第8話
黒い廟は至近では大きな建物だった。
光を全く反射しない黒いモノトーンの外壁が小さく見せていたのかもしれない。
ココナは抑えられず食べてしまった魅惑の果実?の芯を捨てると、そのまま元来た道を引き返そうとした。
すると、黒い廟の扉がほんの少しだけ開いていることに気がついた。
お墓参りに来ている人がいるのだろうか、それとも開けられているだけか、わからない。
ココナはドキドキしながら中をそっと覗く、中は明るく、照明がついていた。
やはり誰かがいる。
ダンジョンの深層のある半ば遺跡になったお墓に誰かが来ているのだ。
それともココナの嫌いなアンデッドがよみがえって、徘徊しているのだろうか。
危険ならば逃げてしまおう。
しかして、その光景にココナは息をのんだ。
それは全く違って懐かしい光景だったのだ。
***
ココナがよく見ていた景色、幼いころに暮らした官舎の中の光景だった。
だが、ココナは背中に虫の這いずるようなうす気味の悪さを感じた。
それは、侵入者に対して現れるタイプのトラップかもしれないが、ココナの事を知って、誰かがこれをしかけているから。
そこにいきなり個人的な領域へと踏み込まれる悪意といたずら心が感じられたからだ。
しかし、ココナは室内を確かめずにはいられなかった。
扉を開け、中に入り、壁をさわりながら進む。
記憶の間取りのとおり玄関から進むと、吹き抜けになった広間があり、左側に食堂、右側に父親の書斎があった。
中央には階段があり、上がると寝室、両側の廊下には子ども部屋が並んでいた。
王国が下賜するレンガ造りの中級官僚向けの役宅、隣もつながっていて、メゾネットタイプだが、小さな館みたいな作りになっている。
地下室もあり、物置になっていて、そこには保存食品やがらくたなど雑多なものが置かれているはずだ。
父親の放蕩によって、家族が立ち行かなくなって、この官舎すら人に貸すことになり、一家はダウンタウンの寂れた集合住宅を借りて住むことになったが、ココナは中等学校に入学する前まで住んでいたのだ。
広間は父親がパイプで吸っていた、良くない混ざりもののタバコの独特な香りがした。
それと同時に、ココナは家族に起こったことをあふれ出る水のように思い出した。
幻だとわかっていても思わず涙がこぼれる。
たまに良いこともあったし、悪いこともあったから。
どちらかというと、父親の素行で嫌なことの方が多かったが、しばらくココナはそのまま立ち尽くし、思い出にひたっていた。
すると今度は向こうから、話し声が聞こえてきた。
聞いたことのある声、ココナは少し興奮して、そちらに足を向ける。
食堂の扉の向こうから話し声がしていた。
ココナは一瞬、躊躇するが意を決して扉を開く。
***
果して、そこには懐かしい光景があったのだった。
既製品の、何の変哲もないが、母が好きなラベンダー色の壁紙、味わい深いエボニーのテーブルと椅子があり、そこにはココナのよく知る人たちがいた。
父親が、母が、長兄と次兄、長女、二女がいた。
皆若く、髪型が若々しく、十年ほど前の光景だった。
ココナは思わず自分の手を見たが、それは今の自分の手だった。
これは夢か誰かが見せている幻だとはっきりわかったが、どうすることもできなかった。
何を言っていいかわからないまま、ココナにいちばん良くしてくれた長女が笑いかけてきた。
「ココナ、何そんなところで立っているの?ここにきて座りなさい」
屈託のない笑み、一家が傾く前は、こんな笑い方をしていたっけとココナは感じる。
ココナは言われるがままかつて自分の座っていた席に座った。
ああ、そう言えばこの席からの眺めは私がよく見ていたなとココナは思った。
目の前にはスパイスを贅沢に使ったチキンのソテーや手間暇のかかるコンソメスープ、生野菜のサラダのボウルがあった。
シャンパンがそそがれ、パンの籠が、果物がふんだんに盛られた器が中央に置かれている。
ココナはこれらの食べ物に猛烈な違和感を感じた。
「これがいつもの食事?ちがうよ…」
ココナは独りごとを言った。
こんなレストランのような食事は誕生日でさえ出たことはない。
たいていは黒パンやマッシュポテトに缶詰の野菜とスープの保存食ばかりの、おいしくない料理だった。
ココナにとっての食事とは、おいしさはなく作業に近かった。
父親のつまらない話を聞き、みんなと顔を合わせ、必要事項を互いにチェックして、挨拶をして終わる。
「こんなのはウソだよ!なかったよ」
ココナは敢然と立ち上がって言った。
間違っていると思ったから、ココナの家族にはこんな食卓はなかった。
「ココナ座って、今は食事の時間よ」
自分とは遠かった次女が言った。
「はははっ、ココナどうしたんだ?体調が悪いのか?」
長兄が笑ったが、目が笑っていない。
「いつもココナはポンコツだからボケているのだろう」
毒舌の次兄が言った。
父親は黙っていた。
そうだ、父親はたいてい黙っていた、でも酒が入ると、饒舌になり、くだらない損得の独り言にはじまり、そのうちなんにも根拠のない儲け話のこれからを延々と語った。
それから、機嫌が悪いと家族一人ひとりを順番に文句を言うのだった。
いかに自分が不当に貶められているか、認められていないのかという不満だった。
大きな声でひどい口調でヘドロのような言葉を吐きかける。
言われる方はたまったものではなく、ありていに言えばこれは言葉の暴力というやつだ。
ココナは幼いころ言葉の毒をあびせかけられ耐えていた自分を思い出す。
しかし、自分はもう子供ではないし、怖くもない、どうせこれは幻だ。
言い返してやれ。
「いつもの話は?株の話は?いい競走馬を見つけたとか言っていたじゃない。父さんはいつも自分が大事なんだよね。独りで自分の世界に生きているだけじゃない?一度だってみんなの、私の話を真剣に聞いてくれたことなんてあるの?」
ココナは言えなかった、押し込めていた本音を叫ぶ。
「どうしたんだ?ココナ、楽しく食事をしようよ」
「楽しくなかったよ。こんな虚像、誰が見せているの?出てきてよ」
「ココナ、いい加減にして、楽しく食事をしましょうよ」
「ココナ、楽しく食事をしようよ」
「ココナ、おいしい食事はたのしいよ」
「ココナ、おいしく食べないと、小さくなっちまうぞ」
「やめてよ、こんなウソは」
音もなく、官舎の食堂の壁が溶けていく、父も母も、兄姉たちも溶けていった。
偽りの光景が消え去った後、真っ黒の箱の中には、暗い中に祭壇があるだけ、その前に、幼いココナと今のココナだけが残っていた。
「楽しかったかな?」
「楽しくなかったよ、昔から家の食卓は」
「君の望むビジョンを見せたつもりだったんだがな」
「あなたは誰?何が目的なの?」
「私の名は魂喰いレーリア、それはたんなる二つ名だが、真名はそのうちわかる」
「真名?どういうことなの」
「自我がしっかりあるね、とても旨そう、私はそういう君の魂を欲している、ようするに魂を食べたい」
「魂?私の?」
「ああ、そうだ。出来れば身体も使わせてもらいたい。先に転がっている男の身体は少々、私自身かなり抵抗がある」
暗くてわからなかったが、目を凝らすと祭壇の下にはレーリアが言うように、何かが転がっていた。
ココナが目を凝らすと、なんと常連の糸目のガロキンだった。
息をしているように感じがなく、すでにこと切れているようだ。
ココナは恐怖を感じ助けを求めようにもメイとミーシャはいない。
そうだ、魔法、杖を、震える手でどうにかマジックバックから取り出すと、詠唱する。
「わ、我は命ずる、深き深淵から来たれ、炎よ」
しかし、まったく魔法は発動しない。
「魔法はこの中では発動しない」
「私を食べるの?」
「そうだが、君は死なない、私の一部となるだけだ、恐怖という感情は無用だ」
レーリアは手を伸ばしてゆっくりと近づいてきた。
『絶対的な悪意とは』
ココナは尊敬する老教師の言葉を思い出した。
逃げようとするが、恐ろしさで体が動かない。
氷のような冷たいレーリアの両手が、ココナの頬を掴んだ。
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