第553話 小さな商売人
少し抵抗したもののエルザに力で勝てるはずもなく、拘束されてしばらく身動きがとれなかった。
何も無かったと言ったのに。
エルザが満足してようやく解放された時にはもうへとへとだった。
「これでよし。ちゃんと上書きできましたね」
「引っ付きすぎだ。やれやれ」
結局服がしわくちゃになってしまった。
もし余裕があればティアニス王女とアナティア嬢の所にも顔を出そうと思っていたのだが、この有様ではとても無理だ。
何があったのかと聞かれるだけだろう。
やはり、今日は帰るとするか。もう疲れた。
「エルザ、手を繋ぐ必要はあるのか?」
「たまにはいいじゃありませんか。他の子もいませんし」
「俺は構わないが……」
抱擁からは開放されたが、エルザは手は離さず握ったままだった。
まるで迷子の子供を相手にするかのようだ。
まあこれくらいなら可愛いものだろう。
ポータルまでの帰り道、串焼きを売っていた少女が荷台の上で赤瓜を売っていた。
置いてある赤瓜は丸々としていて見事に育っている。
少女は元気な声で通りがかる人へ赤瓜の営業をしており、足を止めて購入する人がちらほら見えた。
「そこの仲のいいお兄さんお姉さん、赤瓜はどうですか? 旬じゃありませんけど瑞々しくて甘くて美味しいですよ!」
「あら、仲がいいなんて」
「今の時期にこんな立派なのは見たことないな。それじゃあ二つ貰おうか」
「えっ、二つも! ありがとうございます!」
「君は前に串焼きを売ってたけど、商売を変えたのか?」
少女に銀貨で支払い、麻袋に詰められた赤瓜を受け取る。
立派な大玉だけあって結構重い。エルザに一つ持ってもらう。
「前にたくさん串焼きを買ってくれたお兄さんですよね、覚えてますよ。あれはおじさんの手伝いだったんですけど、実は他にも仕事をくれる人がいるんです。お金を受け取って市場で赤瓜とか果物を買って、こういう路地でちょっとだけ高く売ってるんですよ」
「なるほど、雇われてるのか。君の分け前は?」
「売れても売れなくても月に銀貨十枚もらえます! たくさん売れたら追加で貰えるし、売れ残ったら契約してる飲食店のお店にちょっと安く買い取ってもらってますから損はしません。売り上げは全部渡してますよ」
たまに道端で果物を売ったりしているのは見たことがあったが、こういう仕組みになっていたのか。
屋台は小さいながらも個人でやっていることが多いのだが、それとはまた違うらしい。
しかしよく考えられているな。
市場から果物を安く仕入れて売るのは誰でも考え付くが、子供に買い付けから任せて売らせるとは。
月に銀貨十枚はそれほど悪い額でもない。
売れ残ってもちゃんと給金を渡して、余ったものは引き取り先を用意しているし、たくさん売れたらボーナスも渡す。
これなら子供がやっても失敗しない。それどころか勝手に頑張ってくれる。
雇用を生み出しつつ、非常に健全な商売だ。
きっとこの少女以外にも人を集めて手広くやっているに違いない。
そうすれば分散出来てリスクも下がるし売り上げも上がって一石二鳥だ。
さっきまで人間の醜い部分を見せつけられていただけに、清々しい気分になる。
「お兄さんたちが二つ買ってくれたから今日のノルマは達成できました。ありがとうございます! これで早く帰って明日の準備ができます」
「俺も立派な赤瓜が買えて嬉しいよ」
少女は笑顔で何度もこっちに頭を下げると、空になった荷台を引いてあっという間にいなくなってしまった。
見事な働き者だ。
もし仕事が無くなって一から再スタートすることになったら、同じように頑張れるだろうか。
勇気を貰った気持ちになった。
「ご主人様、顔が明るくなりましたね」
「そうか? そうかもな。王国の未来は明るいよ」
王国を形作るのは貴族でも王でもない。きっと国民だ。
権力であれほど楽しそうに働かせることはできない。
家に戻り、早速まな板の上に赤瓜を置いた。
エルザは庭の様子を見に行って一人になる。
しかしでかい。これをどう処理したものか悩んでいると、フィンがあくびをしながら様子を見に来た。
スウェットにランニングパンツとラフな格好だ。
下着で歩き回らなくなっただけマシか。
「帰ってきたと思ったら何してんの?」
「いい赤瓜買ったから食べやすいようにしようと思ったんだが……」
「それで手が出なくて困ってんのね。ちょっとどきなさい」
奥に追いやられ、フィンが赤瓜の前に立つ。
頭くらいの大きさがある赤瓜をどうするのだろう。
「こういうのはね、カットの仕方があるの。見てなさい」
フィンはカットナイフを取り出すと右手の上で回転させ掴む。
それから左手で赤瓜を抑え、まずへたのある頭の部分をバッサリ切り落とした。
くるりと器用に赤瓜を回転させ、お尻の部分も同じようにカットする。
そうすると楕円だった赤瓜はまな板に立つようになる。
そこからが見事だった。
立たせた赤瓜の上側から皮を丸みに沿って削ぐようにカットしていく。
ナイフが動くたびに赤い実の部分が露出していった。
アズたちもこっちに来たが、フィンの見事な実演に食い入るように見ている。
皮を切り終わったら底の部分に残った切り残しを器用に削ぎ通し、赤い宝石のような赤瓜の実がそこにあった。
後はそれを半分に切り落とし、半円になったら断面をまな板に向けてナイフを入れていく。
終わったら九十度回転させて同じようにすれば、あっという間にサイコロ状になる。
それをボウルに入れれば完成だ。
もう一個も同じようにカットし、わずかな時間で大きな赤瓜二玉を処理し終えた。
フィンのナイフ術は見事なものだ。
正直これを実演販売すれば絶対売れる。
暗殺者になどなる必要はないだろう。
「ま、こんなもんよ」
「凄いです! あっという間に終わっちゃいました」
「感心したよ」
「そうでしょうそうでしょう」
鼻高々だった。
切った赤瓜は全員で美味しくいただいた。
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