第435話 アズの渾身の一撃

 アズの周囲が歪んで見える。

 溜め込む魔力が水の精霊の力で増幅され、視界に見えるほど大きくなっているのだ。


 創世王の使徒でもあるアズのそんな魔力を無視できるはずもなく、ネフィリムはアズに視線を向ける。


「なるほど、使徒の継承者というだけのことはあるか。だが、未だその力は我らの使徒様には及ばない。殺すなら今か」


 左腕の燃え盛る火に右手の聖書を押し付ける。

 すると火が聖書に燃え移り、その火が全身へと回るのにそれほど時間もかからなかった。


 勢いよく燃える音が周囲に響く。

 火のせいで元々大きかった体が更に大きく見える。


「溶岩地帯にあんな魔物がいたねぇ」

「私を魔物と一緒にするな」


 ネフィリムはアオギリの言葉に不愉快そうに反応した。

 そして前に出る。


「お嬢ちゃん。どのくらい稼げばいい?」

「全力までもう少し……二分あれば」

「あいよ」


 アズを庇うように、アオギリも前に出た。

 ネフィリムの前に立ちはだかる。


 ……ネフィリムの全身が燃えてから余計に周囲の気温が上がった気がする。

 立っているだけで汗が吹き出し、全身が炙られるようだ。

 息を大きく吸うと熱気でむせてしまいそうになる。


 近くにいるエルザやアレクシアも暑さを感じているようで、髪や服が汗で肌に張り付いている。


「どけ。人間に用はない。貴様は後で贄にしてやろう」

「司祭様のように偉くなると、物事の道理も分からなくなっちまうのかな。後で殺してやるからどけと言われてどく阿呆はいないんだよ」


 ネフィリムはアオギリの返答を無視して進む。

 足跡の地面が熱で溶けて真っ赤になっていた。


 あんな状態で、どういうカラクリで生きているのだろう。

 普通の人間はおろか、強大な生命力を持つ魔物でも耐えられないと思うのだが。


 これが太陽神の与える奇跡、あるいは恩寵だというのだろうか。

 燃え盛る生命。決して絶えぬ火。


 だがそれは、太陽以外の全てを拒絶することに他ならない。

 燃えた手では握手もできないではないか。


 そんな楽園なんて、受け入れられるはずがない。


 ネフィリムは大きく息を吸い込み、アオギリに向けて放出した。

 真っ赤に燃えた息が降り注ぐ。

 アレクシアの魔法がアオギリの体を包む。火に対する防御魔法だろう。


 アオギリは右肩辺りで両手に握った刀を真っすぐに立てると、シッという声と共にすべての息を吐きだして刀を振り下ろした。


 刀が燃える息に触れる。

 刀身が熱で真っ赤になり、アオギリの手が焼ける音がした。

 燃える息は散らされて散らばっていく。

 しかしアオギリは刀を持つ手を放さず、地面に接するギリギリで刀を止める。


 刀の向きを反対に返し、更に一歩前に進みネフィリムに近づく。

 燃える息に頬や腕を焼かれながらも怯まない。


 もう一歩進むと、そこはアオギリの間合いだった。

 刀を引き上げると、ネフィリムの股に向かって直行する。


 左手に持った錫杖で刀を防ぎ、アオギリを掴もうと右腕を伸ばしてきた。

 アオギリはあろうことか、刀を手放すと両手でネフィリムの右腕を掴む。

 右腕ごと両手が燃えるが、歯を食いしばって耐えながら一気に引き寄せた。


 巨大なネフィリムの体勢があっさりと崩れる。

 アオギリがネフィリムを投げた。

 手を放したが、触れた部分が焼けただれている。


「ぬおおお!?」


 そのまま勢いよく地面に叩きつけられた。

 巨大な手足が広げられ、掴んだ右腕はへし折れている。


「これで十分だろ、嬢ちゃん」


 火傷を負ったアオギリがへたり込む。

 同時にアズが動いた。


 封剣グルンガウスがアズの魔力で白く輝いている。


「よ、よせ。私に近づくな!」


 近づくアズへネフィリムが怯えた目を向け、火を強めた。

 とても近づけないような強烈な火がアズを阻むが、もはや関係ない。


「終わりです」


 アズが剣を横へ振るう。

 それは空を斬ったが、本命はその後の追撃である。


 アズの魔力を変換し見えざる刃が放たれた。

 防御を貫通するこの一撃は、アズの魔力の分だけ威力を増す。

 その速度は音速を超え、ネフィリムへと直撃した。


 かつてキヨという強大な力を持つ骸骨が封剣グルンガウスを振った際、壁一面に巨大な亀裂が生まれたという。


 アズの一撃は未だにそれには及ばないだろう。

 しかし、もしキヨがこれを見れば思わず唸ったに違いない。


 ネフィリムの身体を真っ二つにした上に、周囲を覆っていた結界にヒビを入れたのだ。

 そこを起点に結界が崩壊していく。

 そしてネフィリムの体からは火が消えていった。

 明らかに生命力が失われていくのが分かる。

 残ったのは炭化しつつある黒い物体だけだった。

 それでもまだ生きているのか、顔の部分が動く。


「その剣はなんだ……? 恩寵ごと私を斬ったな」

「拾った剣です」


 アズはそう返し、トドメに頭の部分に突き刺した。

 ネフィリムの全身が砕けて砂になり、痕跡すら消えてしまう。


 最初は小さな蛇にすら怯えた少女が、これほど堂々と戦えるようになるとは。

 感慨深い。

 太陽神教に対しては容赦がなく、躊躇なく止めを刺した。


 そして結界が消え去り、空の太陽がいつもの通りの太陽に戻る。

 ようやくまともに呼吸が出来るようになり、大きく息を吸い込んだ。


 エルザが急いでアオギリに癒しの奇跡を行うと、火傷が治療されていく。

 あの様子なら問題ないだろう。

 助っ人としてきてもらったが、とても助かった。


 そこへフィンが戻ってくる。

 右手には縛られたオーエンが引き摺られていた。

 見事にボコボコになっており、整った顔が台無しだ。


 フィンも暑さで疲労しており無傷でこそないが、五体満足で立っていた。


「そっちも終わった? 疲れたからさっさと引き渡しに行きましょうよ」


 滴る汗を拭い、服の胸元で風を送りながらそう言った。

 異論はない。

 ひとまずオーエンを捕まえられれば、今回は解決だ。

 それ以上のことはジェイコブの仕事だろう。


 しかし太陽神教は一体何をしようとしているのだろう。

 ざわつく感覚が消えるのには時間がかかった。


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