第592話 任命権を持つ優位性

 兵士たちは軍務卿の裏切りに動揺しつつも、アーサルム軍が王都に向かっていることもありそれまで王都を護衛すれば一先ず安心だという認識が広まっていった。


 アーサルム軍と合流すれば、軍務卿と裏切った部隊が相手でもこっちの方が圧倒的に強い。

 安心はやはり力があってこそ保たれる。


「すまないが、これまでよりも兵士諸君の仕事の範囲や負担も増えることになる。その分給料なども増やすつもりだ。王国のためにも今こそ踏ん張って欲しい」


 その言葉を締めとして、兵士たちを解散させた。

 兵士たちは若者が多い。

 給金が増えると聞いてやる気を出した者の姿がちらほらあった。


 その姿を見てティアニス王女が不思議そうにしている。


「給料を増やせと言われたからそう明言したが、それほど気持ちが分かるものなのか? 正直逃亡者が出るのではと思っていたのだが」

「ただ仕事を増やされることほどやる気を削ぐものはありません。ただでさえ悩む理由は多いのですから、明るい話も一緒に伝えないと。それにアーサルム軍の評判と自分のすむ都市は自分で守るという気持ちが強いのが功を奏したかと」

「そんなこと考えたこともなかったわ。そうね、確かに彼らも人だもの。勝手に自動で守ってくれるような存在じゃない」


 ティアニス王女の言葉にそう返す。

 都市に愛着がある。友人や恋人、両親や子供。そういった人板を守るために兵士になった者も多い。

 彼らに報いることも為政者としての仕事ではないかと思った。


「そこのもの。マニといったか。お前は少し残れ」

「は、はい。分かりました」


 意見していたマニをティアニス王女が呼び止める。

 他の兵士たちは彼女に対して笑ってヤジを飛ばしていたが、それを怒鳴って返す。

 どうやら他の兵士たちとの仲もいいようだ。


「何の御用でしょうか、ティアニス王女殿下。もしかして先ほどのことで何らかの罰を?」

「そんなに緊張するな。罰しようというわけではない」


 緊張した面持ちだった。

 なんせ王族に直接意見したのだ。

 あまり褒められた行為ではない。


「所属と階級は?」

「都市防衛隊の十騎長を任されています」

「その年齢で十騎長か。優秀なのだな」

「い、いえ。そのようなことは」


 謙遜していたがたいしたものだ。

 若くして十人の部下を持っていることになる。

 ヨハネより管理能力が高いかもしれない。


「素晴らしいと思うぞ。実績がなければその地位にはいないだろう。何事もなければいずれは百騎長か」

「私などがそんな地位にはとても……! 貴族の出ではありませんし、この地位でも満足しております」


 マニは褒められて少し照れている。


「貴族と階級は何か関係があるんですか?」

「残念ながらあるんです。百騎長以上は貴族が務めることが多いわ。家柄でポストを確保しているところもあるくらいよ。だから派閥化しやすいの。将軍でもある千騎長は大貴族や王族がやったりするんだけど……今の王国では慣例通りにはいきませんね」

「ああ、だから軍務卿の派閥がごっそり抜けたわけですか。ボスがいなくなったら派閥ごと弱体化してしまうから、いっそついて行こうと」

「そうだと思う。王国軍の地位という重要な使命をただの自分の所有物のように考えて欲しくはないんだけどね」


 アナティア嬢に色々と教えてもらう。

 軍は実力主義だと思っていただけにちょっとショックだ。

 家柄だけで地位が決まるなら、その軍ははたして強いのだろうか。


 ケルベス皇帝の率いていた軍は違った。

 完全な実力主義であり、結果を出せないものは容赦なくその地位を剥奪されるのを間近で見た。忠誠心も高く、劣勢でも勢いがあった。

 だからこそ反乱分子を全て平定し、彼は絶対的な地位を確立したのだ。


 努力なしに地位を得られるような軍では、相手にもならないと思うのは考え過ぎだろうか。


「でもこれからは違いますよ。軍務卿が派閥ごといなくなったのは王国としては本当に痛手だし、大きなダメージです。でも慣例に大きな風穴は開けられました。これからは実力で地位を勝ち取る時代にしていきます」

「なるほど」


 たしか議会でも反対が大きく減ったと言っていた気がする。

 集団としては弱くなったが、意思統一という面ではむしろ良くなったということか。


 難しい話だ。

 大きければ大きいほど基本的には良い。

 しかし何もできないほど内部で意見が割れると衰退していくだけになってしまう。

 そのバランスが難しいのだ。


 うちは少数精鋭でもうしばらくやっていこうと改めて思うヨハネだった。


「マニ。今王都にいる王国軍で一番上の役職のものは分かるか?」

「今、ですか。元帥だった軍務卿がいなくなり、千騎長だった王子殿下もお亡くなりになりましたし。百騎長の方々の多くはその……」

「軍務卿についていった。つまり今王国軍は兵士はいても指揮するものがいない。そうだな」

「はい。残った百騎長がおられますが、いざという時に誰の命令を聞けばいいのか、とは思っています。国境警備に空白ができたのもそのせいです。指揮系統が生きていればすぐに応援を送れたと思います」

「今は形だけでも人を送っているが、このままでは軍が機能不全に陥るのも時間の問題か」

「はい。できるだけ早く王女殿下には後任をお願いしたいです」

「うん。よく分かった。ところでマニ。お前は将軍になりたいと思ったことは?」

「もちろんあります。思うだけならタダですから」

「ではお前に千騎長の地位を与える。良かったな。今日から将軍だ」

「はぇ?」


 マニは驚きのあまり間抜けな声を出した。


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