第631話 漆黒の若芽

「げほっ」


 フィンがむせる。毒の霧が濃い。

 聖水で清められたハンカチであっても防ぎきれない毒気だ。

 フィンは訓練であらゆる毒に耐性を持つに至ったが、この毒はそれらのいずれとも違うので無効化しきれない。

 長くいれば死に至るだろう。


 だが同時に、ここが目的地だと確信した。

 最も毒気が濃い場所に相手の弱点があるのは生態として自然なことだ。


 ドロドロに溶けた土や木の中で、真っ黒な若芽が顔を覗かせていた。

 見たこともない植物だ。

 それ以上に異常なのは、その若芽の根元に小さな穴が空いていたことだろう。

 真っ黒で、底が見えない。毒の霧はどうやら穴から噴出されているようだ。

 どうやってそこから生えているのか皆目見当もつかなかった。


 世の中には不思議なことがいくらでもあるが、現実のものとは思えない光景だ。


 アズは気にせず躊躇なく剣を振るう。

 思いっきりの良さはたいしたものだ。

 使徒の力とやらを解放し、全力を出していたのはフィンから見ても間違いない。

 精霊すら打ち砕くほどの一撃が若芽に当たった瞬間、衝撃音と共に空気が振動した。

 アズの一撃では傷一つついていない。

 封剣グルンガウスの特殊効果が発動してようやく切れ目がついただけだ。

 信じられないことに、この若芽はとてつもなくタフで硬いということになる。


 アズが間髪入れずにもう一度剣を振ろうとしたので一旦止めた。

 なぜ止めるという顔をされたが、次の一撃でアズは恐らく力を使い果たして気絶する。

 特訓などで少しずつ力を使いこなしているアズだが、それでも負担が大きすぎるのだ。


 もしもう一度やってダメだった場合、エルザとフィンの二人になってしまう。

 エルザは得体のしれない司祭で、奥の手があるかもしれないが詰みの可能性もある。


 今できる方法で確実にこの若芽を排除し、事態を解決しなければならない。

 どうしようか悩んでいると、エルザがアズと共に後ろに下がるように指示された。

 何をするつもりなのだろう。


 エルザはハンカチを仕舞い、祈りを捧げる。

 こうしている時のエルザはまさに聖母といった様子で、神聖で厳かな雰囲気がある。


 エルザの周囲に光が溢れていき、力が満ちていくのを感じた。

 それはまるで大いなるなにかのようで、光に包まれると安心する気持ちになる。

 その光を右手に凝縮し、そのまま穴へと押し込む。

 光は吸い込まれるように漆黒の穴に入った後、巨大な光柱となって天へと伸びた。

 穴が光に塞がれて見えなくなる。

 その衝撃の毒の霧も吹き飛んでいく。


「アズちゃん、今なら斬れる」

「いきます!」


 エルザの合図と共にアズが再び剣を振るった。

 先程と同じように斬撃は若芽を切断できなかったが、追撃の発動で茎の切断に成功した。

 その瞬間、感じていた嫌な気配が消える。

 同時に周囲の蚊の魔物が地面にバタバタと落ちていき、空気中の毒の霧が霧散していった。

 どうやら、駆除に成功したらしい。


「はぁ~」


 緊張とハンカチでの息苦しさから解放され、息を吐きだす。

 思いっきり吸っても奇麗な空気だ。

 空気が美味しいって幸せなことなんだなと思う。

 思わず腰をついてしまったが、腐った地面もいつの間にかただの泥になっていた。


「やったじゃない、アズ。エルザ」


 健闘を称えようと二人の方を向いたら、地面に突っ伏していた。


「……なにやってんの?」

「全身に力が入らなくて立てませんっ。うぅ」

「私も同じく疲れちゃいました。運んでくださいね」

「嘘でしょ? 二人とも私が運ぶの?」


 呆れた顔をしたフィンは、バカらしくなりつい思いっきり笑った。

 生きているからこそ笑える。馬鹿らしく思えるのだ。


 立ち上がって、二人を引きずる。

 泥で汚れるが、それくらいは我慢して欲しい。

 アズは軽いが、エルザはやや重い。

 肉付きがありスタイルが良い分重量があるに違いない。


「あ、もしかして重いって思いました?」

「別にぃ」

「本当ですかぁ?」

「あんまりうるさいと置いていくわよ」

「そんなぁ」


 ごちゃごちゃ言いながら移動する。

 アレクシアとエヴァリンのいた位置まで戻ってくると、二人は集まって何かを見ていた。


「ちょっと、あれはどうなったの?」

「お帰り。色々あったみたいだけどご苦労さま。これを見て」


 アレクシアに言われた通り足元を見てみると、小さな草の塊がいた。

 手のひらサイズの物体だ。


 エヴァリンはそっとその草玉を拾い上げる。


「これが森の精霊よ。ほとんど力を失ってしまって精霊石になるだけの力も残ってないみたい」

「……これからどうなるの?」

「自然に帰り、再び生れ落ちるでしょう。数十年か、あるいは数百年後に」


 精霊の滅ぶ瞬間なんて誰も見たことがない。

 エヴァリンの言った通り、森の精霊だった草玉はゆっくりと崩れていき消えていった。


「大丈夫。もう穢れは残ってないから、正しく生まれ変わるわ」


 空に向かって呟くエヴァリンはどこか悲しそうだった。


「これで解決……したのよね?」

「そうね。それで何があったのか聞かせてくれる?」

「一先ずコテージに戻ってからでいい? この二人を寝かせたいし、あいつの様子も確認したいから」

「いいわ。その二人はこの子……三号に運ばせましょう」


 エヴァリンの背後から出てきたプッペ三号がアズとエルザを担ぎ、移動を開始する。

 結界はどうやら自然に消滅したようだ。


 鳥たちが上空を羽ばたき、冷たい風が通り過ぎた。

 ここはもう、ただの森だ。

 めちゃくちゃになってしまったが、長い時間をかければきっと元の森に戻るだろう。

 そして森の精霊も戻ってくるに違いない。


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