第502話 お前は!

 座っていると体力が回復してきた。

 掴まれた左手の痛みも少し和らいできた気がする。


 汗も引いたのだが、今度は寒気が酷くなってきた。

 なぜこんなに寒いのだろう。

 じっとしているとどんどん体温が奪われる気がする。燭台の火は体を温めるにはあまりに弱すぎた。


 どこかでちゃんと火に当たりたい。

 水も火も普段ならなんら苦労することなく手に入れることができるのに、ここでは手に入るかどうかすら分からない。


 ヨハネは立ち上がる。

 この倉庫は安全かもしれないが、しかしここにいても事態は良くならない。

 少しでも備えになればと、壊れた木箱の一部を剥ぎ取るとちょっとした武器になる。


 今まで遭遇した恐ろしい化け物を相手にするには心許ないが、それでもあるのとないのとでは大違いだ。


 そっと扉を開けて燭台の明かりを頼りに周囲を確認する。

 誰もいないようだ。

 ホッとしつつ、再び移動を開始した。


 廊下を歩いていると外から遠吠えが聞こえる。

 まだ出会っていない化け物がいるのだろうか。

 ここにいる化け物は魔物とも違う、なんというか穢れを感じさせる存在だ。

 呪われているという言葉がしっくりきた。


 それからいくつかの部屋を探索するが、得るものはなかった。

 大きな食堂に到着する。

 ここは……ケルベス皇太子に晩餐に招かれた場所だ。

 しかし荒れ果ててしまっている。

 かろうじて長机は無事だったが、椅子の多くは壊れておりテーブルクロスは無惨に引き裂かれていた。


 食器類や美術品の破片に気をつけながら部屋を進む。

 もし帝城と間取りが同じなら、奥に暖炉があるはずだ。


 外から見られないようにカーテンを引く。

 落ちてある燭台を拾い、机の上に置いて火を灯す。

 部屋はかなり明るくなった。やはり奥には暖炉がある。


 化け物たちもいないし、隣の部屋には予備の蝋燭や薪も残っていた。

 ここで少し温まっていこう。


 暖炉の中に手に入れた蝋燭と薪を入れ、しばらく待つと火がついた。

 パチパチという音と共に温かい空気がヨハネを包む。


 ここに来てから初めて安心感を覚えたかもしれない。

 暖炉に手をかざしながら温まると生き返る気持ちがした。


 すると腹の虫が鳴る。

 冷えきった身体が温まったことで、食欲が戻ってきたようだ。

 人間はこんな時でも腹が減るんだなと苦笑しながらも、少しだけ心が楽になった。


 手持ちの食料は……まだある。

 いつも火が使えるとは限らないから、ここでチーズを使ってしまおう。

 道具袋から携帯用の小さな鍋を取り出し、少しだけ水を注いで燻製肉とチーズを削って入れる。

 危うく化け物を刺したナイフで削るところだった。危ない危ない。


 肉を煮込んでチーズが溶けてくると良い匂いがしてきた。

 味付けに塩を入れて乾燥させた麺も入れて煮込んだら完成だ。

 火傷しそうなほどの熱さに苦戦しつつ、腹を満たした。


 少し量が多かったので火から避けておく。


 塩気の利いた食事を終えると元気が出てきた気がする。

 それから白湯を飲む。


 また頑張れそうだ。


 隣の部屋には薪の他にもぼろ布や油があった。

 水瓶もあったのだが、中の水は腐っていた。

 ぼろ布に油を染み込ませ、松明を自作する。


 これなら棒切れよりもずっと強力な武器になるし、燭台よりも広く照らせる。

 燃える火の音がこれほど頼りになると思ったことはない。


 もし無事に戻れたら火の精霊になにか献上するとしよう。

 腹を満たし、新しい武器を手に入れたことで不安に満たされた心に勇気が湧いてきた。


 だが、ヨハネはただの商人で戦士でもなければ冒険者でもない。

 せっかく湧き出た勇気はそれ以上の眠気に敗北する

 暖炉の暖かさは疲れ切った身体を癒しすぎたのかもしれない。


 扉が開かないように塞いで、なるべく清潔なぼろ布に包まって一度休むことにした。

 ここで寝るのは危険かもしれないが、今から暖炉を離れて寝るなんて考えられない。

 疲れたからか横になった瞬間意識が落ちる。


 しばらくして目が覚めた。

 暖炉の火はまだかろうじて残っており、少しだけ熱を感じる。

 どれだけ寝ていたのだろうか。

 燭台の明かりも尽きてしまっている。

 そっとカーテンを右手で動かして外を見る。


 残念ながら外は変わらず夜のまま、赤い月の明かりの中だった。

 ここには朝という概念がないらしい。

 朝になったら悪夢は終わりという都合のいい幻想は消えてしまった。


 そうでなくとも朝があるなら城の外も移動しやすいだろうに。

 椅子に座ってため息をつく。最悪の寝起きだ。


 寝る前に用意した食事がまだ残っている。

 冷めてしまっているが、それを食べたらまた探索を再開しよう。


 そう思った時だった。


 なにかを引きずる音が聞こえる。

 ヨハネは慌てて立ち上がり、燭台を掴む。

 暖炉の残り火で火を点け、松明を突っ込んで燃やす。


 音はこっちに向かってきている。

 なにか大きな、そして固いものを引きずる音だ。


 扉を何者かが開けようとする。

 何度か襲うとして塞がれていることに気付いたようだ。


 そのまま諦めてくれとヨハネは創世王に願った。

 しかし願いは虚しく扉が大きく振動する。


 強引に開けようとしているようだ。


 一際大きく揺れ、扉は塞いだ棚ごと吹っ飛ばされる。

 それから食堂に何者かが入ってきた。

 暖炉の位置からは遠く、暗いこともあり見えない。


 背は高くなさそうだが……。


 相手はヨハネに気付くと、跳んで一気に距離をつめてきた。


「うわあああ!」


 驚きのあまり目を瞑り、悲鳴を上げながら松明を振るう。

 しかし相手はそれをはたき落としてしまった。


「それ、食べていい?」


 それからそんなことを言う。

 声は可愛らしい少女のものだった。


 目を開けると見覚えがある少女だ。

 彼女は確か……。


「こんなところでなにをやってるんで?」


 暗闇からぬっと顔を出してきたのは、何度か嫌がらせをしてきたイエフーダだった。




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