第443話 そんなに大事なら目を離すなよ

 雨の中を突っ切っていく。

 折角着替えて温まっていたのに台無しだ。


 森の中とはいえ豪雨の雨風は容赦なく吹き付けてくる。

 外よりはマシなのが救いか。


 下着の上にシャツを着ただけなので、あっという間に全身がずぶ濡れになる。

 いっそシャツを脱ぎ捨てた方が動きやすいかもしれない。

 一人なら間違いなくそうしただろう。


 夜の森はひたすら暗い。

 夜目がきくとはいえ、かすかな月明りすら望めないとなれば視界はろくにとれない。

 すぐにアレクシアが明かりの魔法で周囲をカバーしてくれた。


 魔導士は本当に小回りが利く。

 こんな豪雨の中でカンテラも持たずに視界を得られるのは魔導士抜きでは不可能だ。

 強い風で明かりの魔法が揺れるが、それでも十分周囲を照らしてくれる。


 額にへばりついた髪をどけた。


「もうそろそろよ」

「分かった」

「支援行くよー。気をつけてね」


 エルザの祝福が体を包み込む。

 先ほどまで感じていた寒さが和らぎ、全身に力が満ちていく感覚が駆け巡る。

 祝福は純粋な強化だ。これに基本的にデメリットは存在しないが、強化される前と後では感覚にズレが生じる。

 腕の良い司祭ほど祝福の効果は強まるので、そのズレも大きくなるのだ。


 そのズレのせいで誤って走っている最中にこけたり、木にぶつかるのに気をつけなければならない。

 贅沢な悩みだと苦笑する。


 平地ならまだしも、障害物の多い森では他のメンバーはフィンには着いてこれない。

 一歩抜きんでる。

 この距離まで来れば、アレクシアの魔法に頼らなくても感覚で分かった。

 両手に握る短剣を腕を交差して構える。


 見えた。

 四足獣の獣のシルエットだ。

 その直後、アレクシアが魔法で周囲を大きく照らす。

 照らされたその姿は狼……ではない。


 小さな獅子のような顔で、尻尾は蛇だった。

 すぐに短剣で首を斬り落とす。

 斬り落とした断面から噴き出すように血が溢れた。

 だが、倒れることなく尻尾の蛇が首を狙ってしなって動く。


 フィンは蛇の胴体に噛みついて攻撃を止め、その尻尾も斬り落とすとようやく動きを止めた。

 仕留めきれたようだ。


「こいつ、狼じゃない! 頭が二つあるわ!」

「キマイラの子供よ!」


 隣でアレクシアの戦斧が敵の一体を粉砕する。

 あれなら頭が二つあろうと関係ない。

 重量のある武器を、勢いよく叩きつけられるアレクシアの膂力と技術の賜物だ。

 なんせ、周囲に木があっても構わずなぎ倒してしまう。


 敵に回したくないなぁと思った。ああいうタイプは一つのミスで戦況を覆されてしまう。

 キマイラの子供は獅子の爪と牙。そして蛇の毒牙が脅威だがそれだけだ。

 駆け出しの冒険者には恐ろしい相手かもしれないが、ここに居るメンバーにとってはたいした相手ではない。


 豪雨の中でも視界があれば楽に倒せる。

 アズは基本に忠実に丁寧に仕留めていった。

 あれが普通なのだ。


 エルザとアレクシアは一発で仕留めていくので、あっという間に群れの数が減っていった。


 少し大きな個体が息を吸い込み、ブレスをこっちに向けて放つ。

 だが弱い魔力しか込められていないので武器で弾くと霧散した。


「あんたで終わりよ。迂闊に近づくからこうなるの」


 トドメを刺そうと近づく。

 勝てない相手のテリトリーに近づいてはならない。

 それは魔物でも同じ自然のルールだ。


 キマイラの子供はこっちを睨んだままだ。

 逃げずに立ち向かう勇気はあるようだが、それでは生きていけない。

 せめて糧にしてやろうと短剣を振りかぶる。


 キマイラの子供はこっちに向かって吼えた。

 大きさに見合った小さな咆哮だ。威嚇にもなりはしない。


 だが、その小さな咆哮が途中から空気を振動させるほどの巨大な咆哮に変わった。

 フィンは判断を変えて咄嗟にその場から全力で下がる。

 勢いがつきすぎて木に背中から衝突してしまう。


 らしくないミスだ。肺から空気が押し出される。

 すぐに立ち直してキマイラの子供の方を見た。


 そこにはキマイラの成体が鎮座している。

 相当デカい。それに子供とは違い両肩にはそれぞれ山羊と竜の顔がある。


 キマイラの子供が縋りつくようにキマイラの足に頭を擦り付けた。

 キマイラは子供を口に咥えると後ろへと投げ捨てる。


 邪魔だからなのか、それとも巻き添えを心配したからなのか。

 それは分からない。


「森の奥にこんなのが潜んでたんですね」

「こんなのが居たら誰も近くを通らないわよ。豪雨のせいでいつもの道とズレたんでしょう」

「普段近づかない人間が来たから刺激しちゃいましたかね」

「……ならそのまま引っ込んでればいいのよ。もう向こうも後には引けないじゃないの」


 戦う前ならともかく、こっちはもう何匹も仕留めている。

 向こうもそれは分かっているはずだ。

 今更引くに引けない。

 目を見れば子供を殺された怒りが宿っているのが見えた。

 そんなに大事なら、最初からあんたが出てこいっての。


「キマイラって分類上は竜に入るんだっけ?」

「違うはずです。ただ結構危険な魔物扱いされていたような」

「それぞれの口からブレスを吐くから注意して」


 ブレスだけではない。

 巨大な爪と牙に、自在に動く蛇の尻尾。

 かなり苦戦しそうだ。


 だが、勝てない相手ではない。


 一気に近づき、前足の先端を短剣で刺す。

 キマイラからすれば些細な傷だが、気をそらすくらいの効果はある。

 この巨体を倒すにはフィンでは不向きだ。

 爆弾も豪雨の中では使えないので置いてきている。


 アレクシアの魔法とアズの剣をどれだけ当てられるかがカギになるだろう。


「私を見なさいよ、デカブツ。最初にあんたのガキを殺したんだから!」


 人間の言葉が分かるのか、一斉に三つの首がこっちを向いた。

 圧倒的な視線の圧に喉が勝手に唾を飲んだ。

 全ての口が開き、三色のブレスが降り注いできた。

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