第531話 ひと時の休息を
立ち上がって服についた埃を落とす。
秘密の通路だけあって少し古びた匂いがした。
念のためエルハーニのいた場所を確認するが、そこにはわずかな灰があるのみだった。
文字通り燃え尽きたのだろう。
「アズちゃん、ちょっと手を貸して」
「エルザさん?」
エルザがアズの手を掴む。
そして手の平を仰向けにすると手首の辺りを押した。
するとアズの表情が歪む。
「痛っ」
「やっぱり。なりふり構わず強引に力を使ったでしょう。だからあっさり勝てたんだと思うけど、無茶しちゃダメだよ。身体が持たない」
「でも、許せなかったんです。それにとても嫌な感じがしたので長引かせたくなかったですし」
「あの剣と同じ。一気に力を流し込むと器が壊れちゃうから……」
エルザはゆっくりと筋肉をほぐすようにアズの腕を揉む。
癒しの奇跡とマッサージの効果があったのか、アズの表情も和らいでいった。
無茶をさせてしまったな。だがろくな武器もなかったあの状態でよくやってくれたと思う。
エルザが叱ってくれたのでその分褒めることにした。
「ありがとうな、アズ。ただ無茶だけはあんまりしないようにしてくれ」
「これぐらいへっちゃらです。グルンちゃんがあればもっと楽だったんですけど」
「パーティー会場に武器は持ち込めないからなぁ」
他に怪我人はいないようだ。
ここにいても仕方がないので、グローリアの案内で移動する。
大きな城だと思ったが、こんな仕掛けがあるとは思わなかった。
王城にもきっと似たようなものがあるかもしれない。
途中分かれ道がいくつかあった。
状況によって使い分けるのだろう。
最終的に人気のない客室エリアに到着した。
ヨハネの部屋に入る。
「我々が警護しますので後のことはご心配なさらず、本日はこのままお休みください」
「分かりました」
言いたいことは色々ある。それにはいそうですかとは言い辛いが、言うしかない。
その代わり自衛のために全員で一夜を明かすことにした。
「とりあえず着替えましょうか。いつまでもこの格好じゃね」
「そうですね」
「うぅ、買ってもらったドレスが……」
「アズ、そう悲しい顔をするな。丈は短くなったが、手直しすればちゃんと着れるようになるよ」
「本当ですか?」
こっちを向いて一気に表情が明るくなる。
やれやれ、ようやく機嫌が直ったかな。
アズは髪飾りを外し、小さな道具入れに戻す。
たしか最初の方にプレゼントした硬貨入れだったが、大切に使っているようだ。
全員で着替える。
今日は安全のためにもばらけるわけにはいかない。
カーテンを仕切りに使えばオルレアンやフィンもそれほど気にならないだろう。
いつもの服装に戻ると、肩の荷が下りた気がする。
ああいう場はどうしても苦手だ。
それぞれ腰を落ち着けて体を休める。
軽食と飲み物は運んできてくれたのでもう外に出る必要はない。
なんにせよ、色々あったが帝国に来た目的は全て果たした。
危険なこともあったが、収穫もあった。
後は王国に帰るだけだ。
王都の状況が気になる。
それに今頃バロバ公爵の率いるアーサルム軍が太陽神教と衝突しているはずだ。
アーサルムの軍隊は王国随一の精強な軍隊だが、太陽神教は何をしてくるか分からない。あまりにも不気味だ。王都を襲った魔法のこともある。
今回襲ってきたプロミネンスという連中も、撃退したが一筋縄ではいかなかった。
イザード王から預かった王冠の欠片も渡したい。無事であればいいのだが……。
疲れていたが考えることが多すぎてなかなか寝る気にならず、結局明け方に少し仮眠するのがやっとだった。
座りながら眠ってしまったようで、目を覚ますとアズが肩にもたれかかって眠っていた。
そっと抜け出そうとすると起こしてしまう。
「おはようございます」
「おはよう」
アズの目はとろんとしており、挨拶したと思ったらまた眠り始めてしまった。
あれだけ頑張ったんだ。ギリギリまで寝かせておいてやろう。
「起きた? 呑気に寝てたわよ」
「悪いな、ずっと見張っててくれたのか」
「このくらいなんでもないわ。あいつらは信用できないしね」
フィンはベッドに腰かけていた。
窓と入り口の扉が見える位置で夜通しずっと見張っていてくれたらしい。
慣れてはいても疲れたまま起き続けるのは辛いはずだ。
それでも皆のために率先してやってくれたのだ。
やはりフィンは口は悪いが優しいところがある。
寝起きの悪いアレクシアとエルザを起こす。
オルレアンはいつの間にか起きて顔を洗い終わっていた。
手のかからない子だ。
最後にアズを起こし、テーブルに添えられていた果物を朝食代わりに頂く。
帝国のリンゴは酸っぱいが、これはこれで美味いな。
扉がノックされる。
昨日の今日だからか、ヨハネとオルレアン以外はすぐに臨戦態勢になる。
アレクシアがそっと扉を開けるとグローリアの部下が立っていた。
「皆様、お休みのところ申し訳ありません。ケルベス陛下がお呼びです」
「すぐに行きます」
こんな朝から忙しいケルベス皇帝の呼び出し。間違いなく襲撃の件か。
あの赤い月のことも合わせれば二度目だ。
しかも警備の責任者が内通していたとなれば帝国側のミスという他ない。
暗殺者のグローリアが動いたということは、おそらく襲撃そのものは内密に葬られたのだと思う。
その口止めもしたいのだと推測した。
連れてこられた部屋は以前と同じ場所だが、内装が大きく変化している。
皇太子から皇帝になったということで手を加えたのだろうか。
少し待った後、ケルベス皇帝が姿を現した。
その場にいるだけで空気が変わるような存在感だ。
「待たせたな。どうしても決済しておかなければならない要件があって遅れた」
「大変そうですね」
「ああ。皇帝はふんぞり返るのが仕事だとは思っていなかったが、中々多忙だ。だがいずれ落ち着くだろう。それから悪かったな。まさか賊の侵入を許すとは」
「グローリアさんのおかげで助かりました」
「あれだけ音がすればいやでも気付く。警備を任せた男はかつての俺の部下でな。熱心ゆえに色々と仕事を任せていたのだが、その熱心さが太陽神教への信仰からくるものだったとは。部屋を調べて色々と証拠も出てきたので処罰した。一度帝国全体を改める必要があるだろう」
「信者かどうかは見て分かるものではありませんからね」
これが厄介なところだ。必ずしもロザリオをつけているとは限らず、心の中を見ることはできない。
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