第552話 老獪なる貴族

 詐欺師が好んでよく使う言葉を知っているだろうか?

 それは私に任せてくれれば悪いようにはしない、だ。

 その言葉を信じて任せていたら、いつの間にか全てを奪われているのが関の山だ。

 過去の経験からこの言葉を使う人間には注意するようにしている。


 若くして店を持ったヨハネにはかつて色々な話が持ちかけられた。

 大半は考慮に値しない戯言のようなものだが、中にはちゃんとした商談もあった。

 だが詳しく話を聞くと、巧みな話術の裏にヨハネだけが損をするスキームを仕掛けてたり、店を乗っ取ろうとするやつもいた。

 決まってそいつらがこう言うのだ。

 悪いようにはしないから、と。


「よしてくれ」


 目の前で半裸になったメイドたちが近寄ってくるのを言葉で制した。

 だが意に介さず周囲を囲む。

 興奮を覚えないわけではなかったが、このシチュエーションは正直ちょっと怖い。

 モーマン財務卿に取り入りたいなら喜んで手を出すべきだろうが、ティアニス王女殿下という先約がいる。

 アナティア嬢もだ。

 もしこのようなハニートラップに手を出せば彼女たちは軽蔑するだろう。


「ヨハネ様、是非とも私たちのサービスを受け取ってください。気持ち良さは保証いたします」

「結構だ。モーマン伯爵閣下、彼女たちを止めて下さい」

「なぜかね? ああ、もしかして楽しんだら私に便宜を図らなくてはいけないと気にしているのか。慎重な男だね君は。心配しなくていい。これはお近づきのサービスだ。行為中は私も席を外すとも……君にはバラ色の未来が待っているぞ」


 こんなサービスがあるか! と怒鳴らなかった自分を褒めてやりたい。

 懐柔する気満々じゃないか。

 こうやって他人を懐柔してきたのだろう。

 金と女。シンプルだが強力だ。

 その証拠に、モーマン財務卿の顔は笑っていても目は一切笑っていない。

 他人を駒としか見ていない人間の目だ。


 メイドたちは確かに美しい。こういったことのために美人を集めたのだと分かる。

 スタイルもよく、肉付きの良い体を惜しげもなく押し付けてくる。

 危なかった。エルザやアレクシアで耐性を身に着けていなかったら溺れていたかもしれない。

 だが弱みを握られれば一生言いなりだ。


「あのような小娘に付いても、君が苦労するだけだ。アナティア公爵令嬢はもう少し賢いが……彼女たちにこういったことは期待できまい」


 メイドたちが下着に手をかけたところで席から立ち上がる。

 これ以上ここにいる必要はないだろう。

 モーマン財務卿の立ち位置はよく分かった。

 ティアニス王女殿下から人を引きはがし、傀儡にしたいのだ。


「たしかにティアニス王女殿下はまだ幼く、国家を運営していくのは困難を伴うでしょう。ですが、彼女は誰よりも王国のことを考えていますよ。少なくとも、貴方よりは」

「ふむ。王国のために全力を尽くしている自負はあるのだがね。それに私を敵に回すのは得策ではないと思うが?」

「味方にならなければ敵、ですか。いかにも貴族の方らしい考え方ですね」


 モーマン財務卿はくぐもった笑いをした。

 メイドたちは少し怯えている気がする。


「面白い小僧だ。なるほど、あの小娘たちも人を見る目くらいはあったか」

「それだけじゃない。彼女たちにはバロバ公爵が後ろにいるんですよ」

「……もう一つの王家、か」


 ティアニス王女殿下とアナティア嬢だけなら、恐らくモーマン財務卿を含めた大貴族が結束すればどうとでもなる。

 だがバロバ公爵という後ろ盾はそれを跳ね返すほどに強力だ。

 だからこそ少しでも力を削ぐために、彼からすればたかが平民を呼びつけて寛大に接待をしてやろうと思ったのだろう。

 舐められたものだ。

 それにそもそも手を出したら間違いなくエルザにバレる。

 好意を寄せてくれているのは分かっているものの、もしバレたらどうなるか想像もできない。


「では失礼します。別にこんなことがあったからと言って、ティアニス王女殿下たちにあなたのことを悪く言ったりはしませんからご安心を」

「それは助かるが、残念だ。もう少し早く会いたかった」


 モーマン財務卿は長年王国の財務を担当してきた人物だ。

 ティアニス王女が王国の執務を取り扱うにあたって、決して無視できない。

 まるで欲を食らう魔物のような爺だ。

 こんな相手とも付き合っていかなきゃいけないとは、ティアニス王女が頭を抱えて机に突っ伏すのも分かる。人間不信に陥るのも理解できた。

 モーマン財務卿の合図でメイドたちがようやく離れ、脱いだ下着や服を身に着ける。

 やっと一息つける。

 香水とメイドたちの甘い香りでどうにかなりそうだった。


「残念ですわ。とってもタイプだったのに」


 前髪で片目が隠れた一番の美人が、流し目でこっちを見ながらそう言った。

 色気が凄まじい。


「君とは長い付き合いになりそうだ。よろしく頼むよ、ヨハネ君」

「こちらこそよろしくお願いします」


 お互い一切心のこもっていない、言葉だけの虚しいやり取りを終えて部屋から出るために後ろを向く。

 背中を向けたくなかったが仕方あるまい。

 この爺さんに背中を預けることはないだろう。

 ドアノブを握った時、一つ聞きたかったことがあるのを思い出した。


「モーマン財務卿閣下。一つ聞きたいのですが」

「なにかね?」

「あなた、もしかして王国の手形をごっそり売ったんじゃありませんか?」


 財務卿の立場は王国の国庫や為替、手形の流通を最も早く正確に知ることができる。

 その立場を利用すれば、莫大な富を稼ぐのもさぞ楽だろう。

 為替が大きく動くほどの手形を持つ貴族はきっと限られる。


「言っただろう。もっと早く会いたかったと。君も一枚噛めば私と組む気になり、一生金には困らなかったのに」

「そうですか。王国の商人として、そうならなくてよかったです」


 ドアノブを力任せに開けた。

 去り際にメイドが声をかけてくる。


「お連れ様は二つ隣の部屋に」

「どうも」

「いえいえ」


 メイドはこっちに向かいカーテシーを行う。

 だが短いスカートを横に広げたため、太ももとガーターベルトが見える。

 ドアを閉め、エルザを迎えに行って屋敷から出た。

 ダンジョンに入るより精神的に疲れたかもしれない。


「疲れた……さっさと帰って寝よう」

「そうですね」


 エルザは近寄ってきて首筋や肩に顔を近づけてくる。

 どうやら匂いを嗅いでいるようだ。


「ご主人様。他の女の匂いがするんですが、なにかありましたか」

「何もなかった。本当だ。神に誓ってもいい」

「そうですか。そこまで言うなら信じてあげます。でも」


 エルザは両手を広げて抱き着いてきた。

 柔らかい胸や太ももの感触が押し付けられる。


「その代わり私の匂いで上書きしますけどね」


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