第626話 治療行為

 全員でドリアードからひたすら逃げる。

 相手はゆっくりとこっちを見ながら追いかけてきた。

 形が崩れ、黒い液体が波打って向かってくる。


 それはまるで自然の摂理に反した光景に見えた。

 とにかく見ているだけで恐怖を感じるのだ。

 それは精霊だった存在だからなのかもしれない。


 一番出遅れたのはエヴァリンだった。

 どうやら空を飛ぶ魔力も残ってないらしく、よたよたと走っている。

 あんなペースでは確実に追いつかれるぞ。


 背負われている状態で思うことではないのかもしれないが……。


「アレクシア、援護を」

「分かってるわよ!」


 アレクシアは水や土の魔法をドリアードに向けて放つ。

 大質量の水は瞬く間に周囲の蚊の魔物に吸い尽くされるが、土の魔法はそれなりに効果があった。

 グズグズに腐るまでの数秒間見事に足を止めることに成功した。

 火の魔法を使わなかったのはさっき防がれたのを見たからだろう。


「走るのなんて何年ぶりかしら」

「そんなこと言ってる場合ですか。早く結界の外に出ないと!」

「そうね」


 こんな時でも平静なエルフに対して感心するべきだろうか。

 土が崩れ落ちるのを振り返りつつ確認する。

 少し距離は稼げたが、再び追いかけてきた。


 相手は興奮しているようだ。

 液体や蚊の魔物の動きが荒々しい。

 感情に任せて暴れまわっているというべきか。


「精霊を敵に回すとこれほど恐ろしいのか……」

「こんなの、滅多に起きることじゃありませんけど。何があったんでしょう」


 呟きにエルザが反応する。

 エルザでも知らないことがあるんだな。


「森の繁栄を司る精霊が反転すると森が腐り死ぬ。もし結界を超えたなら最後は魔力が切れるまで暴れて滅ぶことになるわ。ただ魔力の源になる生物や餌がいた場合その時間は伸びることになる」

「それって近くの町や村……都市まで襲うってことですか!?」

「そうなるわね。人間も家畜も魔物も全部栄養にして。文字通り周囲一帯が死の土地になるわ」

「今の王国でそんな被害にあったらいよいよ国が滅ぶんだが!」


 冗談ではない。

 苦労していくつも問題を解決したというのに、ちょっとした仕事のつもりで来たこんなところで終わっては堪らない。

 それにここから王都やカサッドまでは遠いとはいえ、道中にはいくつも村がある。

 下手をすると王国ごと食われる。


 ゾクリとしたのは体調の悪さからか、あるいは最悪の想定をしてしまったからか。


 だが今はとにかく逃げ切るのが先だ。

 捕まったら確実に死ぬ。


 アズはオルレアンの手を引っ張り、フィンは先行して障害物がないか確認していた。

 もうそろそろ結界が見えてもいい頃合いだが……。

 かなり追いつかれてしまっている。


「魔力切れよ。これで最後の足止め!」


 アレクシアが今までで一番大きな土の壁を魔法で出現させる。

 アレクシアも魔力切れになってしまったようだ。

 土の魔法は魔力消費が少ないはずだが……そうか、地面が腐っていて使えないから応用できないのか。

 そのせいで消費が増えてしまったらしい。


 土の壁を黒い液体が包み込むようにして登ってくる。

 少しだけ堰き止めた後に崩れて消えてしまった。



「見えた、あそこだ!」


 結界の境目が見えた。

 エヴァリンが入り口を操作して開く。

 森の妖精はこっち全員を飲みこむようにして横に広がりながら飛び掛かってきた。

 フィンとアズ、オルレアンが先に出る。

 そして手を伸ばしてアレクシアやエルザの手を引っ張った。

 転げるようにして結界の外に出る。

 背負われているので一緒に転がった。これは仕方ないだろう。


 後はエヴァリンだけだ。

 起き上がったエルザが手を伸ばす。


 あと少しのところで黒い液体がエヴァリンに触れそうになった瞬間。

 プッペが液体に体当たりして身体を張って止めた。

 その間にエヴァリンが結界の外に出る。

 巨大な人形のプッペの腕力は凄まじく、黒い液体ごと森の精霊を押し返した。

 だが触れた部分から腐っていき、やがて全身が飲みこまれていくのを結界の外で見ているしかなかった。


 森の精霊にはどれだけ強くても力では絶対に勝てない。

 何かしら方法が必要なのは明白だった。

 だが、今はとにかく頭が回らない。

 緊張からか、保てていた意識は糸を切るように途切れてしまった。


「ご主人様!?」


 アズの声が耳に響く。

 そのまま気絶した。


 目が覚めたのはそれから数時間後だった。

 側ではオルレアンが看病してくれていた。


「旦那様……目が覚めて良かったです。皆様も心配しておりました」

「他の皆は? うっ」

「無理なさらないでください。皆様は旦那様のために薬草を探しに行きました。すぐ戻るはずです。私は知識はあっても一人で探す力はないので看病をしておりました」


 起き上がろうとした瞬間、力が抜けてすぐに枕へと頭が落ちた。

 ここはコテージか。

 エヴァリンのベッドに寝かされているらしい。

 全身汗まみれだ。それに身震いするほど寒い。

 力がまともに入らない。それに喉も乾く。


「水をくれ」

「どうぞ」


 水差しから水を飲ませてもらう。

 喉の渇きが癒えて生き返るようだった。

 しかし同時に体調の悪さを自覚する。


 酷い風邪にでもなった気分だ。

 頭痛までしてきた。

 オルレアンがタオルで汗をぬぐってくれるが、すぐに新しい汗が流れる。

 体力が時間が経つ毎に落ちていくのが自覚できた。


 これは……まずいかもしれない。


「起きた?」


 一番早く戻ってきたのはフィンだった。

 こっちの顔色を見た瞬間少しだけ焦ったような顔をする。


「とりあえず症状に効きそうな薬草を集めて組み合わせたけど……口は動く?」

「すまん、喋れはするんだが力が入らん」

「そう。薬研もないし……」


 フィンはおもむろに集めてきた薬草を食べ始めた。

 どうやら口の中で噛み潰してるらしい。

 そしてそのまま口づけしてきた。

 いきなりのことに動揺する。

 唾液と共に苦い薬草の味がした。

 抵抗せず流し込まれたものを嚥下する。


「これは治療行為だから。勘違いしないでよね」


 フィンは口元を拭うと、オルレアンから水差しを奪って先を押し付けてきた。

 中の水がなくなるまで放してくれなかった。





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