第527話 ケルベス皇帝

 戴冠式のパレードはゆっくりと帝都を一周して最後に帝城に入り、バルコニーにてケルベス皇太子へ皇帝の冠を授けることになっている。

 これで戴冠式は完了だ。


 ほぼ丸一日かけて盛大に行われる。

 駆け付けた民衆目当てに多くの露店が商売に励んでおり、多くの人が買い食いなどを楽しんでいた。


 正直パレードの見世物になっているよりあっちの方が楽しそうだなと思ったのは内緒だ。

 これが立場というものか、としみじみ思う。


 ちなみに冠を授けるのは慣例として帝国のもっとも位の高い司祭らしい。

 少し前までは太陽神教の司祭が担当していたのだが、王国での騒動がもとで地位を剥奪されたようだ。


 初代皇帝は名も無き神の助力により力を得てこの大帝国を作り上げた。

 そのため皇帝の地位とはこの神に与えられたものと考えられている。


 学者によれば神寵帝理念というのだとか。


 とはいえ時代と共に名も無き神の影響は消えゆき、もはや形骸化してしまった。

 司祭が冠を授けるという行事だけが残ったという。

 教会が皇帝を認可するという形だが、教会側に拒否権はない。

 恐らく権威付けという側面もあるのだろう。


 パレードの警備は厳重で、絶対に問題は起こさないという強い意志が感じられた。

 帝都を移動中にもしケルベス皇太子が暗殺されでもしたら大変なことだ。


「魔法で狙撃できそうな場所は念入りに全部抑えてあるわね」

「よく分かるな」

「私ならどこで狙うかを考えれば簡単よ。ほら、見て」


 フィンの指先がそっと高い建物を指さす。

 視線をそっちに向けると、屋上のひらけた場所で黒い装束を着た人物が見えた。

 グローリアの部下だろう。


「まぁケルベスも耐魔のオーブを引っ提げてるし狙うバカはいないわよ。この厳重な警備の中で剣で暗殺なんて以ての外だし」

「今回ばかりはトラブルなく終わって欲しいよ」

「あはは、同感。私たちは添え物だし気楽に構えてればいいでしょ」


 フィンは椅子に座ると、シルクの手袋を外してお菓子をつまむ。

 緊張した様子もないし、肝が据わっている。


 試しに外へ向けて手を振ると、民衆が反応して歓声をあげる。

 誰かも分かっていないだろうに、雰囲気に飲まれているな。だが悪い気はしない。


 もしくは連れているアズたちが奇麗だからか。

 外から見れば高貴な一団に見えてもおかしくはない。


「しかし丸腰っていうのも落ち着かないわね」

「ドレス姿で武器を持っていたらおかしいだろう」

「えっと……ご主人様がそれを言うの?」

「場所が場所だから持ち込み禁止なのは当然だ」


 話を逸らすように言うとアレクシアからジト目で睨まれた。


「ほら、ネクタイが曲がってるじゃない。見られてるんだからしっかりしないと」


 アレクシアが傍に寄ってきて直してくれた。

 間近に来ると香水とアレクシアの香りが混ざって良い匂いがする。


 パレードはつつがなく進行し、先頭から帝城へと入っていく。

 民衆はバルコニーの見える中庭へと集まっていった。

 凄まじい人口密度で、地面が見えないほどだ。


 これだけの人の期待を背負うというのはどんな気持ちなんだろうか。

 貴族だの王族だのは生まれた時から何不自由なく気楽に生きていると昔は思っていた。


 しかし、決してそうではないというのも彼らと接して理解しつつある。

 もちろんクソみたいな貴族もいるのだが、高い社会的地位にはそれ相応の義務が伴うのだ。


「ヨハネ、お前も見ているがいい。私が皇帝となる瞬間をな」


 バルコニーに繋がる通路で待機していると、準備を整えたケルベス皇太子が歩いてきた。

 凄まじい自信に満ち溢れたオーラが見えるようだ。

 皇帝になるという事実が昨日までの彼とは一線を画しているのかもしれない。


 ケルベス皇太子がバルコニーに姿を現すと、再び歓声が沸いた。

 ひとしきり歓声が聞こえた後ケルベス皇太子はそっと右手を上げる。

 すると民衆たちはその意図を理解し静かになっていった。


「帝国の民よ。この記念すべき日によく集まってくれた。余は嬉しく思う」


 声は魔法を通して広く伝わっている。

 恐らく目に見える範囲には行き届いているだろう。


「先帝である我が父が病に倒れて以来、帝国は困難が続いた。本来支えるべき臣民も好き勝手し始めたのもこの頃だ。余はまだ幼く、口惜しく思っていた。だが、その日々が余を育てた」


 帝国の民は皆静かに聞き入っている。


「先帝亡き後、我が兄弟や親族は帝国を我が物にしようと動いた。帝国を食い物にしていた恥ずべき臣民も奴らを後押しした。ゆえに余はその全てを排し、今ここにいる。余は誓おう。帝国を立て直し、より豊かな国にすることを」


 ケルベス皇太子は宣言と同時に飾りの剣を天へと突き立てる。


 同時に民衆の歓声が再び空気を揺らした。

 さっきの比ではない。


 帝国万歳、ケルベス皇帝万歳という叫びまで聞こえてきたほどだ。


「では陛下。冠をその頭に」

「うむ」


 ケルベス皇太子は左膝を曲げ地面につけて首を垂れる。

 老齢の司祭が冠を両手に持ち、一旦静止する。


「神と精霊の祝福と共に、汝を新たな皇帝とする。ケルベス・アンビッシュル」


 そっと冠を頭に被せる。

 ケルベス皇太子からケルベス皇帝へ。

 今ここに新たな皇帝が誕生した。


 きっと帝国はこれから更に大きく強くなるだろう。

 その成長の波に上手く乗れたらいいのだが。


 万雷の拍手が新たな皇帝を包む。


 こうして戴冠式は盛大に終わりを迎えた。


 それからはお祭り騒ぎだ。

 ケルベス皇帝からは祝いだということで食べ物とワインが振る舞われ、大いに民衆が沸く。


「こうするとイメージが良くなるのでしょうね」

「オルレアン……そういうことは思っても言わないのが慎ましいんだぞ」

「勉強になります」

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