第629話 極寒の魔法

 アズたちは目的地である結界の中心へと急ぐ。

 あらゆる意味で急がなければならなかった。

 道中では妨害らしい妨害はない。

 そのお陰で魔導士二人の消耗は抑えられ、移動速度を落とさずにすんだ。


「嫌な臭いもしなくなりましたね……」

「ていうか一面砂になってるじゃない。ちょっと前まではどれだけ酷くても一応森って感じだったのに」

「何が起こったんでしょうか」

「毒沼も含めて全部吸い上げたのよ。悪食もここまできたら立派なものね。ある意味ここはなによりも清潔かもしれない」


 移動しながら呟いたアズの疑問にエヴァリンが応える。


「感心している場合ではないと思いますけど。利用価値があったとしても一匹も残すわけにはいきませんよ」

「もちろん。私はそのために結界を張ったんだからそのつもりよ」

「ならいいんですが」

「動物とか魔物とかだけじゃなくて、草木や土まで……」


 それから皆黙ってしまい、砂場を進む音だけが響く。

 ようやく違う景色が現れた。

 砂場が途切れ、前回黒い液体が流れていた川の周辺にはかろうじて森だった頃の面影が残っている。

 ただし、紫色の毒の煙が漂っていた。

 霧として目に見えるほどの濃度の濃さだ。

 羽音も煩い。蚊の魔物も霧の中でかなり待機している。


「一度襲撃されたから身を守ってるってこと?」

「そうみたいですね。多分近づけないようにしているんだと思います」

「これを」


 エルザが布を差し出す。

 聖水を染み込ませ、念入りに祝福を施したハンカチだ。


「突っ込む時は口に当てて下さい。吸引は防げるはずです。蚊の魔物に刺されないように注意してください」

「分かりました」


 アズはそれを受け取ると、ギュッと握りしめる。

 この中で特に危険があるのはフィンとアズだ。

 特に作戦の要であるアズはほぼ確実にあの毒の霧に突っ込むことになる。


「このままじゃ姿が見えないわ。まず私が吹き飛ばすからどいて」


 エヴァリンの言葉に素直に従い、左右に分かれて射線から離れる。


「ただ風で飛ばすよりは、こうした方がいいかな」


 右手を差し出し、手の平を上にするとそれに息を吹きかける。

 その息は見る見るうちに竜巻に成長し、紫色に様った空気を巻き取る様にして吹き飛ばしていった。

 竜巻はそのままどこかへと移動する。

 蚊の魔物もかなりの数が巻き込まれたようで、羽音が遠ざかっていった。


 毒の霧がなくなった場所では、黒い球体が宙に浮かんで佇んでいた。

 恐らく森の精霊だった黒い液体が待機していたのだろう。


「目は見えないけど、ちゃんと見られてるわね……」


 フィンが屈みながら呟く。

 監視されているような感覚があった。

 どうやっているのか、こっちの位置を把握しているようだ。


「ボーっとしないで、下!」


 アレクシアの声で咄嗟に全員が移動する。

 直後に地面の中から黒い液体が触手のように伸びて捕まえようとしてきたのだ。

 にゅるにゅると動くそれを振り払ったり、切り払って回避する。

 攻撃に失敗した黒い液体は球体へと合流すると、どろりと液体へと戻った。

 こっちの動きを伺うようにして小さく身動ぎしている。


「だまし討ちまでしてくるとか、意外と頭が良いじゃないの……」

「単純に動いてくれた方が楽だったんですけど、学習能力があるのかもしれませんね」

「こんな時でも呑気ねエルザ。司祭は肝が据わるのかしら」

「そんなことありませんよ。焦っても仕方ないだけです」

「ふぅん」


 アレクシアとエヴァリンが作戦通り、氷の魔法を黒い液体へとぶつけていく。

 黒い液体は回避するものの、体積が大きい分末端部分の回避が間に合わず少しずつ凍っていった。


「あれの動きを止めて」

「分かってる!」


 フィンはアズと共に黒い液体の後ろへと回り込み、爆薬を放つ。

 効果がどれほどあるかは疑問だったが、黒い液体がそれを嫌がって動きを止めたため氷の魔法の被弾が増えた。


「なるほど。下手に賢いせいで脅威度の判断が遅いってわけ」

「私にもそういうのがあればいいんですが……」

「あんた、強化以外の魔法を使うのは下手だし、戦闘センスはあるけど不器用だから小細工しない方がマシよ。チャンスを待ちなさい。それまで蚊の魔物が近寄ってきたら対応してくれた方がいいわ」

「はい、分かりました」


 付近に残っていた蚊の魔物をアズは剣で斬る。

 アズの動体視力ならばどれだけ早く動く蚊の魔物も捉えることが可能だ。

 何回か繰り返すうちに黒い液体の凍った部分が増えていき、動きが鈍くなっていく。


「調子がいいわ」

「祝福があるからでしょ」

「ああ。そうね。久しぶりだから感覚を忘れていたわ」

「こんなでも私よりずっと強い魔導士なのが納得いかない……」


 アレクシアは愚痴を言いつつも、エヴァリンと協力して魔法を放ち続ける。

 末端部分は完全に凍り付き、本体も半分ほどまで凍っていた。

 無理に動こうとして触手が何本も折れて動くことも難しくなっている様子だ。


「このまま凍らせて封印とかできないかしら」

「なにかの拍子で復活したら最悪じゃない」

「それもそうか」


 エヴァリンが周辺の空間ごと一気に凍らせたことで黒い液体が完全に凍る。

 周囲の気温は真冬より寒く、吐き出した吐息が凍り付きそうだ。


「アズ、今よ!」

「いきます!」


 アレクシアの声を合図に、アズは使徒の力を引き出しながら魔力を込めた封剣グルンガウスを凍った黒い液体へと振り下ろした。


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