第495話 お使いだけじゃ終わらないぞ
商会長と話し終わったら用事を済ませ、商会ギルドから立ち去る。
赤い月という言葉が頭に引っかかって離れない。
いつもなら荒唐無稽と判断するか、あるいはよくある噂話だと思って聞き流すような内容だというのに。
その原因は恐らく今まで信じられない体験を繰り返して来たせいだ。
それを考えれば月が赤くなることくらい、起きても不思議ではないと思ってしまっている。
「慣れって怖いな……」
ポツリと呟いた。
この世には常識では計り知れないことがたくさんある。
見たこともないお宝や財宝があるかもしれない。そう思うと少しワクワクする。
馴染みのワイナリーに立ち寄り、一番高いワインと、帝国人向けに評判がいい高級ワインを購入した。
血のように見事な赤ワインだ。
「羽振りがいいじゃないですか、ヨハネさん」
「いやぁ。これを買ったらすっからかんですよ」
「そんなこと言わずにまた買ってくださいよ。おまけも付けておきますから」
実に痛い出費だ。とはいえ王家の用意したものが気に入られなかったら困るのは持っていったヨハネなのだから気が抜けない。
店に納品してもらう手筈を整えた。
ちなみにオマケはワインにする前のぶどうジュースだ。
色は透き通った琥珀色でとても甘いという。
そのまま飲んでもいいし、料理にも使えるという。
これは何本か自分で飲んでもいいかもしれない。
「そうだ。一本だけここで貰っていきますよ」
「どうぞどうぞ」
ぶどうジュースを一本貰い、ワイナリーから今度はラミザさんの店に向かう。
戻ったのに顔を見せないとあの人根に持つからな。
親代わり……というほど年齢は離れてないから姉のようなものか。
店はいつものように閑古鳥が鳴いており、扉を開けると薬草の匂いが鼻孔をくすぐる。
ホムンクルスが一生懸命ポーションや薬を作っていた。
台の上では薬研を何体ものホムンクルスが協力して動かしている。
各地から届く膨大な量の注文をこうやって自動化することで捌いているのだからたいしたものだ。
今の彼女の収入は王室錬金術師だった頃よりもずっと多いに違いない。
以前店を改装しないのかと聞いたら、立派な店にしたら繁盛してると思われて客が来るじゃんと言われてしまった。
彼女いわく、本当は稼いでいるけど目立たず儲かっていないように思われるのが一番いいのだと力説されてしまった。
気持ちは分からないでもない。
ヨハネは儲かれば儲かるほど楽しいので利益を最大化するが、ラミザさんは別に頑張らなくても稼げるのでほどほどで構わないのだ。
「ラミザさーん、いないんですかー?」
いつもは奥に座って寝ているか本を読んでいるのだが、姿が見えない、
奥に居るのかと思って呼びかけてみた。
返事がないなら奥に見に行こうかと思っていたら足音が聞こえてくる。
「どちらさま?」
大きなあくびをしてラミザさんが姿を現す。
着崩れたネグリジェを着ており、大きな胸が見えそうになっている。
どうやら、店の準備すらホムンクルスや人形に任せて今まで寝ていたらしい。
いくらなんでも自堕落すぎる。
「うわ、なにするのさ」
とりあえずこの姿を他の誰かに見せるわけにはいかない。
回れ右させ、奥に押し込む。
「もしかして襲う気? せめて夜に」
「冗談言う前に顔を洗って着替えて来てくださいよ」
ため息をついた。
扇情的な格好だがムードもクソもない。
「台所を借りますよ」
「んー」
寝惚けながら顔を洗い、着替えを始める。
その間に台所で手を洗って食材を確認する。
「うわ、なんにもないな。なにか買って来ればよかった」
保冷庫の中には薬草やポーションばかりで肝心の食材が無い。
探し回ってようやく見つけたのはネギと小麦粉に塩と油だ。
少しだが燻製肉もある。
限られた食材でいい感じの料理にするには……。
まず鍋で水を沸かし、熱湯にする。
熱湯を少し冷ましたら塩と油を混ぜて、小麦粉へ投入する。
水は少なめにするのがコツだ。そうしないと生地がねばついてしまう。
生地がまとまったら少し休ませるために放置する。
その間にネギと燻製肉を細かく切り、塩を入れてよく混ぜる。
それを炒めて火を通しておく。
生地の熱が引いたら適当な大きさにちぎって、丸めてからそれを棒で伸ばす。
のばした生地に先ほど作った具をスプーンで乗せ、包むように生地を半分に折る。
それを繰り返し、全部包み終わったら油を塗ってオーブンで焼く。
発酵させなくても熱を加えると小さく膨らむのが面白い。
焼き終わる頃にはラミザさんもいつもの格好でこっちに来た。
「ラミザさん、買い物くらいは行かないと。配達だってしてくれるんですから」
「いやぁ面倒でつい」
「貴女が独身の理由が分かった気がしますよ」
「うわ、ひどい。あれ、良い匂いがするね」
香ばしい匂いに鼻をくんくんさせる。
同時に腹の虫の音が聞こえてきた。
「食べよ食べよ。わぁ、なんにもなかったのに凄いね。ちゃんとしたのが出て来たよ」
「あり合わせですけど」
出来上がったのはミニパイみたいなパンだ。
それを食べると、サクッとした感触と共に肉の味が口の中に広がる。
店の運転資金がギリギリで金が無かった頃はよく食べたなと懐かしくなった。
貰って来たぶどうジュースは甘酸っぱくてとても美味しい。
近況を話しながら、先ほど聞いた赤い月の話になる。
「月は魔性っていうよね。夜は魔物が活発になるし、満月になると空気中の魔力も濃くなる。そういえば王城に居た頃赤い月の噂が流れたことがあったかも」
「それ詳しく覚えてます?」
「うーん、あの頃は忙しくてあんまり記憶がないから。でもしばらくすると噂も聞かなくなったよ。魔物が討伐されたからじゃないかって」
「なるほど」
「あ、無くなっちゃった」
ラミザさんは瓶を逆さにして最後の一滴を名残惜しそうに舐める。
また持ってくるからと約束すると、食事代としてポーションを押し付けられた。
なんだかんだ心配してくれてるのかもしれない。
それから家に戻る。
これからは御愉しみタイムだ。
オルレアンを連れて星座の塔で得た財宝を本格的に換金する目算を立てる。
今はとりあえず倉庫に入れてあるが手狭になってしまっているし、早めに処分したい。
アズたちが使わないような装備品はオークションに流せばいいとして、金銀財宝が意外と扱いが難しい。
「たくさんありますね」
「ああ。これをカソッドでどうにかしようとしたら相場に影響が出る」
「一時的に値下がってしまいますか」
「そうだ。不用意に恨まれたくないからな」
以前銀相場で一儲けしたことがあるが、基本的には価格は安定している。
それを無理に変動させたとなると損をした誰かに恨まれてはたまらない。
結局価格を維持できるように少しずつ売るしかないようだ。
だが安定収入と考えると悪いことばかりではない。
ある程度先まで見通しやすい。
この金を元手に、帝国に支店を作ってしまってもいいな。
公爵夫人御用達の香水や石鹸を扱う店だ。
王国から帝国へ毎回輸送するんじゃ手間も金もかかって仕方がない。
ただティアニス王女のお使いだけで終わるんじゃもったいないというものだ。
「それで旦那様、これはどうしましょうか?」
「うーん……」
オルレアンは火箸で掴んだ茨の杖を指さす。
オークションでは呪われた品という扱いで出品できなかった。
好事家にも当たってみたのだが、良い返事はもらえなかったので結局手元にある。
役には立ったが……。
「とりあえず袋に入れておけ。そうしたら無害みたいだし」
「かしこまりました」
オルレアンは袋にぎゅうぎゅうと茨の杖を押し込んだ。
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