第528話 プロミネンス

 戴冠式を祝う宴は日が落ちても続けられた。

 夜になったというのに、松明や魔法による明かりでまるで昼のようだ。


 食事やワインは民衆が手に取って減るたびに補充されていく。

 それでいて食事の内容も手を抜いている様子はない。

 相当な費用をかけているのが分かる。


 腹を満たすという行為は単純ながら大切だ。

 アーサルムや王城では災害にあって不安になっている人たちが、食事をとることでその不安を和らげるのを目にしてきた。


 衣食足りて礼節を知るなんて言葉もある。


 外では民衆向けに、そして帝城内では貴族や商人たちでパーティーを催していた。

 こっちでは食事は摘まめるような軽いものが中心で酒も高級なものばかりだ。

 もっとも皆そんなものよりお喋りの方が大切なようだが。


 なんせこれから帝国の中枢になる面子が一堂に介している。

 それぞれが縁を結び自らの権益に繋げることに躍起になっていた。


 アズたちを連れて何人かの人と話したがかなり疲れた。

 最近とんとん拍子に立場が上がってはいるものの、ヨハネの中身はいまだ小さな商会の主だ。

 だというのに、向こうからすれば新たな皇帝と仲のいい王国の有力者という扱いなのだから堪らない。


 アレクシアのお陰で政治については少しは理解したつもりだが、王国の代表として振る舞うのは中々のストレスだった。


 次からは外交官の一人でも同伴するべきだ。そして仕事は全て投げてしまおう。

 緊急時とはいえ、そもそもただの商人が国の外交まで任されているのがおかしい。

 王国に戻ったらティアニス王女に直訴しなければ。

 官僚のパワーバランスよりも外交の方が大切だろう。


 ……アズたちが居てくれるのも助けになっている。

 美しい女性たちをお連れですね、という話題が生まれるからだ。

 冒険者で護衛をしてもらってるというと少し驚いてくれる。

 見世物扱いでだしにして悪いが、ここは我慢してもらおう。


 幸いダンターグ公爵派閥の貴族が多いので、世間話程度だがなんとか面子を潰さずに済んだ。


 招かれている商人も帝都に滞在している間に顔合わせした相手がいたのでなんとかなった。

 王国はどうやら大変そうですね、なんてむしろ少し同情されてしまった。


 もうそろそろ王都の惨状のことが知れ渡っていてもおかしくないか。

 外交官一人送り出す余裕もないのかと。


 まあ仕方がない。

 ヨハネが引き受けなければ戴冠式に出席することすら難しかったのだ。

 最悪の事態がそれだとすれば、今の状態は及第点だろう。


 しかし妙に貴族の御令嬢に話しかけられる気がする。

 理由はダンターグ公爵夫人に納めている石鹸と香料のセットだ。

 あれを使うと美しくなれると評判が立っており、この前収めた分もすでに予約で埋まってしまったらしい。

 実際ダンターグ公爵夫人は妙齢にも拘らず非常に艶が出てきた気がする。

 彼女が広告塔になってくれているのだろう。

 商品が大変な人気なのが伺えた。


 帝国内で量産体制を整えたので近いうちに手に入りますよと伝えると喜んでくれた。

 中にはハグしてくれた令嬢までいたほどだ。

 少しばかり過剰なスキンシップにどぎまぎしていると、エルザとアレクシアから足を踏まれてしまった。

 二人からするとヨハネがデレデレしすぎて表情がだらしなかったらしい。


 理不尽だ。

 フィンは何をやってんのと呆れている。


 アズのこっちを見る目もなんだか怪しかった。

 オルレアンだけが癒しかもしれない。


 いまのところ王国は帝国からは悪くは思われていないようだ。

 侵略するほど魅力がある国ではなく、脅威と思われていないのかもしれない。

 ケルベス皇帝はどう思っているのかは分からないが、少なくとも現在の友好条約は引き継いでくれると聞いている。

 王国と比較的近く、影響力のあるダンターグ公爵が生きている間はきっと大丈夫だと思う。


「よう、楽しんでいるか?」

「陛下。ええ。皆さんよくしてくれています」

「表情と台詞があってないぞ」


 ケルベス皇帝に声をかけられる。

 どうやら疲れているのを見透かされているようだ。


「皆お前に興味があるのさ。新進気鋭の王国の顔としてな」

「勘弁してください。そうじゃないのは陛下がよく分かっているでしょう? 次からはちゃんとした外交官にでもお願いしますよ」

「王国の貴族の面を見るくらいなら、お前が来る方がよほど皆も喜ぶと思うがな。貴族ではなく商人だから実務的なことも話せて好評だぞ?」

「それはつまり私を遠慮なく捌け口にできるってことでしょう」

「そうかもしれないな! まぁお前が来るなら歓迎してやる。帝国に益のある話ならもちろん耳を傾けてやろう。だから喋るたびに不快な思いをさせるようなやつを寄こしてくれるなよ?」

「伝えておきます。……決めるのは私ではありませんので」


 これではお前が引き続き窓口になれと言っているようなものだ。

 これまでの外交官はあまりよく思われていなかったらしい。


 悪い気はしないが、重圧に気を揉みそうだ。

 帳簿でもつけている方がよほど楽しい。


「一通り顔合わせは済んだようだな。疲れているなら少し休んでくるといい」

「お言葉に甘えてそうさせてもらいます」


 助かった。

 営業スマイルは得意だが、常に気を張っているのでかなり疲労している。

 というか朝のパレードからずっと緊張が解けてないので、腰を下ろして少しゆっくりしたい。


 渡りに船とばかりにケルベス皇帝の提案に飛びつき、休憩室へと移動する。

 来客用の客室を臨時で使用しているとのことだったが、少し遠い。


 だが火照った身体を冷やすには丁度よかったかもしれない。


「ヒールは足が疲れるわね。冒険者をやる時は靴だけはちゃんとブーツでよかったわ」

「それはさすがに自殺行為ですよ」


 アレクシアは人目が無くなったのをいいことに足を揉む。

 屈んだ時にドレスの胸の谷間が強調された。

 他の面々もリラックスしていた。

 ヨハネと同じようにパーティーで落ち着かなかったのだろう。


 会場の賑やかな声も遠くなってきた。

 そろそろ休憩室に到着かと思った時、フィンが足を止める。


「どうした?」

「ちょっと静かすぎない? 会場を出てから警備の兵士も見てないわ」

「外の警備に駆り出されてるんじゃないのか?」

「皇帝や帝国の重鎮が集まってるここより優先して? おかしいじゃない」


 そう言われるとそうだ。

 だがもしかしたらグローリアやその仲間たちが陰ながら護衛しているのかもしれない。

 そう言おうとしたところで、廊下の奥から三人組が姿を現した。

 三人とも真っ赤なローブを身に着けており、真ん中の人物は太陽らしきシンボルのマークが描かれた仮面を身に着けていた。


 あの赤いローブは見覚えがある。

 アーサルムでアナティア嬢に襲い掛かった太陽神教の集団が身に着けていたものと同じだ。


「良い夜ですね。新しい皇帝を祝うにはピッタリの夜だ」

「どなたでしょうか?」

「おや、失敬。私は貴方を存じておりますが、貴方は私を存じ上げてませんでしたね」


 仮面からはくぐもった男の声がする。


 フィンがドレスのスカートの中へ手を入れてまくり上げる。

 太ももにはベルトが巻き付けられており、無数のナイフが装備されていた。

 黒いドレスに白い太ももが映える。


 フィンは瞬く間に手に持ったナイフを投擲したが、仮面の男は動じず回避した。


「太陽神教の特殊部隊、プロミネンスのエルハーニと申します。ネフィリムとオーエンを退けたヨハネ様に一目お会いしたく思っておりました」


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