第478話 星座の塔の頂点デルフォイ

 エルザが再び目を覚ますと、そこにはもうエントもヨハネたちの姿もなかった。

 戦闘の影響で荒れ果てたフロアだけが広がっている。


 気絶する直前の会話を思い返すと誰も居ない理由が分かった。

 連れて行ってくれると言っていたはずだが、どうやら置いていかれたらしい。

 丹精込めて育てた庭園を荒らした意趣返しかもしれない。


 考え事をしているとエントに貫かれた左肩が痛む。

 着ていた兵士の服は真っ赤に染まり、半端に乾いており着心地は最悪だ。

 傷口の確認も兼ねて、着ていた服を全て脱ぎ去っていく。

 見せる相手も居ないので恥じらいも何もない。


 シャツが傷口に張り付いていて、剥がす時に激痛が走った。

 全て脱いで裸になると、壊れた噴水へと移動する。

 残っていた水を使って傷口以外の身体についた血を全て落とした。


 道具袋を片手でなんとか取り出して中から聖水とポーションを取り出す。

 ポーションの蓋を口で摘んで外し、傷口の洗浄のために振りかけた。

 蓋を嚙みしめながら痛みに耐える。


 ……治療の奇跡が使えればいいのだが、自らの権能では自らを癒せない。

 効いているように見せかけることは出来るのだが、今はそうする意味もなかった。

 汚れと血を落とした後は、取り出したポーションを使用する。

 残っていた分は全て使い切った。

 まだ痛みはあるが、なんとか表面の傷は塞がったので力を入れなければ動かせそうだ。


 エントを相手にこの程度の傷で済んだのは幸運だろう。

 結果的にアズの覚醒に繋がったので安い物だ。

 この塔に登ることが決まった時にもしかしたらと思っていたが、無事にすんで本当によかった。


 使徒の器での精霊の共存はリスクが大きく、そして冒険者という生き方の上ではオーバースペックになる。

 機会もなく、もう多少の魔物相手では追い詰められるほどの危機にもならなかった。


 以前遭遇した海の魔物は使えそうだったが、船の上という不安定な場所ということもありリスクが大きすぎるので権能を消費するだけに終わったなと苦笑する。


 それからヨハネに用意してもらったいつもの司祭服を取り出し、身に着けていく。

 やはりこの格好は落ち着くなと感じた。

 それからヨハネに貰った櫛で髪を梳く。


 古い友人でもあるオスカーに会うのは……遠い昔ぶりだ。

 見た目くらいは整えておきたい。

 身嗜みを整え終わると、フロアの中央を見る。

 そこには気絶する前にはなかった階段が出現していた。


 今までの階段とは違ってとても古びた石で造られており、エルザが登っていくと下からゆっくりと消えていく。


 階段を一歩進む度に息が切れる。

 血を失いすぎたせいだ。


 メイスを支えにしながらなんとか登りきった。

 そこには小さな門が佇んでおり、脇には噴水があった。

 中の水は澄んでいるが少しだけ青みがある。


 僅かにアルコールの香りが漂う。

 そっと右手で水を掬い、口に含む。

 甘酸っぱい味の後に芳醇な香りを感じる。


 この水は神の酒であるネクタルだ。

 わざわざ用意してくれたらしい。


 不死の霊薬とも言われるこの酒は、失われた生命力を一気に回復させてくれた。

 二口ほどで全快する。


 ……惜しむらくはこれを皆に振る舞えないことか。

 神の酒を人間が飲むと、その味が忘れられなくなりまた味わおうと追い求めるだけの生き方になってしまう。


 アズならば影響は薄いだろうが、年齢を考えるとやはり悪影響が残る。


 ハンカチで口元を拭い、濡れた右手を拭く。

 それからゆっくりと門を押した。


 重い。

 エルザの力でもほんの少しずつしか動かない。

 もしネクタルが用意されていなければ、とても開けられなかっただろう。


 エルザの身体がすり抜けられるだけの隙間ができたらそこへ体を滑らせる。

 するとそこには星空が広がっていた。

 星座の塔の名の通り、塔の頂点は星の世界だ。

 ときおり流れ星が動いているのが見えた。


 少し歩くと、奥に真っ白な椅子が二つ置かれている。

 奥側の椅子には少女とも少年とも判別がつかぬ人物が座っていた。


「久しぶりね、オスカー」

「遅かったね。……今はエルザと名乗ってるんだっけ?」


 美しい顔が微笑む。

 そっと椅子へと手を向ける。

 座って話そうという合図だ。


 白い椅子に座る。

 オスカーは興味深そうにこっちを見ていた。


「思ったよりずっと遅かったから心配していたんだ。エントから聞いてたけど本当に力が残ってないんだね」

「ええ。力の殆どはあの衝突で使ってしまったわ。ネクタルのお陰で少し回復したけど」

「自分の傷もろくに治せないのに。その分じゃいずれ司祭の振りすら出来ないんじゃない?」

「そうなったらバルバトスでも信仰しようかしら」

「彼は嫌がりそうだね」


 オスカーは両手をひざ掛けに置くと、体重を背もたれに預ける。


「僕が居なかった間になにがあったのか。君はどう過ごしてきたか。色々と話したい気持ちは一杯だけど、そうもいかないのが悲しいね。それでもこうして話せてよかった。太陽神教徒が来るようなら塔ごと崩壊させて少しでも戦力を削いでしまおうかとも思ってたから」

「会う機会はもうないと思ってた。わざわざ星座の塔まで引っ張り出してきたのはどうして?」

「始まりの君に敬意を表して、かな。分かっていると思うけどここに居る僕は僕じゃない。本体はもはや遥か彼方だ。ある条件を満たしたら塔ごと分身の僕が現れるように設定したんだ」


 やはり、と思った。こんなに目立つ必要はない。

 オスカーの分身だからこの塔から離れられなかったのだ。


「その条件は太陽神復活が近づくこと。現実的なレベルになったら発動するようになってる」

「……そう。ここ数年動きが活発だから近いとは思っていたんだけど」

「器はまだだけど、精神体はもう降りてきている。奇跡をちらつかせて人間への干渉も始めてるだろうね。創世王教なき今その干渉を防ぐ手段もない。復活は時間の問題だ」


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