第545話 為替の原因
人体発火。
そうとしか言いようがない事態だった。
突然のことに訓練された兵士ですら取り乱す。
耳にこびり付くような悲鳴や助けを求める声がそこら中で聞こえた。
燃えた住民に水をかぶせたり、布で鎮火させようとしたが火の勢いは収まらない。
バロバ公爵や指揮官は取り乱した兵士たちの統率を取り乱すために、そちらへ意識を傾けねばならなかった。
それと同時に三人組が火に包まれて姿を消す。
これを見せるためだけに姿を現したのだろうか。
住人が燃え尽きた頃、ようやく騒ぎが収まった。
「奴らの兵士が時折ああなったのは確認しているが、よもや住人までとは……」
「逃げた三人組は追跡しますか?」
「やめておけ。こっちが大軍だから引いただけだ。個別に動けば的になる」
兵士たちは後始末に追われていた。
若い兵士の中には気分を悪くしたり動揺している者も見かけた。
当然だ。あんな光景を見せられたら戦意喪失してもおかしくない。
「足止めが目的なら十分な効果だというしかない。焦土作戦を本当に焦土になるまでやるなどと異常だ」
「住人の命などどうでもいいのでしょう。この都市はもうダメですね……」
わずかにいた住人すらいなくなった都市は静まり返っている。
改めて太陽神教の異常さを見せつけられた。
それでも、アーサルム軍は兵士たちの動揺が収まり次第更に奥に侵攻するようだ。
健闘を祈り、バロバ公爵の下から離れてアーサルムに戻ることにした。
「子供まで巻き添えにすることはないのに」
ポツリとアレクシアが呟く。
同感だ。
沈黙するのには耐えられないのか他の皆も少しずつ口を開く。
「住人の皆さんもですよ。彼らはただ信仰していただけ。なのに無理やりくべられてしまった。人が神を崇めるのは平穏を願うためだというのに」
「私は神様なんて信じてないから。でもあんなの見せられたら腹が立つわね」
「……バロバ公爵がきっと何とかしてくれるさ」
軍隊を倒せるのは軍隊だけだ。
ヨハネに今できることは殆どない。
大陸がもし太陽神教に完全に支配されていたら、大陸中の人間全てが太陽神の一存でああなるのだろうか?
だとしたら、それはもう奴隷ですらない。神の家畜じゃないか。
やや暗い雰囲気の中、アーサルムに戻ることができた。
役目はまだ残っている。
為替の確認をしておかねば。
その前にのどを潤したい。
あんな光景を見せられたのだ。胸がムカムカする。
果汁を氷水に入れた飲み物を全員分購入し、一息つく。
もしかしたら今日は寝られないかもしれないな。
フィンが思いっきり背中を叩いてきた。
小気味良い音がする。
「何暗い顔してんのよ。まあちょっとショッキングだったけど、終わったことでしょ。アンタはのほほんと憎たらしい笑顔をしてるくらいで丁度いいの」
「憎たらしいってお前……俺はそんな顔してるか?」
「いえ、そんなことないですよ」
「そうですよ、旦那様は素敵です」
「はいはい、全く目が曇った連中ね」
「えっ、ひどくないですかフィンちゃん」
フィンの言葉を切っ掛けに少し雰囲気が明るくなる。
本音なのだろうが、気を使わせてしまったようだ。
「エルザ、大丈夫か?」
「私ですか? はい、大丈夫ですよ……。いえ。すみません。あれを止められなかったことが少し悔しいです」
いつもと違うといえばエルザもそうだ。
笑顔に影がある。
かつて争った創世王教の司祭として太陽神教の悪行に心を痛めているのだろう。
「何もかも背負い込むな。お前の肩に全てが乗せられるわけじゃない。俺だってそうだ」
「そうでしょうか? 私が全てを背負えたら違う未来があったかもしれないのに」
「傲慢ね、エルザ。悲劇のヒロインにでもなったつもり?」
「アレクシアちゃん。でも」
「でもじゃないの。目に映る範囲、手が届く範囲のことを考えなさい。博愛だって行き過ぎたら他人から見ても醜いものよ」
一度全てを失ったアレクシアが言うと説得力がある。
経験からそう言っているのだろう。
エルザにも思うところがあったのか、小さく頷く。
「さっさと頼まれごとを終わらせて今日はアーサルムで休もう。ちょっと贅沢な宿にして美味いものでも食べれば気分も変わるだろう」
「あんたにしては良い提案ね」
人間はどうしたって腹は減る。
だから美味しい食事は大事だ。
為替商人のところへ出向き、帝国の手形を王国の通貨に代えてもらう。
額面通りなら王国金貨十枚だが、今のレートを確認したところ十二枚になっていた。
王国の通貨がかなり安くなっている。
今帝国は新しい皇帝が誕生して賑わっているので帝国の通貨が高くなっているのもあると思う。
少し話を聞いてみると、しばらく前からゆっくりと通貨安が起きていたようだ。
店の仕入れ値が上がり始めた時期と一致する。
それでもその動きは緩やかで気にするほどではなかったが、ここ最近一気に貴族を中心に王国の手形が売りに出されたという。
そのせいで加速してしまったらしい。
今は一旦落ち着いているものの、戻る気配は今のところない。
(貴族が我先に王国の手形を処分したせいか!)
王国の通貨安を招いたのは自国の貴族だというのだから笑えない。
王都や王城が被害にあったと聞いて慌てて処分したのだろう。
踏ん張って頑張っているティアニス王女やアナティア嬢がこれを聞いたらショックだろうな。
混乱を治めるために頑張っているのに、特権階級の貴族たちは混乱を酷くしている。
……王国はたしかに今少しだけ弱っている。
だが、必ず再び立ち上がれると確信している。
王都の人々が復興のために奮起する姿や、ティアニス王女たちの姿を見ているからだ。
「今ある王国の手形をすべて売ってくれないか?」
「す、全て? 今の話を聞いてただろう。正気か?」
「金ならある」
アーサルム軍に馬車の荷を売った金と、バロバ公爵から餞別に大金を受け取っている。
為替商人は呆気にとられていたが、ダブついていた手形を処分できるなら文句はないと売ってくれた。
王国の人間が王国を信じなくてどうする。
それに価値が減っているとはいえ流動性はきちんとある。
「本音は安いから買った、でしょ」
「さて、なんのことやら」
本来の価値より安く買えば儲けるのは簡単だ。
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