反撃ですか?お供いたします
Ⅰ
「ノーヴィス様」
「うん?」
「今更な質問で恐縮なのですが、ノーヴィス様はあのおとぎ話に出てくる『
とある初夏の、昼下がりだった。
メリッサお手製のレモンスカッシュを美味しそうに飲んでいたノーヴィスは、メリッサの質問に目を
「うん? 建国神話のこと?」
「はい」
「そうだよ。あれが僕」
正確に言うと、ノーヴィスが王宮に絶縁状を叩き付けてから5日後のことである。
ノーヴィスが帰還した屋敷には、今日も柔らかな日差しが差し込んでいた。ノーヴィスの魔力が通ったことで息を吹き返した屋敷は、今日も魔法道具達の寝息を包んで静かに煌めいている。
今はお喋りの時間だから、姦しいファミリア達は居間から姿を消していた。恐らく警戒のために屋敷の中を巡回していてくれることだろう。
「ノーヴィス様と、相方の『
「あれは今の王家が権威付けのために盛大に話を盛っただけで、さすがにそこまでのことはしてないよ。僕がこの世界に生まれたのは大体600年前のことだし、国ができたのは大体500年くらい前のことだからね。僕は普通にできあがっていた世界に生まれたわけだから、僕よりも世界の方がうんと長命だよ」
「そうなのですね」
屋敷に魔力を吸わせたノーヴィスは、ボサボサの黒髪と紺色の瞳の姿に戻っていた。
戻る、というよりも、この姿は普通の人間並みに魔力を目減りさせた姿であって、本来の色は白銀と黄金であるらしい。『目がチカチカするから気に入ってないんだよね、本来の色』とはノーヴィスの
「常々疑問だったのですが、賢者は『白』と『黒』の二人なのに、なぜ世間一般では『色素が薄い人間ほど優秀な魔法使いになる』という考え方が浸透しているのでしょうか?」
王家に絶縁状を叩き付けて勝手に帰宅したノーヴィスだったが、帰還してからの日々は驚くほどに平和だった。
メリッサはてっきり王宮との戦争の日々が幕を開けるのかと思っていたのだが、来客も手紙の一通もなく、ノーヴィスは相変わらず居間のソファーで埋もれているし、メリッサはメリッサで日々メイド業務に
「そこは魔力保有者の割合の問題じゃないかな? 色素が薄い人間の方が平均して魔力を持っている率が高いそうだよ」
そんな驚くほど平和な午後。
メリッサが口に出した素朴な疑問に、ノーヴィスは楽しそうに答えていた。
「サンプルの人間の数が増えれば、魔力が高くて色素が薄い人間の数は順調に増えるけど、色素が濃い人間はずば抜けて魔力が高いかすっからかんかの両極端が多いから数自体は増えない。だから結論が『色素が薄い人間ほど優秀な魔法使いになる』に帰結することになんじゃないかな?」
「なるほど」
「まぁ、あと理由を上げるとするなら、初代の『
さらにはそんなぶっちゃけ話までもが飛び出してくる。
「惚れっぽくて惚れたら一直線でさ。僕を放置して魔力を持たない女性と駆け落ちして、で、その女性と人生の時間を合わせるために自分から命を削ったの」
「え」
「『白』は僕が初代だけど、『黒』は……えっと、当代で6人目、かな? 当代は歴代最長老で、今120歳くらい?」
「! 『
目を
そんなメリッサにもノーヴィスは穏やかに頷いて答える。
「うん。20年ちょっと前までこの屋敷で暮らしてたんだけど、ある日一目惚れした女性を追っかけるために出て行っちゃって」
「……ノーヴィス様、もしかして、歴代全ての『黒』に置いていかれて……?」
「そうなんだよ。歴代みんな女の趣味が最悪」
「……はぁ」
「まぁそんな感じで、『黒』は命の
結構重大な世界の秘密を実に軽やかに暴露しながら、ノーヴィスはカラカラとグラスの中の氷を揺らした。
メリッサが全神経を集中させて精製した氷は綺麗に透き通っていて、まるで光を身に宿しているかのような輝きを見せている。どうやらノーヴィスはその輝きをお気に召してくれたようだ。
「ノーヴィス様、もうひとつお伺いしても良いでしょうか?」
そのことにまた心を温められながらも、メリッサは表情を引き締めて居住まいを正した。そんなメリッサにノーヴィスはいつもと変わらない仕草で小首を
「ひとつと言わず、いくらでもどうぞ?」
その言葉にコクリと喉を鳴らしたメリッサは、至極真剣に、至極今更な問いを口にした。
「私達は、こんなに平和に過ごしていても良いものなのでしょうか?」
「ん?」
「ノーヴィス様は、王宮に
そう。ここに戻ってからの日々は、あまりにも平和すぎるのだ。
ノーヴィスはノーヴィスで何事もなかったかのように生活しているし、王宮側からのアクションもない。
「そうだね」
「でしたら、逃走するとか、追撃をかけるとか、そのような行動を起こさなくても良いのですか? 先方の出方を待って後手に回るというのは、下策ではないかと思うのですが……」
ノーヴィスが王宮の手が届かない場所まで逃げるつもりなら、メリッサはどこまでもついていくつもりだった。逆に二度と王宮が自分達に手を出そうなどと考えられないように徹底的に叩くつもりなら、それもそれで同行するつもりだった。
メイド業務の
「んー、待ってはいるんだけども。待ってるのは先方の動き方ではなくて、立候補者なんだ」
問いかけるメリッサの前で少し宙に視線を遊ばせたノーヴィスは、言葉を選びながら口を開いた。
「立候補者?」
「ほら、僕最後に言ったじゃない? 『僕が気に入る提案のひとつでも寄越してこれば、助けてやらないこともないよ』って」
その言葉にメリッサはあの夜のことを思い出して神妙に頷いた。
ついでに間違いも思い出したので訂正も添えておく。
「その後に『使者とかもういいから、とにかく僕に関わらないで』という発言をされていたので、正確に言うならば最後から二番目ですね」
「ん? んー、確かにそうかも」
教えられたノーヴィスの
──あれを見てよく分かりました。ノーヴィス様は、レンシア通りの一件の時でさえ、己の魔力をセーブしていたのだと。
ついでにノーヴィスは指の一振りで王宮を破壊していたようにも見えた。
直前にノーヴィスがメリッサのフードを引き下げてしまったせいでメリッサにはよく見えていなかったのだが、魔力のうねりと音と炸裂した光でノーヴィスが光弾を放ったことは分かっている。
規模にもよるが光弾は何かにぶつけて停止・吸収させないといつまでも突き進んでしまう性質を持っているから、恐らくは王宮の建物に向かって放ったのであろうということも予測できている。
──ノーヴィス様が本気で光弾を放てば今頃この辺りの土地一帯は焦土と化しているのでしょうから、恐らく威嚇程度のものだったとは思うのですが。
「ま、とにかく、あんまりにも馬鹿しかいないから、真面目に王を選ぶのが馬鹿らしくなってきてさ。いっそのこと国政なんか抜きにして、僕が一番満足する取引を持ちかけてきた人間の味方をしようと思ったんだ」
だからその『提案』を持ってくる『誰か』……『
「あと、王宮に追撃は不要だよ。もうすでに機能が停止してるだろうから」
「ノーヴィス様が放った光弾で王宮の建物が破壊されているからですか?」
「あれ。気付いてたんだ。僕があいつらに向かって光弾を放ってて、それが王宮に当たってるって」
「直接見てはいないので被害の規模は分かりませんが、魔力のうねりと状況から考えて、そうなのではないかと」
「すごいなぁ! やっぱりルノは優秀だね」
「恐れ入ります」
メリッサの言葉にノーヴィスは嬉しそうに笑った。
話している内容はどこまでも物騒であるはずなのに、ノーヴィスの語調はメリッサの家事を褒めてくれる時とまったく変わらない。
それがいいことなのか悪いことなのかはメリッサには分からないが、ノーヴィスの言葉は相変わらずメリッサの心をほわりと温めてくれた。
「まぁ、それもあるんだけれども。『穢れの塔』から
「それも気になっていたのですが。あの勢いで影が増殖し続けたら、いずれは王都ごと堕ちるのでは?」
「それは大丈夫。万が一『穢れの塔』が壊れた時は、王宮の外周を結界にして王宮の敷地内で力を受け止められるように設計されているから。だから堕ちるとしたら王宮の敷地だけだよ」
あの王宮、僕と初代の『黒』で創ったからね、とノーヴィスは笑う。メリッサは『ならば大丈夫か』と頷くのみだ。
だからメリッサは別の疑問に小首を傾げた。
「ノーヴィス様が満足するご提案、とは、一体どのようなものなのでしょうか?」
古い古いおとぎ話の登場人物である『
確かにそんな人物であれば権力にも名声にももはや興味はないだろう。金銭にも関心はないようだったし、衣食住にも特にこだわりは見えない。
こういう人物との取引ほど難しいものはない。何せ何を提案すれば興味を持ってくれるのか、とにかく
「なぁに? ルノ。僕と取引して王になる?」
真剣に考えるメリッサにノーヴィスは身を乗り出しながら首を傾げた。分厚いレンズの向こうにある瞳がトロリと甘くとろけている。
「ルノが望むなら、ルノを王にしてあげるよ? 国を創ることも、潰すことも、ルノが望むままに僕が叶えてあげる」
「いえ。王権などに興味はありません」
だが真剣に考え込んでいるメリッサはそんなノーヴィスの変化には気付いていない。ノーヴィスの言葉にも『確かにノーヴィス様が本気を出したら、世界を終わらせることなど簡単にできそうですね』と思うだけだ。
「ただ単純に、ノーヴィス様が何に喜んでくださるのか、知りたいなと思っただけで」
だからこそ、そんな言葉が無防備に口からこぼれ落ちる。
メリッサの言葉にノーヴィスは言葉を失ったまま目を
「取引などなくても、ノーヴィス様には、幸せてでいていただきたいので……」
「……ルノがそのままでいてくれれば、僕はもうそれでいいよ」
ノーヴィスはゆったりと瞼を閉じると、噛みしめるように静かに答えた。そこでようやくメリッサは伏せていた視線をノーヴィスに向ける。
「ルノが僕の
レモンスカッシュのグラスを両手で支え、静かに笑うノーヴィスは、いつにも増して穏やかだった。満ち足りていることが、その空気で分かる。
しばらくそんなノーヴィスに目を
「控えめすぎませんか?」
「そう?」
「私は真剣に、ノーヴィス様にもっと幸せになっていただきたいのです」
「んー、じゃあ、今度また一緒にエレの所に行ってくれる? 秋物服の注文をしようよ」
「ノーヴィス様、また私の衣装を増やしてどうしようと……」
はぐらかされた気がしたメリッサは思わず身を乗り出してノーヴィスに詰め寄る。
だがその瞬間、チリンチリンッと微かに聞き慣れない音が聞こえた。
「おや? 珍しい」
一体何の音だろうとメリッサが身を固くする中、ノーヴィスは顔に驚きを広げながらパチリと目を開いた。
「これ、呼び鈴の音だよ」
「えっ!?」
つまりこの屋敷に来客があったということだ。玄関前の落とし穴を避け、呼び鈴の仕込み針をかわし、礼儀正しく来訪を告げた客が今、屋敷の玄関の前にいる。
メリッサは慌てて居間を出ると玄関に走った。その間にまたチリンチリンッと控えめに二回目の呼び鈴が鳴らされる。
「お待たせしております。申し訳ありませんが、もう少々お待ちくださいませ」
もちろん、警戒心は忘れていない。メリッサはコルセットベルトから白銀の短剣を抜くと右手の袖元に忍ばせた。それから覗き窓に目を近付け、外を確かめる。
その瞬間、外から柔らかな女性の声が聞こえてきた。
「遣いを立てない急な来訪で申し訳ありません。サンジェルマン伯爵にお目にかかりとうございます」
「っ!?」
聞き覚えのある声にメリッサは慌てて玄関ドアを開く。
その先に立っていたのは、気品を湛えて優雅に立つ初老の女性だった
「バーネット学院長っ!?」
「お久しぶりですね、ミス・カサブランカ」
王立魔法学院学院長、シェリー・ジェーン・バーネットは優雅に微笑むと柔らかな声のまま告げた。
「取引に参りましたよ。ノーヴィス・サンジェルマン伯爵様は、わたくしに会ってくださるかしら?」
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