第434話 正教か、邪教か

 燃える左腕の火には見覚えがあった。

 赤色ではなく、青色の火。

 一見すると奇麗ではあるが、しかしどこか禍々しい。

 あれは神殿騎士のエヴリスと戦った時に見た火に間違いない。


 前に立っているエルザがつばを飲み込む音が聞こえた。

 あの時はたしか、エヴリスを中心として強力な爆発が起こったはず。

 エルザはそれに合わせて結界を張り、被害はなかった。


 しかし今回はそうはならないようだ。

 燃え盛る左腕をネフィリムは掴む。

 肉が焦げる音がするが、気にする様子はない。


 そしてそのまま、斬り落とした左腕の根元に押し付ける。

 再び肉が焦げる音がして、腕がくっついた。

 それを確かめるように右手の五本の指を曲げる。


 腕は燃えたままだ。非現実的な光景が目の前で起こっている。


「ふぅぅ……神の愛を感じる。なぜこの愛を拒むのか、私には理解できないな」


 こっちから見れば、あれは明らかに異常な行為だ。

 司祭なら通常の方法で治療できるはずなのに、なぜあのようなことをするのか。

 狂信者としかいいようがない。


「あの火には触れないで! ただの火じゃないわ。精霊かアズちゃんなら少しは中和できると思うけど、それでも危険よ」


 エルザが大きな声で叫ぶ。

 普段の冷静さはそこにはなかった。

 睨むような眼でネフィリムを見ている。

 左腕そのものが触れてはいけない危険な武器となっているようだ。


「ま、それは見れば分かるわ。あの火を見てると背筋がざわつくのよね……。水の魔法は得意じゃないんだけど」

「なんぞ、斬れば済むかと思ったがそうでもないのか。手間じゃのう」


 アオギリが抜き身の刀の背で肩を叩きながら愚痴る。

 この場で一番危険なのは彼女だろう。だが、臆した様子はなかった。

 アレクシアは少しでも影響を抑えるためか、火の魔法ではなく水の魔法に切り替えている。


「関係ありません。首を刎ねれば同じです」


 アズの戦意は衰えていない。

 いや、ますます強くなっているようにも見えた。


 それに呼応するように、水の精霊が姿を現す。


 ネフィリムは右手に熱して真っ赤になった錫杖を持ち、左手に経本を構える。


「――――」


 なにかを唱えているが、聞いたことのない言葉だった。

 分かるのは、ろくでもない結果になるということだけだ。


 中断させる為にアレクシアが巨大な水を生み出し、それをそのままネフィリムへ放った。

 錫杖で水の塊が弾かれて霧散し、その水が雨のように降る。

 錫杖や火に当たった場所が蒸発し水蒸気が発生していく。


 アズが追撃するように走り、封剣グルンガウスに水を纏わせて首を狙って跳んだ。


「神の秘儀により、見えざる鎧にて我を守り給え」


 しかし見えない壁に弾かれる。

 経本で唱えていた奇跡が発動したようだ。


 アズは空中で体勢を立て直し、剣を見えない壁に突き立てた。

 つんざくような音が剣と見えない壁が衝突した瞬間鳴り響く。


 アズの全力と封剣グルンガウスの力が勝ったのか、砕けるような音がして粒子のような光が舞うのが見えた。


 お返しとばかりに真っ赤に錫杖が振り下ろされたが、アズはそれを体を逸らせて回避した。


「上出来だ。嬢ちゃん」


 それに合わせるようにして、アオギリが刀を突く。

 鋭い突きはネフィリムの胸目掛けて迫ったが、後退されて切っ先が触れる程度に留まった。


「後ろに下がるやつは多いんだ。これが」


 するとアオギリは勢いをそのままに刀を手放した。

 手首には包帯が巻かれており、それが刀の柄に巻き付けてある。

 そうして放たれた刀は確実に届く。

 そして引き抜いた瞬間血が噴き出す。


「血は避けて!」

「おっと」


 アズとアオギリはエルザの声に反応して横に跳ぶ。

 ネフィリムの血が地面に触れた瞬間、青い火が燃え盛った。


 どうやら血が燃えているらしい。


「こいつぁビックリ玉手箱かなにかかい」

「魔物より性質が悪いですね」

「違いない」


 二人とも武器を構えなおす。

 アレクシアの魔法の援護で地面の火は鎮火されていくが、少し時間がかかっている。

 肌に浴びれば火傷は免れないだろう。

 普通の火とも違うようだし、司祭のエルザがいるとはいえ命に係わる可能性があった。


 燃えている左腕に加えて、ダメージを与えれば触れてはいけない血が飛び散る。

 存在自体が厄介な相手だ。


「私の武器なら触れなくても仕留められます。隙を作ってください」

「なら、トドメは任せようか」


 アオギリが前に立ち、アズは剣に力を溜め始めた。

 みるみるうちにアズの周辺に魔力が満ちていく。


 ネフィリムは自らの傷を癒すと、視線を横に向ける。

 オーエンが合流することを期待しているのだろう。


 だが、期待は虚しくフィンが足止めをしたままだ。

 オーエンの顔が苛ついているのが分かる。

 そして、それはネフィリムも同様だった。


「オーエン。大口を叩く癖に役に立たない女よ。チッ、一人ならまだしも群れおって。創世王教の残党めが」

「本性が出てるわ、太陽神教の司祭。全てを救済するなんて言っておきながら、全てを破壊する異常者の集まりが貴方たちよ」

「肉の器に捕らわれている限り苦しみからは逃れられぬ。それを解き放ってやっているにすぎん。用のなくなった器を我らが神の贄に出来るのだ。これほどの救済はあるまい」

「そんな戯言で何人殺したの!」


 エルザの激昂する声が大きく響いた。

 それは魂からの慟哭だったように思える。


 太陽神教は創世王教を滅ぼした。

 当時のことは多くの記録が失われているが、創世王教は大陸で最も広く布教されていた宗教だ。

 改宗もあるにせよ、それを根絶するほど駆逐したとなればどれだけの人たちが犠牲になったのだろう。


 エルザが怒るのも無理はない。

 そんな歴史を闇に葬り、善人の顔をしてあらゆる場所に根を伸ばしていったのだ。

 ……実際に活動している人たちの多くは本当に善人なのだろう。

 生活の中で接したことがあるのでそれは分かる。

 だが、太陽神教が都市に根付いてから明らかに孤児やスラムの住人が減った。

 太陽神教が面倒を見ているのかと思われていたが、彼らが立ち去った教会の跡地ではほとんど見つかっていない。


 今思えば、あの抜け道などを使って連れていかれていたのだろう。

 居なくなっても騒ぎにならない人たちを、贄にするために。


 それが、彼らの神とやらの救いらしい。


 あの暴れた銅像もきっとなにかの実験のつもりだったのではないか。


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