第516話 世界の終わりで助けを求める

 現実味のない光景にしばし呆気にとられる。

 おそらくどのような絶景を見たとしても、これ以上の景色を見ることはないだろう。

 たとえ死ぬ間際になっても鮮明に思い出すに違いない。


 全ての力を使い果たしたイザード王は騎士たちがそうであったように、光の粒となって風と共に消え去っていった。

 最後に見た表情はただ天を見ており伺い知ることはできなかった。


 偉大なる王がかつてデイアンクル王国にいたというなによりの証明だったと思う。


 イザード王がいた場所には王冠の欠片が落ちており、ヨハネはそれを拾うと大切にハンカチに包み込んで懐に仕舞う。

 これを王国に届け、壊れた王冠を元に戻す。この地獄のような場所から助けてくれた恩人の最後の望みだ。

 なんとしてでも持ち帰らなければ。


 さて、問題はこれからだ。

 あの青空は外の世界に通じているのだろうか……。


 イエフーダの意見を聞こうと探すと、ジルと共に崩れた壁の近くに移動した。

 どうしたのかと見に行くと、二人の足元には黒くうごめく何かがあった。


「あぁぁ……」


 呻くような声が聞こえてくる。

 小さいながらも、これが邪悪な存在であることは一目でわかった。

 とはいえほとんど力を失っているようで、身動き一つできないようだ。


「かつてオスカーやバルバトスに肩を並べた神の末路がこれか。憐れなもんだ」


 この小さな黒い物体はどうやらこの世界の主の成れの果てのようだ。

 イザード王の最後の一撃で消滅こそしなかったものの、ほぼ力を使い果たしたらしい。


 今はこんな状態でも時間をかければ復活するかもしれない。

 止めを刺すべきだと言おうとしたら、ジルがそれをつまんで口の中に入れて食べてしまった。


 何度か咀嚼し、飲みこむ。

 ヨハネは呆然とした表情でそれを眺めていた。


「あんまり美味しくない」

「だが素体としては上出来だ。精霊と同じか、それ以上にはな」


 ジルはアズと同じだとイエフーダは言っていた。

 それはつまり何らかの力で強化されるということだ。


 アズは精霊を身に宿し超常的な力を手にした。

 それに対してジルは神の残滓を取り込んだのだ。


「これが目的だったのか」

「どうかな。確証はなかったし、それに言っただろ。仕事だってよ。それよりもそんなことを気にしてる場合じゃないぜ」

「それはどういう」


 意味だ、と言う前に大きな揺れが起きた。

 思わず倒れそうになり、ジルに首根っこを掴まれて床に衝突は避けられた。

 揺れはすぐに収まったが、それが合図となって城が崩壊し始める。

 断続的に揺れも続いた。


 イエフーダに肩を叩かれ、まず城から出ることにした。

 王の間から出る頃には部屋の壁や床は完全に霧散していた。

 急いで城から出ないと足場が消えて地面に叩きつけられる。


 走って移動しながら口を開く。


「この世界はあいつの胃袋みたいなもんだったんだ。その持ち主が消えちまえば維持できなくなるのは当然だろ? 予定より強くて倒せる気がしなかったが、これでようやく出られそうだな」

「だが出るって言ってもどうやって? このまま何もかも消えたら果たして戻れるかどうか」

「そこはあの王様に感謝しないとなぁ。やつごと世界を割ってくれたんだからよ。とんでもない強さだ……」

「やっぱりあそこか」


 イザード王が切り裂いた空。

 出るならあそこしかない。


 無事城から脱出することができた。

 この世界について調べる方法は完全に失われてしまったが、もう犠牲者は出ないことだけは確実だろう。


「あっちだ!」


 青空が覗く方向へ向かって走る。


 外の火は燃え尽きていて、焦げ付いた大地だけがあった。

 見えるだけで触れなかった森も、肉塊のような大地もない。

 出られなかった場所から出られる。この世界を縛っていたルールが消失したようだ。


 問題は青空がゆっくりと再び赤い空に閉じられそうになっていることか。

 ここまで来たんだ。なんとしても抜け出したいと必死になって走る。


 背後にはもう城も大地もなく、無が広がっていた。

 真っ暗な底なしの穴とでも言えばいいのだろうか。


 もしそこに落ちたら助からない。

 本能でそれを理解した。


 イエフーダとジルはヨハネより足が速い。

 特にジルは大剣を抱えているにもかかわらず、あっという間に目的地に到着して青い空に飛び込んだ。


「思ったより楽しかったぜ。助からなくても恨むなよ」


 イエフーダは最後に言い残し、同じように飛び込む。


 無が足元にまで迫っていた。

 危うく足が抜けそうになったが、青い空まであと少しだったのでジャンプして飛びつく。

 なんとか左手が裂け目に引っかかる。


 地面はもう完全に消失してしまった。これでもう後戻りはできない。

 青い空もゆっくりと閉じていく。

 完全に閉じる前に飛び込まなければならない。


 ヨハネは左手に力を込めてゆっくりと身体を引き上げる。

 右手が届きそうになり、なんとかなりそうだと思った瞬間裂け目が縮小し左手が吊り上げられる。


「もっと鍛えておけばよかったな……」


 アズやアレクシアならきっと同じ状態になっても簡単に窮地を脱するに違いない。

 最後に物を言うのは金ではなく力だな、と苦笑した。


 疲労もあり段々力が入らなくなってきた。

 それだけではなく、ゆっくりと左手が締め付けられていく。

 小指が外れ、親指が外れると一気に負荷が大きくなりずり落ち始めた。

 ここまでか、と思った。だが最後にあがくくらいはしていいだろう。

 左手が離れる瞬間、大きく息を吸う。


「助けてくれ!」


 助けを求めたことは実はあまりない。

 どうしても躊躇してしまうのだ。

 だからどうしようもなくなって、手遅れになってからようやく言うことしかできない。


 青い空が赤い空に飲み込まれる。

 無が落ちてくるのをただ待っていた。


 その時、伸ばした左腕を誰かが掴んだ。

 そしてすぐに紐が巻き付き縛る。強い力で一気に引き寄せられた。


 裂け目が無くなる直前にヨハネの身体は青い空へと吸い込まれる。


 それから柔らかいものに抱きしめられた。


「良かった……」

「本当に心配しました」


 エルザに抱きしめられる。

 アズもいる。左腕を掴んでいたのはアズだったようだ。


 どうやら生き残ったらしい。

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