第558話 暗殺業の基本は忍耐
暗殺者となるために積む訓練は多種多様だ。
体術にナイフの扱い、毒殺のために薬学だって修めている。
やったことはないが房中術の心得もある。
特殊な訓練のおかげで天井にへばりつくことだって可能だ。
暗殺者を蜘蛛に例えるのはこれが元だと思っている。
そんな訓練の中で最も重要視されるのが……忍耐である。
これには不眠の訓練も含まれる。
護衛がいたり、警戒心が強いターゲットを暗殺する場合は一瞬の隙を見逃さずに決行しなければならない。
少しでも焦れば失敗し、逆に自分の身が危うい。
そのためには眠ることなく標的を逐一観察し続けなければならない。
長丁場になると数日間標的に張り付くことになる。
これには大変苦痛を伴い、なかには幻覚を見て頭がおかしくなる者もいるらしい。
幸いフィンにはこうした苦痛に対する耐性も強く、最長で一週間は耐えられる。
人間は常に警戒することは難しい。
どこかで消耗して気を緩める時間がある。
(これで二十五回目)
フィンはティアニス王女の日常をあらゆる手段を用いて覗き見ていた。
もちろん目的は王女の護衛であり、やましい意図は存在しない。
仕事に関しては私情を挟まず徹するように教えられたし、それは今でも変わらない。
その中で、もし暗殺するなら今だろうというタイミングを数えていた。
見張って一日でこれだ。
これでは暗殺してくれと言っているようなものである。
隙だらけだ。
アナティアに関しては放置することにした。
あの警備体制ならこっちに集中しても問題ない。
アナティアが一緒にいる時だけ暗殺の難易度は急激に高まるが、問題としてはそれだけだ。
従者のカノンは警戒はしていても所詮素人であり、有事の際に身を盾にするくらいしか役に立たないだろう。
復帰したと言ってもまだ怪我の後遺症もあるらしく、そもそも一緒にいる時間は短い。
暗殺するならこれ以上ないほど楽だが、逆に守る対象としては大変そのものである。
少しだけ引き受けたことを後悔している。
今はティアニス王女がシャワーを浴びているところだ。
介助のためにメイドがいるが、周囲には警備すらいない。
(バスタイムと就寝はもっとも暗殺されやすい危険な時間だっていうのに、のんきねぇ)
気持ちよさそうに鼻歌まで歌っている。
そこにいるのはフィンから見て王族でも貴族でもなく、ただの少女だった。
継承権の低さからおそらく身を守る術も伝わっていない。
王族を陰から守るような集団がいてもおかしくないのだが、これだけフィンが王城内を散策、滞在しても見つからないことを考えるといないと思ってよさそうだ。
あるいは、療養のために僻地へ移ったという姉が我が身可愛さに全て連れて行ったか。
ティアニス王女は寝るギリギリまで書類仕事をし、ベッドに入っていった。
仕掛けを解除したことは王女を狙う連中にはもう伝わっているはずだ。
そろそろ動いてもおかしくない。
フィンは定期的に片目を閉じて目を休めながらティアニス王女を守る。
初日は何事もなく過ぎ去った。
どうやら相手は相当臆病なようだ。
(動きが遅いわね。これじゃあ三流以下だわ)
四日過ぎても動きがない。
彼女がアナティアと一緒にいる間、食料は王城の厨房から拝借しており、従業員向けの浴室で身を清めている。
まともな暗殺者なら何かしら動きがあるはずなのだが……。
起床時間が長引いたことで思考力が鈍ってきた。
特製の丸薬を使用して意識を覚醒させる。
五日目。ようやく動きがあった。
王女の部屋の清掃を担当するメイドが部屋に入り、掃除をする振りをしてフィンが無効化した魔道具をとりだして中身を確認したのだ。
なるほど、内通者を利用したのか。
これならばリスクは低い。その代わりに確認まで時間がかかったのだろう。
フィンのやり方とは違うので頭から抜けていた。
しかし思いつきもしないとは。
ヨハネのもとに居たからか、少し気が緩んでいた。
「動くな」
「ひっ、誰!?」
即座にメイドの後ろを取り、両腕を掴んで背中に固定して壁際に押し付ける。
こうすると相手からは顔も見えない。
メイドの手から魔道具が落ちる。
「残念だったわね。それはもうただのガラクタよ。あんたは誰で、何の目的でそれを仕掛けたのか喋って貰おうかしら」
「な、何のことだか……」
掴んだ腕を捻り上げ、本来曲がらない方向へ押し込む。
痕が残らず簡単に激痛を与えられる方法だ。その気になれば折ることも可能だ。
案の定メイドはすぐに根を上げる。
「言う、言いますからやめて!」
「言っておくけど、嘘を言ったり何かを隠したらすぐに分かるから」
もちろん嘘だ。顔色や動作で多少は見抜けるが、嘘を見破るような能力はない。
ゆっくりと拘束を緩めてやる。
痛みの中で自白させると、痛みから逃れるために適当なことを言う可能性があるのだ。
それに何かを喋らす時はなるべく平静にさせた方が嘘を見破りやすい。
メイドは助かりたい一心なのかペラペラと喋りはじめる。
大半は自己弁護で聞くに堪えないものだったが、いくつか判明した。
とある小さな組織に金で雇われ、渡された魔道具を仕掛けたこと。
これならば自然死になるから暗殺は疑われないので、責任は追及されないと言われたらしい。
そんなわけあるか、と言ってやったら顔を青ざめていた。
いくら王国が平和ボケしていても、最後の王族が急死したら部屋を調べるくらいはする。
そうして魔道具を見つけたら、真っ先に疑われるのは清掃を行うこのメイドだ。
金に目がくらんでこんな簡単なことにも気付かないなんて。
「私はどうすれば……」
「知らないわよ、と言いたいけど。あんたが黙って今日のうちに仕事を辞めて、王都から出ていくなら見逃してあげる。追っ手の心配はしなくていいわ。あんたに仕事を頼んだ組織は奇麗に掃除するから」
コクコクとメイドは頷く。脅して口止めしておけば喋らないだろう。
随分と甘くなったなと思うが、なるべく手を汚してほしくはないという言葉に従ったまでだ。
それに、このメイドを殺したところで意味はない。
始末するのは別の連中だ。
ことが終わったらヨハネに王女の警備と、身の回りの世話をする従者の採用に関しても進言させるとしよう。
またこんなことが起きたらハラハラして仕方がない。
しかし少し安心した。
こんなしけた手を使うのなら、大貴族のような連中ではあるまい。
連中は保身に長けており、とにかく姑息なまでに立ち回りと立場を気にする。
やつらが相手なら、こんなに楽に片づけられる仕事ではない。
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