第589話 揺れ動く王国

 アナティア嬢は黙ってこっちの話を聞く。

 おおよそ話し終えると、珍しくため息をついた。


「そっちの状況は分かったわ。納得したというか、そういうことか。お父様の方は心配しないで。迂回して直接王都に向かっているそうよ」

「それでアナティア姉さん。こっちは何が起きたのか説明してもらえる?」

「そうね……。こっちはこっちで驚くことばかりだけど落ち着いてよく聞いて」


 アナティア嬢の話によると、今日の早朝に突然多くの王国軍の兵士や騎士が持ち場を離れていなくなった。

 連絡がつかないどころか、隊ごと消えたという報告も少なくない。

 最初は混乱のあまり、事態を把握するのにかなり時間がかかったという。


「全容が分かったのはついさっきよ。ティアニスからの連絡で嫌な予感がしたんだけど、見事にやられたわね」

「具体的な規模は?」

「軍全体の三割といったところかしら。内訳としては軍務卿やその派閥に属していた者たちがほとんどよ。軍務卿とは会ったのよね?」

「ええ。都市タズーラまで騎士と一緒に追いかけてきたわ。それにしても三割か……再編どころじゃすまないじゃない」


 聞こえてくるのは悪い報告ばかりだ。

 国の根幹が揺れているのが伝わってくる。


「閑職に回されていた非主流派に地位を与えてまとめさせているけど、宥めるのが精一杯でとても何かできる状況じゃないわ。宰相も軍とは仲が悪いから任せられないし、裏切るタイミングとしては最悪ね。アーサルム軍が合流すれば落ち着くとは思うけど……。暴動が起きそうにないのだけが救いかしら。それでも説明を求めることが時間を追うごとに大きくなってる」

「まんまと正面からいなくなったってことか。今の王国はそれを咎める力もないのね」

「それってうちの国よくないんじゃないかしら」

「のんきなことを言わないでユーペ姉さん。ここまできたら一歩間違えたら破滅よ」

「なんでそんなことに……。たかが軍務卿とその手下が裏切っただけじゃない」


 ユーペ王女の言いたいことは分からないでもない。

 いくら要職とはいえ、本来なら数人が裏切っても国がどうこうという事態にはならないはずだ。


「そのたかが軍務卿に貴族も含めて大勢がついて行ったからね、さすがに領民までは無理だったようだけど」

「ちょっと待って、それって領主も空白地帯ができるってことじゃない。なんて無責任な」


 貴族たちがいなくなったということは、彼らが治めていた土地も捨てたということだ。

 統治する者が誰もいない状態が発生している。

 利権も歴史も捨ててまで太陽神教の元へ行ったのだ。


「しばらくは兼任なんかでどうにかするしかないわ。残った貴族の力が強くなってしまうけど、そうしないととても回らない」

「下手すると王家並みの勢力が王国の中で生まれる、か……頭が痛いわ。太陽神教に対峙するどころか国の維持すらままならないじゃないの」


 これは内憂外患そのものだった。

 王家の弱体と有力貴族の裏切り。

 そして王家が余った土地を取り込もうとしても配置する人間がおらず、他の貴族の力だけが強くなる。

 王家の威光が明確に陰りを見せていた。


「幸いなのは反対意見がほとんどなくなったことかしら。決めごとは非常にスムーズになったわ。邪魔をしていた勢力が消えたからね。これで足を引っ張られていたらどうなっていたことか」

「本当はもっと早く一致団結したかったのだけど……。考えていても仕方ない。ひとまず軍を招集して事態の説明をしましょう。この際本当のことを言った方がいいわよね。下手に誤魔化すと不信感を持たれるだけだわ。それとユーペ姉さん」


 さっさと一人椅子に座ってくつろぎ始めたユーペ王女に視線を向ける。

 どこからか取り出したケーキを食べようとしていた。


「なに?」

「本当は内密に死刑にするか牢屋に一生閉じ込めようと思っていたんだけど、気が変わったわ」

「……えっ。実の姉にそんなこと考えてたのティアニス」

「むしろなんでお咎めなしだと思うのよ。そそのかされてもやったことは消えないから。今は猫の手も借りたい状態だから、私の下で働いてもらいます。継承権はないけれど王族だから顔も利くし、姉さんは顔と身体だけはいいから正体を知らない国民や兵士には受けがいいわ。治療が終わって戻ってきたことにしましょう」

「そんな、私の自由なスローライフが台無しじゃない」

「王族の自覚をもって! そんなのでよく私になり替わろうとしたわね」

「だって、女王になったら後は全部やってくれるって言うから……。あ、そうだ。ほら、王家の影を貸してあげるからあいつらに仕事をさせましょうよ」


 実は王家の影はユーペ王女を追って付いてきていた。

 今も部屋の外にいる。


「別に彼らは姉さんの私兵じゃないんだけど……薬かなにかで正気を失っているみたいだし」

「あいつらは正気よ? 昔から躾けてたらああなっただけで」

「何をしてるのよ姉さん……。彼らにも働いてもらうけど、姉さんも馬車馬のように働いてもらうわ。今まで楽をしていた分も含めてね」


 ユーペ王女は絶望した顔をしていた。

 命が助かったのだからマシだと思う。


「ヨハネたちにもしばらく手伝ってもらうわよ。戴冠式どころの話じゃなくなってきたわ。結局人手も足りないし」

「身の回りの世話をする人だけでも雇ってきましょうか」

「そうね。贅沢は言わないから適当に誰か……」


 そこへ兵士が走ってきた。

 ノックもなしに入ってくるとはよほど緊急の用事のようだ。


「何事か!」

「お、お知らせします! 王都近くに帝国の旗を持った一団が来ており、王族に面会を求めています!」

「帝国……」


 悪いことは重なるらしい。

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