第9話

 レーリアは幼いココナの顔で笑っている。歯を見せて引きつったような、汚らしい大人の笑みだ。

 

ココナの頬は氷を当てられたようで、ひどく冷たい。

 

視界がだんだんと狭まっていき、記憶や知識が急にランダムにフラッシュバックして、消える奇妙な感覚をココナは感じる。


 ココナの頭頂から大切な何かが吸いだされ奪われていく感じがする。

 ココナは恐怖の中で、どうしたらいいかと必死に考えをめぐらした。


 とっさに、痛みだと気づき、自分を失わないようと前歯で指の肉を噛んだ。

 鋭い痛みと、血が流れる出る感覚がして、少し正気を取り戻す。


 そこで、なぜか母親のことを思い浮かんだ。

『母さんごめん私は死ぬかもしれない』 


 母は変わり者だったと思う。自分というものがなく、いつも頼りなく、気分に流され、考えたりが得意ではなかった。


 そして、ココナには信じられないことに父を盲目的に信じていた。

 子どもにはわからない夫婦の世界があったのかもしれない。


 そんな母親は長兄ばかりかわいがっていた。

 それでも、ココナや他の兄弟たちにたまに声をかけてはくれた。楽しかった記憶もある。


 必死に抗うが、身体は徐々にこわばり、ひどく寒い。痛みすら感じなくなって、記憶が流れ思い出せなくなっていく、そして、光が消え暗くなって、ココナの世界は失われた。


***


 レーリアはココナを吸収する中で、背筋が溶けていくような、愉悦、快感と甘美さを感じた。

 そして、すっかりと記憶と人格の蜜を飲み干してしまうと。


 いつもの事だが、もっとこの至高の感覚を味わっていたかったと思った。

 こうして、レーリアはココナ・リンドの肉体と知識を手に入れたのだ。


 ココナ・リンドか、どこかの良いところの娘だろうか、のほほんとしていたが、しっかりと自我があっておいしい魂だった。


 しかし、まだ、ココナは完全に死んではいない。ココナは吸収されたが、まだ、魂はこの身体の中で生きていた。


 ココナの魂はレーリアの内にあって硬い芯のような感覚で、まだ抵抗してきているのがしっかりと感じられた。


 レーリアは右手の人差し指から激しい痛みを感じた。

「畜生、くそ、痛い。あの小娘、自分の指を噛みやがった」


 レーリアは血を止めようと、痛む、指の噛み傷をもう片方の手で押さえつけた。


***


 肉体の主導権を奪われたココナはどうすることもできなかったが、しっかりと意識は存在していた。


 その意識をレーリアに向けると、レーリアの視覚をとおして、外の状況を、理解できたのだ。


 ココナは今度は意識を慎重にレーリアの内側に向ける。


 すると小さな、小人ほどになったガロキンの姿を見つけた。

 ココナは驚く、ガロキンは生きていた。というよりもまだ存在しているのだ。


 ココナはガロキンに必死に話しかけるが、言葉は届かなかった。

 向こうはこちらに気が付いているのだろうか、それもわからなかった。


 しかし、ココナはガロキンが存在していることに、少し勇気づけられたのだった。


 そして、ガロキンもまた、身体の主導権はとられてしまっていて、傍観するしかなかないようだ。


***


 完全に吸収してしまうまで、どの位かかるだろうか、三日くらいはかかるだろうか。

「フフッ、こうやって私の知識と記憶になりみんな消えていくのよね」


 レーリアはおかしくて笑った。

「私の身体をかえしてよ」


 ココナは大きな声を上げ抗議する。

 レーリアはそれを無視して、廟の外へ向かった。


 新しい身体を手に入れ、さて、ここからどこへ向かおうか。

 試しにどこかの王にでも成り代わり、その国で殺し合いでもさせて阿鼻叫喚のどん底にでも放り込んでやるか。


 レーリアは高位の魔族で、精神体になり、様々なものに乗り移ったりするすべを持っていた。

 ある時、その力をもってして、魔王に成りかわろうとして、裏切り、身体は滅せられ、あの墓所へ封印された。


 だが、レーリアはしぶとく死ななかった。どんなにしても存在を消すことはできなかったのだ。

 レーリアは力をほとんどなくしたが、虫のように小さいものから、同胞の魔族、浮遊霊、探索者などの魂を喰らい力を蓄えて復活せんとしたのである。


 レーリアは、この自分の復活の糧となる魂が迷宮のこの廟にやってくるの待った。

 待つことしかできなかったが、獲物をおびき寄せるすべも獲得していった。


 そして、永遠とも思える年月を超えて、復活しようとしたのである。

 その間、魔族たちは国を失い、散り散りになってしまっていたようだ。


 もちろんレーリアは魔族がそんなことになっているとは知るすべもなかったし、知ったとしても何の感慨も持たないだろう。


 それよりも他者の魂と肉体を喰らい、復活を遂げんとする生に対する執着と、この世のあらゆる知識、快楽と感覚の追及を成し遂げたいとするあくことなき欲望がたぎっていたのである。


 とうとう、力を溜め、貧弱といえども小娘の肉体を手にした。

 レーリアは外の空気を吸うと、その場でクルクルと踊った。

 実に愉快な気分だった。


***


「あそこにいるのはココナさんでは?」

「あっ、居た居た。ココナ、時間になったら下で合流だって話したろ」


 メイとミーシャだった。集合時間を過ぎていたので探しに来たのだろう。

 ココナは「ダメ、逃げて!」と叫びたいのだが、それを伝えることはできない。


 レーリアは、適当なことを返す。

「すみません。採集に手間取ってしまって」


「そうか、まあ、いいや、行くか?」

「あれ、ココナさん、マジックバックはどうされましたか?」

「マジックバックは…」


 まさかもう二人いたとは思いもしなかった。

 それに、廟の中にあるココナが持ってきたマジックバックの事はすっかりと忘れていたのである。


 レーリアは二つの失敗をしたと感じた。挽回すべく素早く次の奸計をめぐらす。

 この二人のエルフを廟に連れて戻って、逃げられないところで、喰ってしまうか。特に大きいエルフは身体も極上だから奪おうか、それがいい。


「ああ、ごめんなさい、忘れてました、マジックバックは後ろにある黒い廟の中です」

「ココナさん、ちょっと聞きたいことがあるの、いい?」


「はい?」

「ココナさんが中華飯店でいちばん最初に食べたのは何だっけ?」


 メイが突然、質問をした。もちろんココナならすぐに答えられる質問である。


「えーと、うーん」

 レーリアは必死にココナの記憶をまさぐるが、それにあたる何かを探し当てることが出来ない。


 レーリアが見た事がないものだからだ。ココナの記憶を閲覧することはできるが、見当をつけることが出来ないものは答えることはできなかった。

 ミーシャが怖い顔でにらんでいた。


 どうやら不審に思っているミーシャにココナは「気が付いて」と祈った。

「お前、手、ケガしているんじゃないか、さっきから血の匂いもする」


 レーリアは右手を体の後ろに回した。

「ココナさんすぐに手当します。こっちへ来てください」


 レーリアはメイとミーシャから後ずさった。逃げようとするが、すでに後ろにはミーシャが回り込んでいた。


 ミーシャが腕をつかんで押さえつけ、レーリアはあっさりとつかまってしまった。

「なぜ逃げる?ココナじゃないな?お前は誰だ?」


「な、何をするんですか、やめてください。私は正真正銘、ココナですよ」

「あなたは魂の色が違います。ココナさんではありませんよ。ココナさんに何をしたんですか?」


 レーリアは乗り移った相手の体力や能力を利用すること、狡知にはたけているが、自分自身は無力である。

 だから意外に強い、ミーシャの手を振りほどくことはできない。


『良かった。気が付いてもらえたようだ』ココナは安堵するが。


「くそ、こうなったらお前らも喰ってやる」

 レーリアは手を伸ばしミーシャに触れるが、あっさり乗っ取りを弾かれてしまった。幾度か同じことをメイとミーシャに試みるが全て失敗した。


 レーリアは予想外の事態に困惑するが、原因がわからない。乗っ取れない相手がいる、長い時を生きてきたがこんなことははじめてだ。


「ココナを乗っ取ったお前、アンデッドか霊体の魔物だろう。私は知っているぜ、とっかえひっかえ人の体を乗っ取って、悦に入っているクズをな」

 乗っ取りも失敗、正体も推定され、レーリアの表情から余裕が消えた。


「どうしてわかったかって?あなたに言っても分からないかもしれませんが、私とミーシャは探索者の経験が長いし、霊体と身体の専門家でもあるんですよ」


 レーリアはショックを受け、のけ反りそうになった。

「何を言っているの、私ココナだよ」

 破れかぶれに三文芝居を試みる。


「今さら白々しい、くだらない演技はやめな、私とメイは魂の形がわかる。お前がいくらココナだと言い張ってもわかるんだぜ」


 こうなるとレーリアは哀れな存在だった。

 メイとミーシャに押し倒されると、あっさりと捕縛されてしまったのである。

 

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