第577話 歪んだもう一人の王女

「あわわ」


 水責めを見せられたアズとオルレアンが両手を繋いで部屋の片隅で怯えている。

 無理もない。

 こんな光景を見たことなどなかっただろう。

 アレクシアは興味なさそうに髪を弄っており、エルザは佇んだままだ。


「素人はぬるいわね。息を止める訓練をしてたらあんなの全く効果がないのに」

「小声で恐ろしい声を言うな。こっちに飛び火したらどうする」

「はいはい。大人しくお手並み拝見するわ」


 フィンから見るとあれでもたいした拷問ではないという。

 自分の身に置き換えるととても耐えられそうにないのだが。


 水しぶきの音だけが部屋に響いている。


「その辺でいいわ」


 両腕を掴まれながらも酸素を求めて激しく呼吸する横領犯は恐る恐るティアニス王女を見上げる。その顔には先ほどまでの侮りは一切無かった。

 ひたすら恐怖と懇願だけが滲みだしている。


「苦しかった?」

「は、はい。もうやめて」

「やめて?」


 ティアニス王女が衛兵に再び指示しようとするのを見て体を震わせる。


「やめて下さい! こんなの死んじまう」

「大げさね。苦しいかもしれないけどこのくらいじゃ人は死なないわ。ああでも、障害が残ったりすると聞いたことはあるかも」

「ひぃ」


 幸い訓練をしていないようで水責めの効果はよく表れていた。

 その結果にひとまず満足したようでティアニス王女は微笑む。

 いつもより少し頬が赤く妖艶な気がする。

 サディストの血があるのかもしれない。


「ずいぶん素直になってくれたわね。素直な人は好きよ。私は騙すのも騙されるのも好きではないから。その気持ちは分かってくれる」

「は、はい。王女殿下」

「じゃあ聞こうかしら。貴方たちは炊き出しの物資を盗んだ。間違いないわね」

「……」

「どうやら素直じゃなくなってしまったようね。また素直な貴方に会いたいわ」

「ま、待ってくれ。俺たちだ。俺たちがやった!」


 再び水責めをされるのを恐れたのか慌てて横領犯が返事をする。

 自白するほど恐ろしかったのだろう。

 苦しみを与え、その苦しみの記憶を刻み込む。

 そうすれば相手は勝手にその記憶に恐怖するというわけか。

 為政者が拷問を使うわけだ。


 これほど便利に扱える鞭もあるまい。

 ただヨハネからすれば好ましくはなかった。


「貴方たちの他に仲間はいる?」

「い、いない」

「あっそう」


 再び桶に顔を突っ込まれた。

 先ほどよりも少しだけ時間が長い。

 引き上げられた男はぐったりとしていた。

「少なくとも貴方たちから荷物を受け取る人間もグルなのは分かってるの。捕まえたって言ったはずだけど……気絶しちゃった。次は誰がいいかな」


 横領犯の仲間たちが後ずさろうとするが、すぐに部屋の壁に阻まれる。

 衛兵は気絶した男をその辺に捨て、別の男をティアニス王女の前に連れてきた。

 その男は気絶した男を見て首を横に振る。

 散々見せつけられた水責めの順番が自分に回ってきたことを拒否しているようだ。


「正直に喋ってくれればこれ以上酷い目に合わせたりはしないわ。だから素直に全部喋ってくれる?」


 ティアニス王女は椅子から立ち上がり、髪をかきあげながら男の前へと顔を寄せる。

 美しい顔立ちのせいか一層の恐ろしさを演出している。

 心を折ることに成功し、犯人たちはようやく素直に喋りはじめた。


「なるほど。大体のことは分かったわ。最後に聞くのだけど……誰の指示でやったの?」

「俺たちが自分で考えてやった。誰かに命令されたわけじゃない。いい小遣い稼ぎになると思ったんだ」

「そうなると主犯は貴方たちということになるわね。つまり全員極刑かしら」

「極刑!? 盗みくらいでそんな、重すぎる!」

「罪が重い? そうかしら? 多くの人たちが空腹になりながら眠れぬ夜を過ごした。貴方たちは王家が用意したものを盗んだのだから、当然だと思うのだけど……でももし本当は主犯じゃないなら、そこまで重い罪にはしないわ。私の名前において約束する」


 男はかなり迷っている様子だった。

 ティアニス王女は答えをじっと待つ。


「ほ、本当に極刑じゃなくなるのか?」

「私は嘘をつかないわ」

「……て、手紙を受け取ったんだ。うまい話があるからやってみないかって」

「手紙? 差出人は?」

「分からない。だけど捕まっても上手く逃がしてやるとも書かれてたんだ。だから心配する必要もないと思って」

「呆れた。そんな誰なのかも分からない相手の言葉を信じたの? だからところどころ雑だったのね。まあ分かりやすくて助かったのだけど。それでその手紙は?」

「そいつが持ったままだ」


 最初に水責めを受けて気絶した男を指さす。

 ティアニス王女は嫌そうな顔をした後、衛兵に懐を探らせる。

 すると一枚の手紙が出てきた。


 少し水に濡れていたが、読む分には問題がないようで一読した後こっちに渡してくる。

 読めということか。


 ざっと読む。

 要約すると後のことは心配しなくて良いから割のいい仕事をしないかという誘いだった。

 分け前は得られた金額の半分。

 炊き出しに割り当てられた予算はそれなりの額だ。

 捕まる心配もなく、その半分が手に入るなら美味しい話という風に見えるのだろう。


「どう思う?」

「いくらなんでも怪しすぎます。捕まらないなんて言ってる時点で騙す気があるかと」

「私ならすぐに破ります。だってこんなのおかしいですから」

「何も考えてなかったんじゃないかしら?」

「不徳の心得ですねぇ」

「もっとマシな仕事があるでしょ……」


 アズたちから見ても散々な評価だった。

 裏の仕事にしてもお粗末だ。どう考えても切り捨てられる運命にしか見えない。

 その結末がこれだ。

 やはり真っ当な仕事をするに限る。


「これ以上は絞れそうにないわね。それじゃあ全員に水責めをしておいて頂戴。その後は鉱山送りでいいわ。そう処理しておいて」

「なっ、そんな!」

「約束通り極刑は見逃してあげる。鉱山で働けば王国にも貢献できるわ」

「待って、待ってくれ!」


 最後の叫びもむなしく、衛兵に引き摺られていった。


「解決にはまだもう少しかかりそうね。黒幕がまた適当な連中を見繕ってやられたら困るし」

「そうですね。しかし……」

「なに?」

「いえ、ああいったこともするのだなと」

「ああ、拷問? 姉さん……アナティア姉さんじゃないわよ。実の姉の方。あの人が割と好きでね。嬉々として私に教えてきたのよ。だから多少は知ってる」

「そうですか」


 照れながら言ってもその言葉はかわいくないと思う。

 しかし実姉……隠居した第一王女のユーペ殿下か。

 大層歪んだ趣味をお持ちで。

 この手紙からなにか分かるといいのだが。

 あるいは資金の送り先を調べた方がいいか。


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