第499話 誰も人のいない孤独の夜
「誰か! 誰かいないか!?」
ヨハネは慌てて大声で叫ぶ。
たしか客室の近くにはメイドや使用人だけではなく、護衛の騎士が待機していたはずだ。
しかし声だけが廊下に響き、やがて消えていった。
それと同時に廊下を照らしていた燭台のか細い火がフッと消える。
真っ暗な城の中は寒気を覚えるほど気温が低く、とにかく不気味だった。
目の前の暗闇の奥にはなにがいるかも分からない。
そう考えると怖くなってくる。
一旦部屋に戻る。少なくとも部屋の中には明かりがあった。
部屋に戻り、扉を閉めて用心のために鍵をかけた。
一度深呼吸して息を整える。
「どうなってるんだ?」
恐怖心を誤魔化すために独り言を呟く。
物音一つない静寂の中では想像力が勝手に働いて余計なことを考えてしまいそうだった。
例えばベッドの下や、カーテンの裏など見えない場所に何かいるのではないか、とか。
あり得ない。ここは大陸の覇者たるアンビッシュル帝国の中枢だぞ。
フィンでも忍び込むのは難しい場所で、魔術的にも物理的にも王都以上に守りが固いはずだ。
すぐに異常を察知した警備の騎士なり暗殺者が駆けつけてくれるに違いない。
いや、それよりもアズたちが来る方が早いだろう。
そう思うと不安も和らいできた気がする。
どの道今日はもう寝ている場合ではないし、パジャマから着替えておこう。
いつもの格好に着替え、念のために道具袋も準備する。
ただ、星座の塔で使ったような攻撃用の魔石は今回用意していない。
あるのはポーションや着替え、それから包帯と小分け袋に入れてある金貨。
水筒に保存食などもある。
護身用のナイフは取り出して腰に鞘ごと差し込む。
身を守るのは心許ないが剣を扱えないヨハネにはこれが精一杯だ。
それから燭台の蝋燭を確認する。
半分ほどになってしまったが、まだ消えるには猶予がありそうだ。
だいぶ時間が過ぎたと思うのだが、一向に誰も来る様子はなかった。
おかしい。認めるしかない。これは異常事態で、近くに守ってくれるような人物はいそうにない。
どうするべきか考える。
まずこの部屋に残るべきか、それとも燭台の明かりがあるうちに歩いて少しでも情報を得るか。
どちらにもヨハネにとってメリットとデメリットがある。
この部屋に残った場合、少なくとも新たなトラブルに巻き込まれる心配は低いと思う。
だがもしこの事態が時間経過でなんらかの悪化を引き起こすものだったら、なにもできずに詰みの可能性もある。
探索する場合は危険があるかもしれないが、なにか分かるかもしれない。
せめてアズたちのうち誰か一人でもいれば迷うこともなかったのだが……。
ベッドに腰かけ水筒の水を一口飲んだ。
喉を潤して水筒を袋に仕舞おうと屈む。
すると水の滴るような音がした。
最初は水筒の中の水が動いて音がしたと思ったのだが、ちがう。
水筒を道具袋に仕舞ってからも聞こえてきた。
場所は……窓の外からだ。
外を見るために窓は開けたままにしていた。音はその周辺から聞こえてくる。
ぴちゃり、ぴちゃりと足音のような間隔だ。
ヨハネはナイフを引き抜いて構えながらゆっくりと窓に近づく。
すると音が止まった。
恐る恐る窓の枠を掴み、左手でゆっくりと閉めていく。
身を乗り出してまで外を確認する勇気はなかった。
あと少しで閉め切れるといったところで、左手になにかが降ってきた。
ナマズを掴んだ時の粘膜のような、ぬめってどろりとした感触。
思わず悲鳴を上げそうになり、一気に窓を閉めて鍵を閉めた。
閂型なので外から開けることはできない。これで一安心だ。
「痛っ」
左手に痛みが走った。なにやら半透明の紫色の液体が付着している。
鼻に近づけると腐臭と刺激臭がした。
じわじわと蝕まれるような痛みがする。
ナイフを机に置いて治療しなければ。
タオルに聖水を染み込ませて拭い取っていく。
液体を拭き取ったこのタオルはもうダメだな。捨てよう。
左手は熱湯に漬かったかのように真っ赤になっており、何ヶ所か出血していた。
幸い少量のポーションで回復することができてホッとする。
窓を叩く音がした。身体が驚いて硬直する。
燭台を急いで掴んで窓に向けた。
そこには人型の何かがいた。
だが人間ではない。
赤黒い肌で衣類は身に着けておらず、なによりも四肢が窓に張り付いていた。
肌から絶えず液体が漏れ出している。
魔物……とも言い難い気持ち悪さがあった。
これまで遭遇した魔物は巨大であったり動物にはない器官があったりしたが、その形は生き物だといえる。
かといってアンデッド種でもないようだ。
謎の人型は先ほどより強く窓を殴りつけた。
窓にひびが入る。このままだと割られてしまう。
それでは鍵は何の意味もない。
部屋に入ってこられたら……その先を考えるまでもなかった。
ナイフを仕舞い、道具袋を抱えて急いで部屋を出る。
扉を閉めるのと窓が割れるのは同時だったと思う。
それから廊下にあった棚を倒して引っ張り扉が開かないように封鎖した。
扉を蹴るような音が何度かしたが、棚はビクともしない。
少しすると諦めたようだ。窮地を脱したことにホッとする。
だがもう部屋には戻れない。
燭台で廊下を照らしたが、その明かりは奥の暗闇を晴らすほどではない。
それで進むしかないようだ。
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