第630話 蛾の火に赴くが如し

 封剣グルンガウス。

 かつてある英雄が使用していた武器。

 使用者の魔力に応じて追撃が発生し、その追撃はどのような相手であってもダメージを与える。

 霊体だろうと、どれほど硬い物質であろうと。

 使用者が強くなればなるほどその価値を増す剣である。


 その封剣グルンガウスが凍った黒い液体に触れた瞬間、封剣の効果が発動しアズの魔力に応じた追加攻撃が発生する。

 見えざる刃が凍ったまま全部を打ち砕く。

 アズは十分な手応えを感じ、一瞬だけ油断してしまう。


「バカ、終わってない!」


 フィンからの叱咤が聞こえた瞬間、全力でその場から後ろへと飛ぶ。

 次の瞬間に耳をつんざくような甲高い音が鳴り響き、凍っていた黒い液体が全体からトゲを生み出す。

 もしあと少し回避が遅れていたら逃げ場もなく全身串刺しだっただろう。


「獲物を倒した後が一番油断するのよ。注意しなさい」

「ありがとうございます! でも確かに手応えがあったんですが……」

「気持ちは分かるわ。剣が当たった瞬間、砕け散ったように見えたし」

「ううん、間違いなく倒してたよ」


 フィンとアズは一旦下がり、エルザと合流する。

 エルザの意見に二人は耳を傾けた。

 トゲになった黒い液体は今のところ動く様子はない。


「どういうことですか?」

「アズちゃんの一撃で一瞬存在が消えかけたの。トドメになるだけのダメージが与えられたからそうなったと思う」

「でも、実際はああなってるけど?」

「消えかけた森の精霊に、何らかの力を無理やり注入したんだと思う。それが森の精霊を汚染した何かのはず」

「……そんな!」


 アズの一撃でもトドメはさせなかった。

 黒い液体はトゲの形を保ったままゆっくりと振動している。

 動き出すのは時間の問題だ。


「その何かを突き止めない限り、何度でも復活するってわけ? どこからきて正体も分からないのに最悪じゃないの」

「そうとも限らないよ。森の精霊はアズちゃんの一撃でとても弱ってる。すぐに動けずあんな形になったのがその証拠。だから今この瞬間も力を送ってるはず」


 エルザが目を瞑り、精神を集中させるのを見守る。

 アズはすぐ動けるように使徒の力を解放したまま、剣を構えていた。


 アレクシアとエヴァリンは状況がつかめなかったが、アズたちが何かをしているのを察知して再び黒い液体を凍り付かせて身動きを封じようとする。

 トゲになった影響か、凍結するのに液体だった頃よりも時間がかかるようだ。

 恐らく動けるようになるのが早い。


「地面。地面から力が流れてる」

「どこからですか!」

「あそこだね」


 エルザが指さしたのは、森が残っている一角だった。

 しかし森といっても毒が蔓延し、蚊の魔物が大勢漂っている。

 どうやらエヴァリンの竜巻の範囲から逃れた場所のようだ。


「こっちに近づいてこなかったのは本命がいるからってことか」

「あそこの中央に何かあるはず。そこから流れている力が森の精霊に流れ込んでる」

「もう一回風かなにかで吹き飛ばして……」

「待ってられません」


 アズが跳び出す。


「あ、アズ!? クソッ!」

「あらら」


 慌ててフィンが追いかけた。

 エルザもそれを追う。


「アレクシアちゃーん、それをこっちに来ないようにしてくださいねー!」

「ハァ!? ちょっとどういうことよ」

「説明する時間はありませんー。お願いしますねー」


 エルザはアレクシアにそう言い残すと、聖水で濡らしたハンカチを口に当てて毒の霧の中へと突入していった。


 アレクシアは呆れたようにその光景を眺めると、ため息をつく。

 何かしら思いついたか発見したから突撃しに行ったのだろうと判断した。

 無駄なことをするほど馬鹿ではない。


「何なのかしら……。まああっちにエルザとフィンがいるなら平気か」

「私たちはどうするの?」

「信じて任せるしかないでしょ。それが仲間ってものよ」

「本当に信用できるのかしら?」

「ええ。こう見えて私たち結構色々やってきてるから。さあ協力して頂戴エヴァリン。エルフである貴女の協力がないと私一人じゃあれは止められないわ」

「そう。分かった」


 二人で協力し、引き続きトゲの動きを封じる。

 凄まじい力で強引に動こうとしており、凍った部分を引きはがしていた。

 どこかで魔力が尽きる。そうなったら動きを止めることはできないだろう。


「急ぎなさいよ」


 アレクシアは小さく呟いた。



 毒の霧の中へと飛び込んだアズは、直感に従い進む。

 エルザに言われたとおり、口にハンカチを当てて禍々しい色の空気の中でも呼吸できていた。

 しかし肌がピリピリするのを感じる。

 長時間触れていればどんなことになるのか想像もつかないが、悪影響を及ぼすのは間違いないだろう。


 それでも、一刻も早く解決する必要があった。

 いや、正しくはアズが早く解決したいのだ。

 少しでも主人の苦痛の時間を減らし、無事回復して欲しいという願いだった。


 目も長く開けていられない。

 隣で肩を叩かれる。

 フィンがそこにいた。

 口を開かぬように、ジェスチャーで意志疎通を行う。


 なんとなくだが、おかしな感覚がある。

 そこが今回の異変に違いない。


 エルザが追いついてきたので、二人に右手で行く手を指し示す。

 二人は頷いてついてきてくれた。


 なぜそれが分かるのか。

 説明はできなかった。

 使徒としての力なのか。

 あるいは力を貸してくれる水と火の精霊が何かを伝えてくれているのか。


 三人で走りながら進む。

 道中で蚊の魔物が妨害してきたが、神経を研ぎ澄ませたアズは見もせずに迎撃し切り刻む。

 そして遂に三人は毒の霧の中心に辿り着いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る