第494話 山盛りおにぎり
二人から解放されたヨハネは一度家に戻ることにした。
その後色々と話して詳しい条件を聞いた。
出発は準備期間も含めて五日後だ。
護衛は無し。その理由は護衛の必要がないほどの戦力がもうあるから、とのことだが……多分その人員も惜しいのだろう。
もしかしたらそれも含めての人事なのではないかと思う。
家に到着すると、アレクシアが庭に洗濯物を干していた。
両袖をまくり、真っ白なベッドのシーツを干す仕草は慣れたもので彼女が家に来て長いことを感じさせる。
「ご主人様、おかえり。早かったわね」
「ただいま。洗濯してくれてたんだな」
「留守番で暇だったから。フィンは昼食を用意してるわよ」
「そうか」
アズたちは家に入っていったが、ヨハネはそのままそこにいた。
洗濯物を干し終わったアレクシアは不思議そうに見る。
「どうしたの? 私になにか用事かしら」
「いや、その。なんだ」
カルロスは死んだ。このことを伝えるべきか悩む。
帝国へ行く時はアレクシアも同行するので、今言わなくても向こうで分かることだ。
それなら今言った方がいいと思う。
アレクシアは言い淀むヨハネに首を傾げた。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ。私たちの仲でしょ」
「……カルロスが死んだそうだ。帝位争奪戦で小さな皇子の後見人になり、ケルベスに負けた」
「もう、そんなことで言い淀んでたの?」
アレクシアは予想に反してショックを受けている様子はなかった。
気を使っていたヨハネにやれやれと言いたげな様子だ。
「彼とのことはもう終わったことだし、親が決めた婚約だったから別に私が望んでいたわけじゃないわ。彼はどう思ってたか分からないけどね」
「それならいいんだが」
「そもそも、彼の方が良いと思ってたらあの時ついて行ったわよ」
それもそうだ、と思った。
あの時アレクシアがこっちを選んだのは確かな事実だ。
少し弱気になっていたかもしれない。
それから王城でした話を詳しく伝える。
「そう。まあ順当な結果かしら……。ケルベス皇太子は放蕩息子だったけど、同時にとても優秀だと聞いていたし、とてもかなう相手ではなかったっていうだけ」
「少し話しただけだがそれは伝わってきたな。肝も太いし頭も良さそうだった」
「人を使うのも上手いと」
「それはうちの王女様もだな」
そう言うと二人で笑った。
王族のような連中は人を使うのが仕事だ。
使われる側は如何に良い条件で使われるかが大事となる。
使い捨てにされてはたまらないからだ。
アレクシアを連れて家の中に戻ると、山のようなおにぎりと炒めたソーセージ。
それから鍋一杯のスープが用意されていた。
箸休めにピクルスもある。
フィンが作ったと言ってたが……この雑さはある意味あいつらしい。
「おかえり。ほら、さっさと手を洗ってきなさい二人とも。スープが冷めちゃうわよ」
「すぐに手を洗ってくる」
アズたちはヨハネを待っているようだったので、急いで荷物を置いて手を洗って戻ってくる。
早速おにぎりにかぶりつくと、中には魚の身がほぐして入れてあった。
別には塩漬けにした実が練って入れてある。
塩気が利いていていくらでも食べられそうだ。
ただ、さすがに文字通り山のようにあるのはいかがなものか。
ソーセージはよく焼いてある。
オルレアンは小さな口でかぶりついていた。
小動物の様で可愛い。
おにぎりに塩気があるからか、スープは薄味だ。
一緒に食べると良い感じ。
心配をよそにアズたちは食べ進めていき、ついに皿が空になった。
「美味かったよ、ありがとう」
「別に。手が空いたからやっただけだし」
「もしかして照れてるんですか?」
「アズ! あんた言うようになったね」
からかってきたアズをフィンは一睨みする。
後始末はこっちでやることにした。
それが終わったら食後に濃く出したお茶を用意し、しばしゆったりした時間を楽しむ。
最近忙しかったからこういう時間が贅沢に思えてくる。
そのまま昼寝をしたかったのだが、出発までそれほど余裕がない。
贈呈品は王家が用意すると言っていたがこっちでも何か見繕っておいた方がいいだろう。
挨拶も兼ねて商会ギルドに顔を出すことにした。
あんまりご無沙汰にしていると顔を忘れられてしまう。
「やあヨハネ君」
商会ギルドに入って早々に声を掛けてきたのは商会長のバークシャーだ。
もうかなり高齢のはずだが、恰幅もよく生命エネルギーに満ち溢れている。
彼の口癖はいい商品を適切な価格で買えば必ず儲かるというものだ。
それが出来たら苦労はしないというのが最初に聞いた頃の感想だが、今ではよく分かる気がする。
「最近調子がいいみたいだね。君の話は私の耳にも届いているよ」
一瞬どの話だろうと思ったが、愛想笑いで流しておいた。
「君のような有望な若者がうちのギルドにいるのは心強い」
「ありがとうございます」
正面から褒められると照れる。
だが、この老練した商人がただ褒めるためだけに時間を裂くはずがない。
雑談から始まり、話題は王都の話に移る。
どうやら被害があったことはもう知っているらしく、ヨハネが現地に居たことも掴んでいるらしい。
優れた商人は情報網が豊富というが、まさに地獄耳だ。
ティアニス王女から口止めされていないことだけを話すが、商会長にはそれだけで十分な収穫だったのは見て分かる。
このままではただ情報を提供しただけなので、帝国になにを持っていったら喜ばれるか相談するとワインを勧められた。
「王国には主だった名物が無いとは王国を行き来する行商人の言葉だが、最近はそうでもない。特にカソッドのワインは評判がよくてね」
「たしかに売れ行きはいいですね。あまり気にしたことはありませんでしたが」
アーサルムに酒を輸出した時も全てすぐに売れたと報告を受けていた気がする。
流行の発端であるあそこで人気があるならどこでも通用するだろう。
「帝国は水が豊富で蒸留酒が主だが、最近は王国のワインが密かに流行ってるようだぞ」
「そうなんですね」
ケルベス皇太子に届けるとは言えないので、うまくそこはぼかしてお礼を伝えた。
話はそこで終わり……と思ったのだが、商会長は表情が少しだけ真面目になる。
「帝国に行くなら少し気を付けたほうがいいかもしれんな。噂話で聞いただけなんだが、行方不明者が出てるらしい」
「行方不明、ですか。それは穏やかじゃありませんね」
「あくまで噂だがな。赤い月に注意した方がいいという言葉と共に伝わってきている」
赤い月。月は赤くは無いはずだが、なにかの隠語だろうか?
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