第452話 アレクシアの宿敵

「もうこれは使えないわね。使いやすくて結構気に入ってたんだけど」


 そう言ってアレクシアは、自ら歪めてしまったヤスリを見てため息をついた。

 分厚い鉄の持ち手が見るも無惨な形になってしまっている。

 近くにいたフィンとアズが曲げた瞬間を見ていたらしく、目を見開いていた。

 フィンなど思わずうわぁ、などと言っていたのが聞こえたほどだ。

 気持ちは分かる。


 どれだけの力を込めればそうなってしまうのか想像もできないが、もしその力で握られたらと思うと結構怖い。

 アレクシアとの信頼関係が構築できて本当によかった。


 アリウス侯。彼女の父をそそのかしたということは、例の寄親ということか。

 アレクシアの家を実質途絶えさせた張本人ということになる。

 憎しみと怒りを抱くには十分な相手だろう。仇と言ってもいいかもしれない。


 アレクシアが奴隷となってしまった原因は王国と帝国の小競り合いだ。

 結局これは帝国の一貴族が欲に目がくらみ、功を焦ったということで政治的に決着が付いた。

 そのせいでアレクシアは戦争捕虜という扱いが受けられず、更に帝国から身代金の支払いがなくて奴隷に墜とされたのだ。

 アリウス侯は侵攻が失敗したと見るやアレクシア親子をすぐに見捨てた……いや、これが目的だったのかもしれない。


 なぜならこの直後にアリウス侯の配下であるアーグ男爵が新しい領主として、水の精霊を炙って精霊石にしようとして都市そのものを干上がらせた。

 燃える石を高く買ってくれるというから出向いたのに結局買い叩かれて、あの貴族にはいい思い出がない。

 ただあの件があったからこそアレクシアが信頼してくれたと思うと、無駄ではなかったと思う。

 水の精霊のおかげでアズもパワーアップしたし。


 発端となったのは、帝国貴族だったアレクシアの父親が領地の経営で金銭的に行き詰ったからだと聞いている。

 元々は武功で成り上がった一族だったが、その実力を警戒されて中央から遠ざけられていたようだ。


 爵位があっても旨味のある仕事が回ってこず、だが王国との国境に近いため軍事費ばかりかかる。魔物討伐や畑を耕してその資金を賄っていた。

 資金周りで常に頭を悩ませていたにちがいなく、もしかしたらアリウス侯に借金をしていた可能性もある。

 もしそうなら、無茶な命令を下されたとしても跳ねのけることは不可能だろう。

 結果的にアレクシアと共に少数で王国へ侵攻する羽目になった。


 ただ水の精霊の加護が住み着いたくらいなのだから、領地は税も含めて良心的な運営がされていたのだろう。


 アレクシアを最初に領地に連れて行った際に歓迎されたのがその証拠だ。

 断水を解決したのも大きいかもしれないが……。


「ちょくちょく帝国に来るのだから、どこかで名前を聞くことくらいはあるかもと思っていたけれど。あの男は相変わらずずる賢く色々と動いているのかしら」

「詳しいことは分かりませんが、帝位争いが水面下で始まるあたりからダンターグ公爵様と対立がハッキリしたと聞いております」

「なら、放っておいても滅ぶわね。権勢はもう決まったようなものだもの。父が死んだ時にこの手で息の根を止めてやると呪ったのは無駄じゃなかったのかしら」


 ふふ、とそう笑ったが、目は本気だった。

 もし目の前に本人が居たら、アレクシアは全てを無視して確実にやるだろう。

 今の彼女を止められる人間がどれだけいるだろうか。

 アレクシアの激情を感知したのか、火の精霊がブローチから出現して周囲を旋回した後に肩に乗る。


「心配してくれてるの? 私は大丈夫よ」


 そういって火の精霊をあやした。


「タイミング的には丁度よかったかもしれないな。帝位を決める最後の戦いが起きるならその前に出た方がいい」

「また巻き込まれるのはごめんだし」

「そうね。もしまだ帝国貴族だったらダンターグ公爵に頼み込んで参戦していたところだけど、今の私はしがない商人の奴隷だし」

「しがなくて悪かったな……」

「ご主人様は立派です、胸を張ってください」


 アズが慌てて励ましてくれる。それに同意するエルザとオルレアンのおかげでなんとかプライドが保てた。


 アレクシアの様子が気になるものの、軍事的にも政治的にもこれ以上は王国の一商人が関わるような場面ではない。

 むしろ早く帝国から出た方が彼女も落ち着くだろう。

 ケルベス皇太子を後押しするダンターグ公爵とその派閥はいまや帝国最大の勢力だ。

 朗報を王国にもたらしてくれるに違いない。

 その時は祝いの品でも届ければいいだろう。


 留守にしていた間に居残り組が準備も終わらせてくれていた。

 こういう時は人数が多いのが大きなメリットだ。


 兵は拙速を尊ぶという。早いに越したことはないと明日出発予定だったが、昼のうちに王国に戻ることにした。


 荷が重いのでラバたちの歩みは行きに比べてゆっくりだ。

 急がせて足に負担がかかってもよくない。


 その分魔物と遭遇してしまうが、危険な魔物はそうはいないのでむしろ食料にできるからおかずが一品増える。

 それから数日かけて王国に戻った。

 ティアニス王女とアナティア嬢に一報入れた後は鉄鉱石をすぐにアーサルムに届けに向かう。

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