第3話

 この店はダンジョンの壁に埋まっている。


 どうやって造られたか理解に苦しむ、なぜなら、技術的に不可能だと思われるくらい壁に密着しているからだ。


 隣にはまだ行ったことはないが、食料品を含む雑貨屋があり、その隣には宿屋がある。


 対面には深く谷状になっていて、温泉もあり、下には小川も流れている。

 店主が言うにはこの水はきれいな湧水で飲めるという話だった。


***


 店に戻ると包丁の音が聞こえる。

 この店主が、料理を始めるとどうだろう。


 その姿は熟練しており、動作によどみはなく、いくつもの料理を同時に作ってしまう様は、魔術師の私を推して魔術なのかと思わせるほどだ。


 彼が食材を刻み、鍋を振る姿は、歴戦の勇士にもみえて、みとれてしまう。

 ココナは自分が強い人間にひかれる性分であることを知っている。


 はじめはそれが父親だったが、様々な遊興に打ち興じ、ご機嫌取りに子どもを安っぽい言葉でほめそやすか、感情にまかせて怒るだけで強さなどないことに気が付いた。


 学校の先生、魔術の師などその地位は常に入れ替わっていったが、どの人間も最後は失望へと落ちた。


 誰の話でも言葉に力がないと思うと、耳を通過するだけで、心には何も残らなかった。

 そこで自分が強くなるしかないとココナは思ったのだ。


 だが、ココナ自身が強くなろうと魔術も頑張ったが、それほど強くもなれなかった。

 結局、ココナは空想の中に強さの理想を求めた。それは信仰にも近いものだった。


 家族は私を愛してくれたと思う。しかし、ココナは何とも言えない不安に常に駆られていた。

 私が強くなればそんなことを感じなくなるのに、とココナは思った。

 

 

***


 晩飯、夕方の賄を作っている。ココナは見学だ。

 平たい、店主の言うちゅうかぼうちょうというナイフらしいが、それで肉を切り、野菜を同じ大きさに切り分ける。


 コンロという火の魔道具に点火すると、そこには黒い大きな丸い盾のような鍋がかかっている。


 鍋をあたため、煙の上がる寸前で、おたまという銀色の道具で、油をいっぱいに入れ、油入れに戻し、薬味を入れる。


「ニンニク、生姜、豆豉を入れてちょい炒めて香りを出す 」店主は作り方も教えてくれる。私はメモをとって覚える。


「ひき肉を入れて火がとおったら、豆板醬を入れる。それから鶏がらスープ、


 温めておいた豆腐を入れ、醤油、甜面醤、酒、砂糖を加えて煮立たせちょい煮たら、水溶き片栗粉でとろみをつけ、ごま油を回し入れて、器に移す。最後にネギを散らして花山椒をかけて完成だ。わかったか」

「全然、早くてわかりません」


「だろうな、まあ、そのうちお前にも出来るよ。とにかく中華は火だ、流れるような動作の中で、火を自由自在に操って、素材の味を引き出すんだ。ここぞというときに強火だぞ」


 言っている意味が解らない。調味料、素材、みんなはじめて聞くものだ。

「いいから、食ってみろ。ライスに乗っけて食べると至福だぜ」

 店主は麻婆豆腐を私の前に置いた。いい匂いがする。


 私はライスに麻婆豆腐を乗っけると、レンゲで口に入れた。熱い、突然の焦熱地獄に吹き出しそうになるが、ギリギリで踏みとどまる。熱さの次は辛さ、そして、しびれがやってくる。


「辛くて、口がビリビリするけど、おいしいでふぅ、なんすかこれ」

「麻婆豆腐だよ。四川料理の一つだけど、町中華風にしてある」


「店主、町中華とはなんですか?」

「町中華は町にある普通の中華料理屋のことだな、町はこっちの言葉でなんつったっけかな」


「言っている意味は分かります」店主の言葉は異国の言葉なんだが、意味が伝わってくる。誰かが翻訳してくれている変な感じだ。


「色々と疑問ばかりなんですが、中華って?それよりもこのお店は何ですか?店主はどんなひとなんですか」

「まあ、当然の疑問だよな」


「教えてください」

「わかってる、麻婆豆腐を食ったら、説明するから、まあ、それからだな」

「わかりました」


 後片付けが終わると、店主は説明するので店の裏側について来いという。

 店の裏側はダンジョンの壁に飲み込まれた形になっていた。


 勝手口から出ると、トンネルが続いている。店主が何かのスイッチをつけると、トンネルは明るく照らされた。


 店主が壁に立てかけてある大きな台車を押してきて歩き出す。


「さあ、行くぞ、もう少したら、店を開けるから、その前に向こうに色々取りに行く」

「向こう?」


「そうだ、この迷宮とつながっている俺のいる世界だな」

「もしかして、異世界ですか」

「そうだな、そういうことだ」


 それ以上、何を聞いていいかわからず、一瞬、沈黙するが、先に口を開いたのは店主だった。


「自己紹介がまだだったな、俺は坂下満だ、歳は43、亡くなった親父のやっていた店を引き継いで中華料理の店をやっている。あんたは?」


「ココナ、家名はロンド、魔術師です。私は栄えある宮廷魔術師の家に生まれ、魔術学校を優秀な成績で…」


「わかってる、あんたは良いとこのお嬢さんなんだよな。魔術なら知ってるぞ、うちの客はみんな探索者とかいう連中だ。そいつらも魔術を使うやつがいる」


「私も探索者でした。探索者になってお金を稼ぎたかったんです」


 ココナは強くなりたかったと言いかけたが、それはなぜか言葉にしなかった。

「あんたもか、でも、そういうやつは多いよ。ただ、命は大事にした方がいいな。ここじゃ簡単に人は死ぬから」


***


 そんな話をしながら通路を少し歩くと、扉があった。

 店主が鍵を取り出し、扉を開いた。


 中には四角い金属の容器や、乾物、果物、野菜などの食材が所狭しと積まれていた。


「これはみんな食材ですか?」

「ここは店の倉庫だ。向こうに扉があるだろ。あっちは俺の店で、ここはあんたの世界から見れば異世界になるな」


 店主の話は衝撃的だった。ココナは背中に何とも言えない電流が流れるような感じがした。


「そのぅ、扉の向こうを見てみたいんですが、いいですか」

「ああ、そのつもりで連れてきたからな、いいぞ」

 店主はその扉をいとも簡単に開けた。


 ココナに明るい陽光がさしんで顔を照らした。まぶしさから、手でそれをさえぎった。

 かすかに油の匂いが、様々な食材の匂いがしている。


 それ以外はさっき見たような光景、ステンレス製の調理台の上にまな板、水回り、コンロと鍋、寸胴、厨房の風景だった。


「ここも厨房ですか?」

「そうだ、こっちが本業のようなそうでないような、こっちへ来いよ店の外に出てみろよ」


 私はいわれるままに、店主が開けてくれた扉から外へでた。冷たくて静謐な冬の空気が頬を撫でていく。


 奇妙な服装をした人たちが、足早に歩いて行った。大きなガラス張りの建物が建っている。馬車が自走していた。


 ココナは目をつむってみる、幻影の魔術か幻想を見ているのではないか、そう思ったのだ。

 そして目を開ける。目の前のものは変わらなかった。心臓がバクバクいっている。


「もう戻った方が良いな、座って落ち着いたほうがいい」

 ココナは店へ入って椅子に座った。


「ここは異世界です。そうです間違いない」

「そうだ、あんたのその反応は正しい。俺もはじめて向こうへ行ったときしばらく放心していたからな」


 そこへ店の扉が開いて、ダウンジャケットを着た若い女性が入ってきた。

「あっ、おはよう、お父さん。こっち来ていたんだ」


「おはよう美智はやいな」

 店主は親しげに挨拶する。


「あれ、その子は?」

「こいつは向こうの世界で雇った見習いだ。ココナって言う名前だ」

「へえ、よろしくココナ」


 ココナは驚きで返事をすることもできなかった。この大男に娘がいるとは。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「こっちの店は娘の美智と妻のやよいに任せているんだ」


 美智は背が高く、はっきりとした顔だちをしていて、声が大きく、店主とつながりがあると言われればそうなんだろうと言う感じがした。


 ふと、ココナは自分が家族とならんでどうみられるんだろうかと思った。

「さあ、掃除と仕込みを少し手伝うか、美智、ココナに飯炊きを見せてやってくれ」


「うん、わかった。じゃあココナ、こっちで待っていてよ。着替えてくるから」

「はい」


 店主はこちらの店の仕込みを手伝う気だ。ダンジョンの店ではそろそろ、開店が迫っている。大丈夫なのだろうか。


 しばらくすると、美智が厨房服に着替えてやってきた。

「はい、お待たせ、じゃあライスから炊いていくよ」


 美智はそういうと業務用の炊飯器に米を入れた。水を入れて、しばらく吸わせる。無洗米だから、洗う必要はない。


 その後、人がやってきて、カット野菜や卵、肉が届いた。

 美智が言うにはここは客が多いから、味を下げないように仕込み作業は出来るだけ省略しているという。


 搬入を手伝うと、冬でも暑くなってきた。

美智はコップにお茶を入れて持ってきてくれた。


「お父さんをどう思う」

「そうですね、難しいというか私にはまだ、あまりわかりません。とても強そうな人ですね」


「ははっ、なるほどね、確かに腕っぷしは立つね。あの人はやくざでも一ひねりだからね」


「料理がおいしいです」

「そうか、それは良かった。そうだよね。私もお父さんの料理を食べて、料理人になりたいって思ったんだ」


「はい」

「ただね、言っておくけど、お父さんは強そうだけど、本当に強い人間ではないよ。だからこそ、労わって欲しいんだよね」

「本当に強い人間ですか?それはどういうことですか?」


 ココナは意外な言葉が出てきて、驚いた。

「足の指をテーブルの角にぶつけて、痛がるのが人間だからね」


「それは…、そうですけど、それでは、世の中というか、無欠の理想人が」


 急にしどろもどろになってしまった。

「そうね、あー、ココナの言いたいこともわかるけど、すばらしい理想もどんな観念も人の中にあるんだよ、付け加えるなら悪もだな」


「肉体と精神がそもそも不完全な人間はその座には至れない。神にはなれないってことですか」

 思わず語気が強くなり、論理が飛躍する。


 美智は立ち上がると、ココナに顔を近づけて、言った。


「ははっ、いや失礼、しかし、そこに行くか、驚いた。ココナは神になりたいのか」

 美智は目を輝かせて実に楽しそうだ。挑発というよりも、好きな話なんだろうか。


 ココナは今までこんなことを誰とも話したこともなかったので、ドキドキしていた。


「ちがう、違います。たとえです。ただ、生きていくには偶像としても、拠り所としてもそういうものが必要じゃないですか」


「そうだね、ココナの言うことは正しい。じゃあ、うーんこれはやめておくか、いやはや人は一人では生きられないのさ。うちみたいな料理店なんかあるのはそれがあるからだからだね」


 美智は何か言いかけたようだったが、核心を避け、少しはなれたところに言葉を置いた。

「おい、ココナ戻るぞ、向こうに」


 そこで店主の声がした。

「掃除、終わったみたいだね、じゃあまたね、楽しかった。またあったら話そう」

 美智は手を振ると作業に戻っていった。


「はい、私も…」

 また、倉庫からダンジョンに戻る。


***


 ココナはいささか傷ついていた。

 異世界というこの世の神秘に接し、何と言えない万能感を感じたところで、美智と微妙な会話をしてしまったからだ。


 そして、美智はココナの理想に疑問を投げかけたからだ。

「ダンジョンと異世界がつながっているということがわかっただろ。こっちの世界と時間の流れが違うんだ」


「納得しました。外の風景には驚きました。店主に娘さんがいた事にもです」


「今日は来ていなかったけど、慎吾という下の息子もいる。慎吾は海外に行っているけどな」

「美智さんと話をしました。店主の料理を食べて料理人を目指したと言っていました」


「それはうれしいが、どうだろうな、まあ、美智は理屈っぽいだろ。あいつは哲学を勉強していからな」


「哲学ですか?」

「哲学とは美智の言葉を借りれば、人間と世界を考えることで、それは言葉であり、沈黙の海の底から浮かんできて、意味を成し我々を導くのだそうだ」


「難しいですね」

「うん、もしかして、ココナ、お前、傷ついているのか」

「傷ついてなんかいませんよ」


「美智は言葉がちょっときついんだ。気にする必要なんかないぞ」


 店主はココナの頭をぐしゃぐしゃとなで「そうだな、さて、開店だな。がんばるぞ」と言った。


 ココナは恥ずかしく、顔が真っ赤になるのを感じた。

 そして、無言で野菜や肉、調味料を載せた台車から、ステンレスの調理台に食材を移す。


 もうしばらくしたら客がやってくるらしい。


 ココナはまだ厨房にいても何もできない。だから注文を取って店主に伝えるのが役目だ。

 恥ずかしさと緊張と入交ながらココナははやく開店してほしいと思った。

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