第2話
もう午前十時を過ぎている。幸いかすり傷で、一晩寝るとすっかり元気になった。
ココナは無銭飲食を告白した時、ぶん殴られるか縛り上げられて、役人に突き出されると覚悟したが、それはいらない心配だった。
店主によると、ダンジョンの中という場所柄、無銭飲食はたまにあることで、その場合は当たり前といえば当たり前だが、店で働いてもらうことにしているそうだ。
それはもちろん謝罪した場合だ。
反抗したり、逃げ出すものもいるが、店主と常連が断固とした対応をしているとのことだった。
あの時、もし逃げ出していたらと思うと、血の気が下がる思いがした。
昨日は気が付かなったが、休んで正気を取り戻した私は店主が尋常ではない風貌の持ち主だったことに気が付いた。
見上げるほどの長身、鋭い眼光、鍛え抜かれた筋肉に、どこかの国の騎士団長と言われても不思議ではない容姿をしていた。
このマッチョ店主と歴戦の探索者と思しき常連たちに追いかけまわされ、どんな最期を遂げるのか分かったもんではなかった。
厨房に行くとすでに何か料理をしている店主に、店の外のがけ下に温泉が湧いているから、身体を清めてこいと言うのだった。
ダンジョンの中に温泉が湧いている。にわかに信じがたい話だった。
私にはいまだにこの料理屋がどこにあるのかもわからないので聞いてみた。
「ここは、迷宮のどこなんでしょうか」
「さあな、四十九階層だとか常連が言うにはそんなところだとか」
ダンジョンの中に料理屋があるのというのも驚きだが、店主が言うには、ベルガの大木戸という関所?詰所の近くにある。何軒かの店の一つなんだそうだ。
四十九階層、聞いたこともない深さだった。自分はどこまで落ちてしまったのだ。ココナはヘラヘラと一人笑いをすると、地上に戻れるかなと思った。
ココナの探索者としての力量では絶望を感じるほどの深さまでダンジョンの中を転げ落ちていたのだった。
外へ出ると店の前には馬車が通れるほどの道があり、崖になっていた。
店の明かりを頼りに目を凝らすと。
崖には石を積んだだけの小さな階段があり、そこを降りると硫黄の匂いがしてきていた。
崖から熱湯がちょろちょろとしみ出してきていて、粗雑な石積みの湯舟があり、小川の水と混ざってちょうどいい湯加減になっていた。
私は服を脱いで、湯につかった。
「ふう」
気持ちいい、いい湯加減だ。
ダンジョンの中だということを一瞬忘れそうになる。
そう言えば店主が石鹸が置いてあるからそれで身体を洗って来いと言っていた。
崖の岩のくぼみに置いてあり、それで身体を洗った。
よく泡立つ石鹸で、貴族ではないが専門官の一家に生まれた私はそれなりに贅沢を知っていたが、この爽快感ははじめてだった。
***
朝の賄、店主が持ってくる料理ははじめて聞くものだった。
「油条、ザーサイのみじん切り、昨日の餃子、ピータンをうすく切ったもの、中華粥に入れて、朝はしっかり食べる」
店主が粥を椀にすくって、私に渡してくれた。
なんともいい香りがする。
どろっとしていて穀物を煮潰したものか、すくって口に入れると、かすかに野菜と鶏のだしが効いていて、うすめの塩味が感じられ、滅茶苦茶うまい。
「お前、いい喰いっぷりだな、これを入れて食ってみな」
店主は粥に油条、ザーサイのみじん切りを入れてくれた。
油条、味のない細身の揚げパンだが、しみ出た油が粥の旨みを引き出してくれる。
それにザーサイの塩味と旨みが合わさって、うまさのコンボだ。
餃子をタレに漬け、粥と一緒に食べる。肉と野菜の餡から旨みがしみ出てこれも最高だ。
そして、ブラックスライムを薄切りにしたような、ピータン、食べるの躊躇するが、勇気を出して箸で口に運ぶ、腐っているのか変な匂いと、強い塩味が広がった。
「ピータンはどうだ?くせがあるだろう?それはアヒルの卵を灰に漬けて熟成させたものだ。それも粥に入れて一緒に食べてみろ」
「腐っているんじゃないの」
「ちがうちがう、そういう料理だ」
「わかった」
私はピータンを粥に入れて混ぜ食べた。
臭さと塩味は薄まり、粥と一体になって、チーズのような複雑な旨みが広がった。
「おいしい」
私は夢中になって粥を食べきり、幸せな気持ちになっていると。
「さて、食い終わったら、片づけて仕事開始だ」 店主は奥の棚から、白い上下の服を持ってくると、私に着替えて来るように言った。
***
白い上下の厨房服に着替え調理場に入ると、私も料理人になったような気がした。
食べ終わった食器を洗う。
しかし、ここの皿洗いは驚いた。使って、タレや食べかすがついている食器を機械が洗ってくれるのだ。
私は汚れをふき取った食器を機械の中に並べていくだけ、どんな魔道が使われてるんだか、私は機械の中に顔を突っ込んで探っていたが解らなかった。
もしかして、この店長はすごい人間なのでは、私と同じ魔術師なのかもしれない。
「おい、皿洗いは終わったか」
「はい」
私は皿洗い機の角に頭をぶつけた。
「ぐおおおっ、痛い」
「大丈夫か?なにやってんだ」
私は転げそうになったが、痛みをこらえ頭をさすって店長の方を見た。
「次は仕込みだな、お前、ニンニクのみじん切りは出来るか、後は野菜のカットは・・・まあ、無理そうかな、じゃあ掃除だな、店の前と中、塵や食べかす一つないように掃除する。いいな」
「はい」
掃除など、魔術の徒が行うことではない、そんな想いが頭をかすめる。
しかし、そんな思い上がりはしまった。私には一宿一飯の恩義が店主にある。
だが、私は掃除のやり方からわからなかった。私は立ち尽くしていると、店主はトングを持ってきた。
「ほい、これが道具だ。ダンジョンの中はゴミはほとんどないけど、まれに客が捨てていったゴミや魔物の死骸があるから、そのトングではさんでゴミ袋に入れてくれ」
トングとゴミ袋を渡されると、私は外へ出た。確かに店の前は、何も落ちていなかった。
振り返って、店を見ると、どういう明かりかわからなかったが、明るく照らされ、外観は赤く塗られ、小さな提灯が下がっていた。大きな看板には読むことのできない異国の文字で何かが書かれている。
周りを見回るとカラスくらいの吸血蝙蝠が死んでいた。それを布でも紙でもないゴミ袋入れると、店に戻った。
店主はテーブルと椅子を壁側に寄せると、何やら大きな音のする魔道具で作業をしていた。
「そこにモップがあるだろう。それで床を拭いてくれ」
「はい」
床を拭いていく。広くもない店なのですぐに終わった。
店主は厨房で別の作業を始めている。
「こっち、手を洗って来て、寸胴に水を入れってから、ここくらいまで入ったら、この蛇口をひねって止めてくれ」
「はい」
店主は長い野菜を切り、鶏のガラをざるにのせ、他の根野菜、キノコのほしたものを持ってきた。
私は蛇口を言われた通りひねって水を止めた。なるほど、小さな弁になっているのだおもしろい。
店主はそれらの食材を寸胴に入れた。
私が店主を見ていると「料理の出汁づくりだな、町中華の料理の多くはこれが基になるんだ」と笑った。
見たこともない食材、調理で下ごしらえが進んでいく、店主は機嫌が良いのか鼻歌を歌っている。
店主の手さばきはよどみない、野菜を刻み、飯を炊き、作業を見ているとだんだんとこっちも気分が良くなってくる。
「皿を拭いてくれ、拭いた皿はサイズごとにまとめてここに持ってきて、少しでも傷やひびがあったら知らせてくれ」
「はい」
「ニンニクの皮むき出来るか?薄皮まで剝くんだぞ」
「はい」
そんな作業をしていると半日ほどが経った。
次は何をするんだろう。
***
「まあ、いいや、お前、ココナとかいう名前だっけ、仕込みは終りだからいいよもう、ありがとう、行ってよし」
突然、言われた。
「はあ」
「もう十分働いたってこと、自分の食事代は稼いだってことだよ」
店主に言われて、次の瞬間に私の頭にひらめいたのは、まだここに居たいっていうことだった。
怪我の功名?大失敗がきっかけで、この店の料理に出会ったことは、実家の事ばかりで杓子定規だった私の人生の新しい扉を開くものだと感じられた。
それにこの店はなんだおもしろすぎる。
食べたこともないおいしい料理、見たこともない道具、それを作る店主の技術、それらは私の知る限り、この世界のものではないのではないか。
昨日、店長の作る料理を一口食べた瞬間から、そう感じた事だった。
実家やお金は何とかしなければならないが、こんなにそうないことから目を離してはいけない気がするのだった。
私は知りたい、だから絶対に留まらなければならないのである。
「魔術徒は探求の徒でもある。目の前の神秘に気が付いたら、理解しつくすまで探求をやめてはならない」魔術学校の恩師の言葉を思い出した。
私はプライドをグッと押さえつけて頭を下げた。
「お願いします。しばらくでいいのでここに置いてください」
「うん、お前さん、ここで働きたいのか」
「はい、なんでもやります。お願いします」
店主は視線をこちらに向けると、真面目な顔をしていた。
ココナは怖いダメかなと思うが、店主から返ってきたのは意外な言葉だった。
「まあ、いいか、人出が欲しかったから、それは願ったりだが、ひとつだけ聞いていいか?」
「はい」
「なんで俺に世話になりたいと思うんだ」
「えーと、あの、その、料理です。おいしかったから。後はお金がないからです。あと、地上に戻っても暮らしていけません」
「なるほど、じゃあ、料理をおぼえる気があるんだな」
これまた思ってもみない言葉だった。
店主のあの巧みな手がココナの頭をよぎった。
「覚えます。私、料理に興味が出てきたんですぅ」
「なんだか取ってつけたような言い方だな?」
「いえ、前から料理には興味がありました。おもに食べる方でしたが、作ることにも興味が出てきました」
この言葉に偽りはなかった。そう、作ることなどまるで興味はなかったが、
この男の料理を食べたことで何か、私の中で何かが変わったのだ。本当にやってみたいと思ったのだ。
「お前、調子が良いな、でも、うまそうに食っていたから、まんざらウソでもなさそうだな」
「はい、私は嘘はつきません。今まで正直者で通ってきたんで」
「まあ、わかった、調理から接客まで店の事は俺が教えてやるから、真剣にやれよ」
「はい、ありがとうございます。本気で頑張ります」
「うん、じゃあ、今からだいいな」
こうして、私は二階の座敷を部屋として、住み込みでこの料理店で働くことになったのだった。
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