第535話 頼れるのは貴方だけなんです

 僅かな破片でありながら、イザード王の王冠の欠片は眩い輝きを保っていた。

 見る者を安心させるような、そんな輝きだ。


「なぁに、それ?」


 ティアニス王女はきょとんとした顔で取り出した王冠の欠片を見つめる。

 これがなんなのか分からないといった様子だ。


「大きな金の塊でも見つけたの? たしかに綺麗だけど」

「これって……ヨハネさん、ちょっと見せてもらっていいですか?」


 頷くと、アナティア嬢はそっと王冠の欠片を手に取る。

 そしてまじまじと見つめた後に高く掲げ、片目を閉じて目を細める。

 まるで鑑定でもしているようだ。


「ヨハネさん、これをどこで?」

「先ほどお話しした赤い月事件に巻き込まれた時に。イザード王とお会いして助けてもらった後、これを王国に持ち帰るように頼まれました」

「イザード王が……道理で残りの部分をいくら探しても見つからないわけだわ。そんなことになっていたなんて。イザード王はどうされたの?」

「赤い月を倒した後、これを私に託して消えていきました。肉体はずっと前に滅びていたようです」


 アナティア嬢から返してもらう。

 王冠が完成するにはバロバ公爵の下に行かなければならないが、彼女は王都から離れられない身だ。

 預けるには不適格だろう。


「二人で何の話をしてるの? 私をのけ者にしないでちょうだい! イザード王ってたしか古い王様よね」

「そう、歴代でもっとも勇敢と呼ばれた王様。騎士を率いて魔物を討伐しに行った帰り道に行方が分からなくなりました。あるものは陰謀と叫び、あるものは他国の仕業と呟き揉めに揉めたんです。人望のある方でしたからその分議会が紛糾したと伝わっています」


 イザード王は力強く頼りになる人物だった。

 背中を見るだけで勇気が湧いてくるような気さえしたほどだ。

 そんな王様が突然いなくなったのだから、慕っていた人たちの動揺は想像できる。


「そのまま後継者争いにまで発展して……内戦寸前までいったと聞いてます。その結果デイアンクル公爵家が生まれたんです。王国を二つに割るわけにはいきませんでしたから」

「なるほど。だから王冠一つにあれだけのお金を出したんですね。もしかしたら何かわかるかもと」

「ええ。それと単純に取り戻したかったというのもあると思います。お父様はイザード王の話に強い憧れを持っていましたから」

「……私のところには何も伝わってない」


 アナティア嬢と話が盛り上がっていると、少し拗ねた顔をしたティアニス王女がいた。

 公爵家と王家では伝わり方が違うのだろうか。

 だがそんなことあるのか?


「自国の王が突然行方不明になったのですから、王家はそれを表に出したくなかったんだと思います。だからあえてぼかして伝えなかったのでしょう」

「それはいくらなんでも……」


 あんまりだ、と言おうとしたがなんとか留まった。

 ティアニス王女が悪いわけではない。

 だが命の恩人に対してそんな扱いは納得できなかった。


「だからせめて我々公爵家だけでも忘れずに伝えようという気持ちもあります。そしてようやくイザード王は王国に帰ってきた。きっとそれでいいんです」


 イザード王の最後の頼みは、王冠を王国に戻すことだった。

 完全な形にはまだ戻ってはいないが、故郷に持って帰ることには成功したのだ。


「これで正当な王権が王国に戻ってきた、と戴冠式で見聞できますしね。帝国のように派手なものにはしなくても、正統性は保証できます。イザード王の帰還も大々的に発表できて一石二鳥です」


 アナティア嬢はティアニス王女の頭を撫でる。

 やはり彼女はしたたかだ。

 王冠の欠片を見て驚いただろうに、そんなことにまで気を回すとは。


「ヨハネさん。お父様もこれをみたら喜ぶと思います」

「私は持ち帰っただけですが、そんなに喜んでくれるなら良かったです」

「それで、なのですが……」


 遠慮がちに目を潤ませて見上げてくる。

 気品があって美しいアナティア嬢がそういう仕草をすると思わずドキッとしてしまう。

 ただ経験から次の言葉は予想できた。

 これはお願いの前振りだと。


「信頼できないものにこれを預けることはできません。特に今はとても微妙な時期です。私が直接もって行けたらいいのですが、この子を一人にするわけにもいきませんし」

「ティアニス王女によからぬことを吹き込みたい人は大勢いるでしょうね」

「はい。中にはもっと過激なことを考える人がいてもおかしくない。なので私が最も信頼するヨハネさんにこれをお父様のもとに送り届けて欲しいんです。ダメでしょうか?」


 潤んだ瞳でこっちを見上げてからダメでしょうか? というのは反則だ。

 断れる男がこの世に何人いるのだろうか。

 ただ元々頼まれなくても自分の手で届けるつもりだった。

 それが命を助けてもらったことに対する礼儀だと思っているからだ。


「分かりました。必ずお届けします」

「ありがとう」


 ギュッと両手でこっちの手を握りしめてくる。

 シルクの手袋の肌触りにドキドキする。

 計算でやっているのか本心でやっているのか。


 チッという舌打ちが後ろで聞こえた気がする。


「そうだ。良いお茶を見つけたので帝国のお土産で持ってきたんです。是非飲んでもらえませんか?」

「あら、気が利くじゃない。お湯ならあるからそれを使って」

「ふふ。ヨハネさんがお勧めするなら楽しみですね」


 紅茶と同じ要領で茶葉をティーポットに入れてお湯を注ぎ成分を抽出する。

 茶葉がお湯の中で踊るようにくるくる回ると、香りが出てくる。


「爽やかな香りがする。なんだか疲れがとれそう。お菓子も用意させようかしら」

「賛成。ケーキと一緒に頂きたいわ」


 メイドにケーキを持ってこさせていた。

 アズたちの分も用意してくれたのは助かる。


 毒見というわけではないが、先に一口飲んでみせる。

 ハーブのような香りが鼻に抜けていき、僅かな甘みと苦みが舌に残る。

 集中力が増すような錯覚さえしそうだ。


 二人がお茶を注いだカップに口をつける。

 少し緊張しながら見守ったが、気に入って貰えたようだ。


 その場で注文まで貰った。

 やはりこれなら女性に人気が出るだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る