第506話 傀儡
手にこびり付いた血や熱く柔らかい臓物の感触で吐きそうになった。
血塗れの手で抑えるわけにもいかず、上を向いてなんとかこらえる。
ここでは水も食料も貴重だ。
いつ出られるかも分からない現状で少しも無駄にはできない。
「おいおいどうしたよぉ」
苦労して唾を飲み込んでいるとイエフーダが背中を強く叩いてくる。
こいつ……、こっちの状況が分かっているくせに。
タオルに水を染み込ませて手と顔を洗う。
洗ってもこれはもうダメだな。予備ももうないが仕方ない。
「ジル、こっちこい」
「うん」
肩から血が出ているジルが歩いてくる。
大怪我だと思うのだが痛がる様子もない。
「聖水まだあるか?」
「ああ」
聖水を渡す。
そうしたら肩ひもを外し、ジルの傷がある周辺を聖水で清めていく。
イエフーダは懐から札を取り出すと小さな声で何かを喋る。
それから札をジルの肩に押し当てると少しずつ傷が塞がっていった。
エルザとはやり方が違うがさすがは元司祭。治療はお手の物なようだ。
ジルは元気そうにグルグルと肩を回す。
「さて、と。化け物を退治したのはいいが鍵は……」
周囲を見渡す。
あの虎が王の間へと続く門を守っていたのは間違いない。
恐らく鍵も持っていると思うのだが、イエフーダが吹き飛ばしてしまった。
しかし危ない場面だったので文句を言う気もない。
虎の下半身は原型を留めていたので近寄って覗き込む。
悪臭に慣れたはずだが、それでも胃がムカムカするような強烈なにおいがした。
「死にそうな面してんな。これでも鼻の下に塗っとけ」
イエフーダは軟膏のようなものをくれた。
試しにつけてみると、清々しい香りが悪臭を軽減してくれる。
これなら耐えられそうだ。
「死体を運ぶ時に使う薬だ。よく効くだろ」
「それは聞きたくなかった」
虎の下半身の奥に光る何かが見える。
そっと手を伸ばして掴み、引き抜く。
血を拭ってみるとやはり鍵だった。
扉の鍵穴に差し込み回すと、重苦しい音と共に開いた。
王の間。この部屋の奥には帝座がある。
広い部屋のはずだが明かりがないせいで真っ暗で何も分からない。
「行こう」
一歩ずつ歩く。するとこっちに合わせて壁の松明がひとりでに火がついて燃える。
やがて全貌が明らかになっていった。
本来は両側に帝国の国旗が掲げられている旌旗があるはずだが、見たこともない旗に置き換わっている。
……帝座には貴族の服を着た骸骨が座っていた。
右ひじを肘置きに置き、手で頬骨を支えている。
「あれが親玉か?」
「さぁ? 偉そうに座ってるからそうじゃないか?」
コツンと甲高い音がする。
骸骨が指を帝座に当てて音を鳴らしたようだ。
「招いていない客が来たようだ」
骸骨が立ち上がると、剣を引き抜く。
「人は血と肉になればよい。骨となって私の手足となればよい」
ゆっくりとこっちに歩いてくる。
ジルがそれに対応するように前に歩いていった。
間合いが接近するにつれ、魔力がぶつかり合い空気が歪むような気配がした。
ジルの構えは以前見たのと同じで、だらりと猫背になって脱力しながら大剣を肩に担ぎすり足のように進む。
ジルの剣が届く範囲になった瞬間、ジルが剣を大振りした。
骸骨はそれを身を引いて回避すると剣をジルに真っすぐ向けて突く。
ジルは噛んで剣を受け止めた。
骸骨が剣を引いてもビクともせず、その間に地面に食い込んだ剣を片手で浮かせる。
そして横薙ぎにすると骸骨はバラバラになった。
さっきの虎に比べれば遥かに弱い。
いや、ジルが強すぎるだけなのだろう。
しかしそれを見たイエフーダの表情は険しい。
そう思っているとバラバラになった骸骨が動き出し、元の状態に戻ってしまった。
「操り人形、か」
「どういうことだ」
「さっきアイツが言ってただろ。骨になって手足になればいいって」
イエフーダが骸骨を指さすと、何やら呪文を唱える。
すると骸骨の手足に赤い糸のようなものが見えてきた。
「あれは傀儡の禁呪だ。腐っても神様。芸達者なことで」
「てことはあいつを倒しても……」
「意味がねぇ。バラバラにすれば動かねぇだろうが、それだけだ」
王の間にこの世界の主がいると仮定してここまで進んできたが、ここにいるのは囮だったようだ。
「向こうからしたらまともに戦う必要はない。こっちが飢えて死ぬか精神がやられるまで待てばいいんだからな」
「そんなのはごめんだ。だがこの城は殆ど探索したんだろ?」
イエフーダたちはヨハネが辿ってきた道以外は探索し終わったという。
後はこの王の間だけだったらしい。
だが、目的の相手はいなかった。
「カカカカカカ」
カタカタと骸骨の顎が動き、まるで笑うかのように音を立てる。
「私こそが君臨するに相応しい神であり、法なのだ。この世界を表に流出させ私が支配しよう」
「ねぼけんなよ、クソみたいな神の排せつ物が。この世界は人間様のもんだ。感情のままに振る舞う神なんていらねぇ」
骸骨がピタッと止まる。
そして再び剣を取った。
こっちと話す気はないようだ。
それよりも……。
「なぁ、気のせいならいいんだが後ろから音がしないか?」
「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」
ゆっくり後ろを振り向くと、頭蓋骨を頭を嵌め込みだ沢山の骸骨が武器を持ってこっちに来ていた。
倒したはずの虎が骨だけになって一緒に歩いている。
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