第470話 諦めの悪い女

 恐ろしい魔物を見たことは何度かある。

 行商の途中で巨大な魔物を見かけて身を潜めてやり過ごしたり、カソッドの城壁に攻め込んできた魔物を遠目に見たり。


 アズたちと過ごした日々の中でも、並外れて強力な魔物や火竜と遭遇した経験がある。

 それらと比較しても、やはりエントと名乗った女性は別格だった。

 神の使徒。魔物とも精霊とも違う、特別な存在。


「行こう」

「はい」


 オルレアンの肩を掴んで後ろに下がる。

 ここに居ては邪魔になるし、巻き添えを食らってしまう。

 今は遠くから見守ることしかできない。


「ずいぶんと優しいのね」

「男はじっくりいたぶるのが好きだから後回しにしただけよ」


 問いに応えながら微笑む。

 オスカーの使徒と名乗ったエントの魔力は未だに増大している。

 並の魔導士をはるかに凌駕するアレクシアの魔力ですら、比較すれば天と地程の差があった。


「人間だと思わないように。あれは嵐や雪崩のようなものなので」

「そうみたいね。あれ一人で国一つ相手にできるんじゃないかしら」


 エルザとアレクシアは武器を構えている。

 身動き一つ見逃さないように、視線を向けた。


「……あの三つ目のスケルトンもこんな感じでしたよね」

「あれも使徒だったからねー。まあ、骨だけになって魔法も使えない状態だったけど」

「勝てるでしょうか?」

「勝たなくちゃダメだよ。この階層に入った時点で、多分あの子は逃がす気はないから」

「あら、よく分かったわね」


 エントは妖艶な笑みを見せる。

 胸元の谷間に手を伸ばすと、手が沈んでいく。

 そして体の中から杖を取り出した。


 禍々しい形をしている。

 先端は紫色の骸骨の形をしていて、蔦のようなものが巻き付いていた。

 バラの魔女の名にふさわしい姿だ。


「ここに来れなかったような未熟なものに興味はない。でもここに一歩踏み入れたからには、逃がさない」


 エントは杖を前に向ける。

 獲物を見定めるように、舌なめずりしながらアズたちを見つめた。


「それにしても面白いわ。火の精霊と水の精霊の息吹を感じる。ほんの少しだけど土の精霊も関与してるか。英雄の武器を持ってるその子は……使徒ユーステイティア? まだ生きて……いや違う。継承させた?」


 アズの顔を見て表情を変える。

 なにやら考え始めた。

 その一瞬を見逃すフィンではない。


 瞬時に移動し、エントの背後をとった。

 両手に握った短剣を両側から首筋に向けて串刺しにしようとする。

 あまりの速さに誰も気付いていない様子だ。

 だが、その短剣がエントの白い肌に刺さることはなかった。


「チッ」

「悪い子ねぇ。人が考え事をしているのに」


 フィンの両手にはいつの間にか蔦が絡まっている。

 かなり強いはずのフィンの手がビクともしない。


「獲物を前に舌なめずりするような女に言われたくないわ。舐め過ぎなのよ」

「これは余裕っていうのよ、お嬢ちゃん。どうしてあげようかしら」


 フィンは口の端を釣りあげてそう言ったが、エントは意に介していない。

 エントの左手がフィンの右頬を撫でまわす。


「若くて健康的な肌ね。剥いだらいい皮になりそうだわ」

「嫉妬するんじゃないわよ、おばさん」


 フィンは口を開けてエントの左手の人差し指に噛みつく。

 だが歯を立てた瞬間すぐに吐き出した。


「もういいの?」

「この毒婦!」


 訓練の一環としてフィンは多くの毒を服毒した経験がある。

 なので僅かでも口に含めば毒があるかどうか分かるのだ。

 エントの指はフィンが知っているどの毒よりも強力だったので、すぐに吐き出した。


 ペッと唾液を吐きだす。


「教育がなってないわ」


 エントはフィンの目に向けて左手を伸ばす。

 蔓の拘束が強すぎてフィンは動けそうになかった。


 なので、背を向けられていたアレクシアが戦斧を担いで距離を詰める。

 真っ赤になった戦斧が空を切る音をさせて振り下ろす。


「おっと」


 エントは戦斧を回避し、代わりにフィンを拘束していた蔓に当たった。

 当たった瞬間戦斧が止まるが、アレクシアはそのまま力を入れるとゆっくりと食い込んでいき、蔓が切れた。


 拘束が解けたフィンは緩んだ蔓を苦労して外す。


「大丈夫?」

「まあね。使徒だかなんだか知らないけど、反応が間に合ってたとは思わない。自動で防御してるのかも」

「うまく隙を作っても無駄ってことかしら。人型なんだから急所に当てればと思ったけどそう簡単にはいかなさそうね」

「あとあの女は全身毒だと思った方がいいわよ。この分だと血も多分」

「それはかなり嫌ね」


 合流した二人は今の僅かな時間で分かった情報を共有する。


「私の蔓が切れちゃった。少しは楽しめそうじゃない。ねぇ、エルザ?」

「……さて。貴女と話したのは初めてですが」


 エントに話しかけられたエルザは、いつもの笑みを浮かべていなかった。

 淡々と返事をする。

 普段の彼女を知っている者が聞けば別人だと思うだろう。


「人間のふりをしているみたいだけど、私の目まで欺けるとは思わないことね。なにを考えているのか知らないけど、まだ諦めていないのは驚いたわ。人間にユーステイティアを継承させてまで」

「まだ終わってませんから」

「なら私を倒すことね。太陽神の力は戻りつつあるのだから、これ位のことができないなら話にならないわ」

「そのつもりよ。オスカーの使徒。バラの魔女エント・ヴァイエンステファン」


 エントは両手を広げる。

 すると地面から分厚い石英の床を破壊しながら巨大なバラがいくつも生えてきた。

 まるで目があるかのように、近くにいる人間へと向き直り襲い掛かってくる。


 それはヨハネとオルレアンの近くも例外ではなかった。

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