもがいている人がいる。

…手には、レイピアを持っている。

……大佐が、突き飛ばしたか、蹴り倒した…?

僕は何となく、そう察しがついた。

…全員、僕達を見下すかのように不気味な笑みを浮かべながら視線を向けてきている。

やがて倒れていた人が服についた砂埃を払いながらゆっくりと立ち上がる。

大佐は咄嗟に僕を背へまわした。


「やれやれ、バレてしまったか」


そう言って、また軍帽の影から不気味に笑う口元を見せた。

大佐はキッとその人達を睨み、僕をしっかり片手で支えた。


「…着けられていた」

「ご名答。流石察しのいいようで」


僕は、大佐の大きな背中の影からそっと様子を伺っていた。

恐らく、服装から見てもこの人達は敵軍だ。

それに、腰にはレイピアや拳銃も掛けている。

…もしかして、さっき通行人に追いかけられた時、

紛れて一緒に僕達を着けて来ていた…?

僕ももう少し、周りを見ているべきだった。

残りの三人も腰からレイピアを抜くと、ジリジリと端の方へ追いやって来る。

此処は標高も高い崖の上だ、落ちたりでもしたらひとたまりもない。

大佐の、僕を支えている手に力が入るのが分かった。


「何だ?その後ろの未熟な面をした奴は

新入りか?軍人にも向いていないような面をしているが、」


一人が、煽るような口調や表情で、僕に目線を向けて言った。

…僕も咄嗟に自分に触れられ、何も返事が出来ないまま大佐の背に隠れることしか出来なかった。

…、大佐も、返事をしないまま向こうを睨み付けたままでいる。


「…ふ、返答すら出来ない、か」


…僕は念の為持って来ていた拳銃を取り出そうと、懐に手を入れる。


「応戦する必要はない。きっと何かの罠だ

人数も向こうの方が圧倒的に有利でもある

…構うだけ無駄だ」


そうしている僕に、大佐は小声で話しかけた。

でも、逃げ場もないし、応戦しないとなれば一体どうすれば……、

僕は緊張感を覚えながらもそう言う大佐に僕は抗わず、大人しく懐から手を抜いた。


「此処なら逃げ場もないだろう、大人しく始末されるんだな」


すると、大佐は僕の横に移動し、肩と腰を支えるように持った。

た、大佐、


「生憎、私達は何の準備も出来ていないんでな

断るとでも言っておくとしよう。私達は今そう言う気分でもなければそのつもりもない

失礼する」


次の瞬間、大佐は僕をそのまま抱き抱え始め、そのまま崖の下へと飛び降りた。

突然で着いていけないまま僕は声が漏れ出そうになって、強く大佐の身体にしがみつく。

…しばらくふわっとした感覚が続いた後、大佐はやがて地面に僕をしっかりと支えたまま着地し、森の中を全力で走り始めた。


「!」


大佐は何かに気付いたかのように横を向くと、僕を庇うように抱き抱えながら身を屈め、

次の瞬間には発砲音が辺りに鳴り響いた。

僕も驚いて、咄嗟に大佐の身体にしがみつく力が大きくなってしまう。


「くそ、此処にまで手が回っていたか…っ

流石に予測が甘かったか…?」


大佐はそう呟くと、息を切らしながらまた同じ状態のまま走り続けた。

…必死で段々体力が失いつつある様子な大佐に、僕は心配になって顔を向けた。

…大佐…、

すると、大佐は顔色を変えて僕の顔を見たかと思うと、

走っている方向と反して身体の向き変える。

次の瞬間、発砲音が鳴り響くと、

大佐はそのまま走る勢いで横に倒れ、僕は勢いに任せられたまま思いっ切り投げ飛ばされてしまい、地面に転がった。

僕は地面に叩き付けられた痛みに悶えながら、うっすらと大佐の方に顔を向ける。

…大佐は、すぐに立ち上がろうと身を起こす。

が、酷くよろけて、首元に手を当てながらそのまま近くの木にもたれ込むと、

力が抜けたようにまた項垂れて地面に尻を打った。


「った、大佐!」


僕はすぐに起き上がって大佐に駆け寄って身を支えた。

大佐は走っていた疲労で息切れながら、また僕に支えられながら起き上がろうとしたが、

力が入らず、僕に持たれ込んでくる。

僕に大佐の体重は支え切れなくて、僕まで尻餅を付いてしまった。


「大佐!!大佐っっ」


強く大佐に呼び掛けて身体を揺すったが、

大佐は虚な目を見せた後、そのままゆっくりと目を閉じた。

僕は焦り倒して声も出せなくなり、周りをキョロキョロした後、また大佐に視線を戻す。

…すると僕は、大佐の首に麻酔銃の弾らしき物が刺さっているのに気が付いた。

やがて、さっきまで僕達を追い詰めていた敵軍隊員達はこちらまで追い付き、レイピアをしまってそのまま自分達を取り囲んだ。


「ご苦労、すぐに捕えろ

話は分かっているな、連れて行け」


そ、そんな…、僕達、これから何をされて…っ。

この状況、絶体絶命と言っても過言ではない。

早く、早く何とかしないと…っ。

—————————————————————————

…大佐が、ゆっくりと目を開いた。


「っ大佐!ご無事ですか!」


何人かの隊員達に顔を覗き込まれながら、焦った一人に声を掛けられると、

大佐は少し驚いたような、焦ったような表情でベッドから身を起こした。

僕達は大佐が目を覚ますまで、ずっと此処で様子を見ながら待っていたのだった。

…大佐は驚いたような表情をしたまま僕達の顔を見た。


「…何故、此処に…

…私は…、」


大佐は何かを思い出したかのような表情で僕に顔を向けた。


「…僕が、応援を呼んだんです」














—————————————————————————

敵軍隊員達がマイクで他の隊員にも連絡を取っているのが見て分かる。

早く、早く何とかしないと…っ。

っ……、

…そうだ!

こちらに顔を向けた敵軍隊員に、俯いた状態から顔を合わせ、あることを頭に浮かべる。

これ以上何かをされてからでは遅い、一か八かだ…っ!


「っこちらMajor!突如敵軍に囲まれたっ、

大至急応援を願う!!」


僕は耳につけたマイクロフォンに手を当てて喋り始めた。


「なに…?は、今更こんな所まで誰も来れる筈」


僕がマイクロフォンで連絡を入れた瞬間、

突然誰かが現れたかと思えば、そう僕に煽っていた敵軍隊員を思いっ切り横から蹴り飛ばした。

…僕は驚いて瞑ってしまっていた目を開けた。


「っFaithfulさん!」

「やっぱりね、絶対こうなると思ってたんだ。準備しといて正解だったね

二人共、怪我はない?」


そう僕に話しかけると、Faithfulさんはその敵軍隊員が蹴り飛ばされたのを確認し、僕達の前にレイピアを抜いて立ちはだかった。


「間に合いましたでしょうかっ、ご無事で何よりです!」


後から着いてテレポートとして来た何人かの隊員達も僕達に背を向けながらレイピアを抜き、敵軍隊員達に威嚇した。


「…さ、どうする?俺達が君達を捕えて取り調べしてあげてもいいけど?」


Faithfulさんはいつものトーンで敵軍隊員達に向かってそう話すと、すぐに攻撃の出来るよう体勢をとって見せた。


「……チっ、一旦引くぞ…っ」


すると、敵軍隊員達はみるみるうちに僕達から身を引いていき、やがて、全員テレポートでその場を去って行ったのだった。

そして、僕達を庇っていた隊員達は楽な姿勢をとると、そのままレイピアを静かにしまった。


「ふー、大変だったね

あんまりお出掛け中のところ乱入したくなかったんだけど

…だから無理したらダメだよって出発する前も言ってあげたのに

ね?Majorくん、」


そう言って、Faithfulさんは困ったように僕に笑いかけた。

—————————————————————————

「…そう、か

……そんな、ことが…」


僕は、今までにあったことを丁寧に大佐に説明した。

…Faithfulさんの勘が働いていなければ、僕達はあのまま敵軍に囚われの身となってしまっていたかもしれない。

Faithfulさん達には、本当に感謝しかなかった。

大佐は僕の話を聞くと、気を落としたように俯いた


「…私と、したことが。こんなことに…

私の不注意のせいだ、どうか許して欲しい」


大佐は落ち込んだ様子でそう僕達に伝えた。


「いえ、仕方のないことです

それに今日はそうなる前にも色々と出来事があったのでしょう、そこまで配慮するのも困難です」

「それもそうですし、今はとにかくお二人がご無事で全隊員共に安堵の気持ちであります

本当に、怪我もないようで良かったです」


隊員達は、そんな大佐を慰めるようにして話しかけていた。

…やっぱり、Faithfulさんが言っていたように、

皆んな大佐がマイナスな考えを持ちやすいことは察しの上なんだ。

今だって、こうして皆んなで大佐のことを元気付けるようにしてて、…。

大佐は皆んなの声を聞くと、また目を伏せたが、


「…礼を言う。心配をかけて済まなかった」


と、しっかりと返事をして見せた。

…大佐も、今日もみたいに失敗することはあるんだな。

いや、でも、僕も大佐に頼り切りで良くなかった部分もある。

もっと、自分も大佐に着いていけるようにしっかりしないと、いけなかったかな。

……大佐に、無理をかけさせてしまったかもしれない。

僕はそんな気持ちでいて、大佐に何も言えないままその様子を見ていることしか出来なかった。

—————————————————————————

次の日。

あれから僕はそのまま初めてこの基地に寝泊まりした。

ベッドの寝心地もとても良くて、すぐに就寝することが出来た。

僕は窓から差し込んだ朝日に目が覚め、ベッドからゆっくりと身体を起こした。

朝日は僕の身体に当たり、直接的に、僕を温めていた。

…現在の時刻は朝の五時半。

僕達の軍は五時から六時までの間に起床し、支度をするスケジュールが設けられている。

僕はベッドから出て、今日着る軍服をクローゼットの中から取り出した。

そして、今着ている白シャツの上からネクタイをし、順番に軍服を着用していく。

上半身を着終えると、今度はズボンを履いて、腰にベルトをする。

その上からブーツを履いて、そのベルトを締めた。

軍服に着替え終わり、僕は軍帽を持って姿鏡の前に立って自分の顔を見ながらそれを被った。

…そして、ふと、昨日のことを思い出す。

昨日は、色々起こって大変だった。

一時期はどうなるかと思ったけど、皆んなやFaithfulさんのお陰で無事に何事もなくまた此処へ帰って来ることが出来た。

…そして勿論、大佐にも沢山お世話になった。

ご飯代は出してもらったし、通行人達に追われている時だって、敵軍隊員に追い詰められた時だって、

大佐がいなかったら、きっと僕は、自分の命を守ることだって出来なかった。

…大佐の咄嗟の判断があっての行動だったからこそ、僕が次に繋げることができ、応援を呼ぶことが出来た。

本当に、沢山の人達に助けられてばかりだ。

まだまたま、お礼がし切れていない。

…大佐にもFaithfulさんにも、他の皆んなにも、

また改めてお礼を言わないとな。

僕はそう過去を振り返り、鏡に映る自分と目を合わせた後に自分の部屋を後にした。




…。

さっきから大佐の部屋のドアをノックしているのだが、

いつものように、返事が返って来なかった。

大佐は僕が起きている頃には、いつも既に部屋の中にいる筈なのに。

……、


「…、大佐…?」


…そこから呼びかけても、返事は返って来なかった。

何か手の離せないようなことがあっても、声に出して返事ぐらいはしてくれる筈だ。

…どうしたのかな。

…、

…勝手に、入ってもいいのかな。

僕はそのドアノブに手をかけたか、引くのを少し躊躇った。

…でも、僕はもう少佐としての肩書を持っているから、大佐の部屋は基本自由に出入りしていいと言われていた。

いつもは、それでもノックしてから返事を聞くのを意識していたが、

…大丈夫、なのかな?

僕はそのままドアノブをそっと引いた。

…そして、そっと部屋の中を覗く。

…、

僕の目には、机に伏せて、…眠っている大佐が目に映った。

…大佐、こんな所で寝てしまうなんて、珍しい。

今までにこんなこと絶対なかったのに。

僕はそっと部屋の中に入り、音を立てないように静かにドアを閉めた。

そして、足音もなるべく立てないよう、静かに大佐が眠っている机の傍へと近寄った。

…、大佐は静かに寝息を立てながら、確かに眠っていた。

少し、その様子を観察してみる。

…大佐、これ、昨日帰って来てから着替えた状態のままだ。

……、昨日の夜から、この状態のまま眠ってしまった…?

…、

ずっと、この状態なのだろうか。

昨日は色々あったから、心も身体も疲れちゃったのかな。

まあ、でも、何はともあれ、大佐にはしっかりと身体の疲れをとって欲しいものだ。

あまりに気持ち良さそうに寝ているので、どうも起こす気にもなれず、僕は大佐が自然と起きるのをその場で待つことにしてみた。

僕は近くにあった、予備の椅子をそこに置いて大佐の方を向いて座った。

…机の上には、綺麗に積み重なった書籍やら書類やら、

飲みかけのコーヒーが入ったコップが置かれていた。勿論、既にすっかり冷めてしまっている。

机の上は、普段はいつも綺麗に整頓されて掃除までされている為、

やっぱり、大佐は昨日からこの状態のまま寝てしまったんだろう。

そして、眠っている大佐のその顔へと視線を移す。

…、

綺麗な寝顔だ。

いつも色々な人から、大佐の顔が整っていると言う話は良く聞く。

僕が今までに聞いた話だと、どうやら此処のナースさん達も大佐の顔には絶賛らしい。

僕が此処に来た初日、大佐と皆んなの訓練の様子を見ていた際に通りかかり、その時に大佐の方を見て何か話していた内容も、もしかしたらそんなようなことだったのかもしれないと、

今思うとそう判断出来た。

そんな大佐がこうして眠っているところを近くで観察出来るのは、

少し、貴重なのかもしれない。

僕はぼんやりとそんなことを考えていながら、大佐の寝顔を見つめていた。

…、

…少し、失礼なこと考えちゃってたかな。

ふと時計に目をやると、時刻は既に六時をまわっていた。

…もうこんな時間。時間が経つのは早いな…。

…、大佐のことも、そろそろ起こしてあげた方がいいのかな。

…でも、昨日のこと以外でも毎日疲れを溜めているだろうし、大佐の睡眠を邪魔するわけにはいかない。

…、じゃあ、せめてコーヒーのコップだけ移動させておこう。

もし手が当たったりして溢してしまったりでもしたら、

間違いなく書類は汚れてしまうし、後々の処理も大変なものになってしまう。

せめて、手の当たらない場所に移動させよう。

僕は椅子から立って、そのコップに手を伸ばそうとする。

…ぁ、…、勝手に触っちゃって、大丈夫なのかな。

あまり、良くないのかな。無礼にあたっちゃうかな。

…でも、溢して支障が出るよりずっとマシ、かな。

大佐のすぐ耳元に置いてあるコップを、

大佐の邪魔にならないように、音を立てないように、両手で慎重に持ち上げる。


「……ぁ、」


すると、大佐がゆっくりと目を開けた。

…やっぱり、起こしちゃった…?

大佐はまだ起き切っていない目を僕に向けると、何か考えているように、そのまま僕をじっと見つめた。

…コップを持ち上げたまま固まっていた僕は、大佐に見つめられながら、ゆっくりとコップを自分の手元まで持ってくる。

…大佐がゆっくりと身体を起こした。


「…おはようございます、大佐」

「…ああ

…、寝てしまっていたのか」

「そのようですね、…お疲れ、でしたか?」


僕は両手持った大佐のコップを机に置いた。

大佐が、僕がたった今置いたそのコップを見つめる。


「…済まない。移動、させてくれたのだな」

「ぁ、…はい」


心情を読んだのか、何でコップを動かしたのか既に大佐には知られているようだった。

大佐はまだ少し眠そうな目を指の腹で擦った。

…そして、時計の方に顔を向ける。


「…、もう六時にもなってしまっていたのか」

「…そうですね。僕は五時半に起床して此処に来ましたが、

既に六時過ぎを回っているようです」


大佐は僕の返事を聞くと、ゆっくりとした動きで机の上にあった書類を見た。

…僕も釣られてその書類を横から覗き見る。

…、大佐、判子を反対に押しちゃってる。

うっかり、間違えちゃったのかな。


「…。

…寝坊、だな」


大佐は、書類を見ながらそう呟いた。

僕は、書類から大佐に視線を移した。


「…、…はい、そうですね

…寝坊。です」


僕は小さくそう返事をすると、大佐の顔を見たまま笑みを溢してしまう。

…大佐は少しの間黙って僕の顔を見つめた。

…そして、やがてまた書類に視線を戻した。


「…そうだな、…済まない

まだ、昨日の麻酔が抜け切っていなかったのかもしれない」


大佐は少しその書類を見つめた後、それを机の引き出しにしまい、また新しく白紙の書類を取り出して自分の前に置いた。

相変わらず、動きはのんびりと、ゆっくりだ。


「…お身体の方は、もう大丈夫なのですか?」

「…あぁ、問題ない。恐らく大丈夫だ

眠気の方ももう治っている」


大佐はそう僕に返事をしながら、さっき間違えた書類を書き直すつもりなのか、同じように机の上に置きっ放しの万年筆を手に取った。

…、大佐、着替えなくていいのかな。

そんなことを心配しながら、大佐が手元を動かされる様子を見ていた。

その書類の表記事項はあまり多くなかったようで、

短い間に書き終えてしまい、大佐は再び持っていた万年筆を置いた。

…そして、またさっきと同じ書類の空欄に、判子にインクをつけ、それを押そうとする。

…あ、

大佐、

また反対……、

僕は咄嗟に手が出てしまい、判子を押そうとする大佐の手をそっと掴んで止めた。

大佐は、僕に触れられたのを少し驚いた様子で動きを止める。


「…、判子、反対です」


大佐もはっ、とした様子で、一旦書類から判子を離した。

僕も、大佐の手からそっと自分の手を離す。


「……、さっきの書類も、反対でした」


そう、僕の口からぽろっと溢れた。

…大佐もこんな間違いをすることってあるんだな。

少し、大佐の普通な様子が見れて笑みを溢してしまう。

大佐は、判子を持ったまま少し大きなため息をついた。


「……そうだ、昨日からこの服のまま着替えていないんだ

…今日のものに着替えなくては、」


大佐もそれに気付いたようで、判子を机の上に置いた。


「…一度部屋に入ってもらったところ申し訳ないのだが、…一旦退出を願えない、だろうか

…あ、いや、……うむ、そうだな。なら、

この書類の白紙のものを一束資料室から持って来てはくれないだろうか」


大佐は引き出しから別の書類を一枚取り出し、僕に見せてそう言った。

…、僕はその書類を見て、置いてある位置を頭の中で確認するように思い浮かべる。


「はい、分かりました」


そう返事をし、僕は大佐の部屋を後にした。

そっとドアを閉め、資料室へと足を運んで行く。

…、

…何だか、さっきまで妙にドキドキするような感覚を覚えたな。

朝の部屋の空気が静かなのが目立ったからだと思うが、何だか緊張しているような空気が僕と大佐の間に流れている気がした。

…でも、失礼なことは言ってない筈だし。特に問題はないよね。

特にそのことに関しては気にせず、そのまま資料室へ行く為に階段を降りて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る