第505話 血と骨

 大広間は……一言でいえば不気味な場所になっていた。

 人骨が積み重なって散らばっている。

 頭蓋骨は一ヵ所に集められ、犠牲者の数の多さを表していた。

 多くの人がここで死んでしまったのだろう。


「趣味が悪いねぇ。食い散らかしたのを見せびらかすようにわざわざ散らかしてるぜ」

「匂いも酷いな。獣臭いし、血生臭さもある」


 扉を開けた時から吸っている空気に辟易した。

 大広間に充満している。

 腐敗した匂いよりはマシだが、それでも体調が悪くなりそうだ。


 進むジルの後ろに続く。

 人骨は足の踏み場もないほどで、歩くたびに踏む音がする。

 骨だけではない。真っ赤な液体が床を濡らしている。

 血だろうか。確かめる気にはならなかった。


 踏みつけることを心の中で申し訳なく思いつつ、王の間へと続く巨大な扉の前に到着した。

 だが、いくら引いてもビクともしない。

 ヨハネやイエフーダはともかく、凄まじい膂力を持つジルですら動かせないとなるとどうしようもない。

 よく見ると鍵穴がある。


「ただでは通してくれないみたいだなぁ」


 イエフーダが右手の親指を大広間の端へと向ける。

 そこには何かがいた。陰になっており姿が見えにくい。

 四つん這いになり、食事をしている。


 ペッと何かを吐き出したかと思えば、それは骨だった。

 それからゆっくりと陰から姿を現す。


 ……大きな虎だった。

 ただ普通の虎とは違い真っ黒な毛に覆われており、目が赤く、そこから血のような涙を垂れ流していた。


 床を濡らしていた血は、どうやらあの虎から出たもののようだ。

 ここにはまともな魔物すらいない。

 どこかおかしい不気味な化け物しかいないのか。そう心の中で毒づいた。


 虎はこっちに向かって少し近づき、ゆっくりと頭を低くした。

 ……猫が同じ体勢をしているのを見たことがある。

 あれはこっちへと飛び掛かるために身を伏せた状態だ。


「やれ、ジル」

「はーい」


 ジルと虎が動いたのは同時だった。

 虎が砲弾のように跳躍し、口を開けてジルへと噛みつこうとする。

 ジルは剣の柄を虎の歯に当てて噛みつきを防いだ。

 虎はそのままジルごと剣を持ち上げ、顔を振って投げ飛ばす。


 ジルにどれだけ力があっても、体重は見た目通りで剣と合わせても虎にとっては重さを感じさせない。

 壁へと勢いよく投げつけられたジルは、空中で器用に身を捻り足を壁に向けて着地し、壁を蹴って再び虎へと向かった。

 フィンのような曲芸を見ているようだ。


「ヨハネ。お前支援はできるか?」

「いや、魔石は持ち込んでないから戦闘じゃ役に立たない」

「俺と一緒だなぁ。俺の持ち込んだ呪符はもう使い切っちまったよ」


 イエフーダは皮肉気に笑って煙草を取り出すと呑気に吸い始めた。

 心配する様子すらない。


 確かにあのジルという少女の実力は相当なものだ。

 だがあの虎も恐ろしい化け物だし、心配にならないのだろうか。

 それを聞いてみると、イエフーダは美味そうに煙草の煙を吐き出す。


「ジルが負けたらどのみち死ぬ。なら心配するだけ無駄さ。人生を楽しく生きるコツは考えても無駄なことを心配しないことだぜ」

「よくそんな気楽なことが言えるな」

「人事を尽くして天命を待ってるんだ。俺はやれることはやってきた」


 ジルと虎の戦闘は続く。

 大剣は風を切って虎へと振り下ろされるが、巨体でありながら素早く避ける。

 少しでも隙ができたら虎は前足の爪を露わにし振りかざす。


 ジルの頬にかすり傷ができて、真っ白な肌に赤い血がつーっと流れた。

 ……ジルは笑っている。

 楽しくて仕方がないという様子だ。


 彼女はアズとはやはり違う。


 ジルが虎を真下から蹴り上げ、虎の頭が上へと向く。

 ジルはくるりと後ろへと一回転すると、ひらりとスカートが舞った。

 そして虎が動くよりも早く大剣を握り締め、真っすぐ刺す。


 腹に突き刺し、そのまま真っすぐ進む。

 勢いは止まらず、柱へと虎を縫い付けるようにしてようやくジルは制止した。


 虎は舌をだらんと伸ばし、腹からは血が溢れるように零れている。

 決着がついたと思ったその時、虎の顔がジルへと向く。


 そして口から血をジルに浴びせた。


「わっ、見えない」


 視界を奪われたジルは慌てて大剣を引き抜き、乱暴に振り回す。

 しかし虎は開放されるやいなやジルから離れてしまった。

 ジルは大剣を振り回すのを止め、手で血を拭おうとした。

 その瞬間、走ってきた虎に組み伏せられて倒れる。


 血と骨にジルが触れる音がした。

 虎の開かれた腹から臓物が零れてジルへと落ちた。


「……こっちを見てるよな」

「そうだな。どうやら食いでがある俺たちを先に食べたいらしい」


 虎はこっちに向かって駆けだした。

 ヨハネは松明を構える。

 だが火を恐れる様子は一切無い。

 血と臓物をこぼしながら走ってくるさまは悪夢を見ているかのようだ。


 万事休すかとヨハネは思った。

 イエフーダは懐へと手を入れると、ごそごそと何かを取り出している。


「おい、ヨハネ。ここから出られたら経費は出してくれるんだろうな?」

「そんなもんいくらでも出してやる!」


 悲鳴の代わりに叫ぶと、イエフーダは「忘れるなよ」と言って懐から紐のついた小さな箱を取り出す。


「遠くへ走れ!」


 そして煙草の火を紐に押し付けると、突撃してきた虎の腹へと押し込んだ。

 それから一目散に走っていった。逃げ足の速さは健在だ。

 ヨハネも転がるようにして回避すると言われるがまま走る。


 骨に当たって痛いし全身血塗れだが、そんなことを気にしている場合ではない。


 虎がヨハネの方を向く。

 さっきはなんとか避けたが、次は無理そうだ。


 虎が再び身を伏せ、駆け出した瞬間虎が爆発した。

 全身の血や肉が散らばっていき、ヨハネの頬に臓物がこびり付く。


「化け物も腹の中で爆発したら耐えられないみたいだなぁ。ははは、良い格好してるぜお前」

「うるさい。あんなものがあるなら先に言え」

「おいおい。俺たちはそこまで仲良くないだろう」


 こびり付いた血や臓物を拭い取る。

 幸い鼻が馬鹿になって何も匂わないのだけが救いか。


「終わっちゃった。つまんないの」


 ジルが起きる。

 虎に掴まれた肩に怪我をしていた。


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