第421話 公爵令嬢の労働
アナティア嬢とお付きのメイドを応接室に泊めた次の日の朝。
そのまま王都へ行ってくれると思ったのだが、なぜか朝食を共にして猫の手亭まで付いてきた。
「アナティア様、王都に行かないんですか?」
「いつでも行けるから。それとも迷惑かしら?」
「いえ、別に構いませんが」
実際アナティア嬢は高貴な生まれだが、文句ひとつ言わないのでそれほど迷惑でもない。
お付きのメイドから宿泊費も受け取っている。
アズたちも以前会ったことがあるからか、貴族相手とはいえ少し慣れてきた様子だ。
今日も朝一から仕込みをしていく。
業者を変えたのできちんと食材も届けられているので問題ない。
配置も幾つか変更されていた。
ミナのアドバイスを聞いたカズサが昨日のうちに手を入れたようだ。
最初こそ手間取ったものの、やっていくうちになるほどと納得した。
物事の時短は基本的に手順の簡略化や省略が必要になる。
本来は仕事に慣れていく過程で少しずつ進めるものだが、今回は経験のあるミナのおかげで一気にそれが出来た。
その場から動かずに作業できると速度が全然違う。
他にも仕込みの最中に道具を使うタイミングが重なったり、行き来してぶつかりそうになったりと手を止める問題がなくなって仕事に集中できる。
これならカズサと手伝いで誰か一人居れば余裕をもって終わらせられそうだ。
今は人数が多いので掃除も含めてすぐに完了した。
「手際がいいわね。こうやってるんだ」
「昨日はもう少しバタバタしてましたけどね。どうぞ」
花茶に蜂蜜を加えたものをアナティア嬢に差し出す。
相手がいいと言ってもあまり粗末な物は出せない。
「いい香り……」
お気に召したようだ。
普段見る機会のない宿の仕事に好奇心を持ったのだろう。
目の届く範囲で見学するていどならいいかと割り切る。
包丁を持たせて怪我でもされたら大事だ。
「ねぇ」
「はい、なんですか?」
「これからここを開けるんでしょう? 私もやってみたいな」
「貴女が宿の給仕? 本気ですか?」
貴族とはつまり高貴なる者である。
なかには貴族には平民とは違う偉大な青い血が流れている、と豪語するものもいたほどだ。
立場も生まれも違う、生まれながらの権力者。
思わずメイドの方を見る。
こんなことを言っているがいいのかと。
メイドは変わらず肯定するのみだ。
「……分かりました。やりたいというなら構いませんが、指示には従って貰いますよ」
「ええ、もちろん」
やや楽しそうな顔でアナティア嬢は受け入れた。
カズサは口を開けて信じられないと言った顔でこっちを見る。
断る理由がないので無理だ。貴族だから無理ですと言えるわけがない。
「アズ、アナティア様を更衣室に案内してくれ」
「分かりました。えと、こっちです」
「昨日の服よね。可愛かったから楽しみだわ」
奥へと移動していくのを見届けた。
「いいんですか? お嬢様をこんなところで働かせて」
「アナティアお嬢様は事件以来外に出るのもままなりませんでしたから、いい気晴らしになるかと思います。安全が確保できなければ賛成はしませんでしたが……ここはむしろ安全ですから」
「安全、ですか。そうは思えませんが」
「あなた方の実力はもちろん、あの黒髪の少女はかなり実力のある方でしょう。王城は確かに兵士によって守られていますが、中に間者が紛れてしまえばお嬢様を守るには私一人では心もとない。王家と血の繋がりはあっても、決して純粋な味方ではないのです」
ただの物見遊山ではないということか。
王都もここも、自由に差配できる公爵領ではない。色々と考える必要があるらしい。
それでもアルサームにいるよりは安全だと判断されたのだろう。
……本当に戦になるかもしれないな。
帝国は落ち着きそうなのに、今度は太陽神連合国の方がきな臭くなってきた。
公爵が指定した返答期間まで間がある。
思い過ごしで終わってくれればいいのだが。
「どうかしら、似合う?」
「よくお似合いです。お嬢様」
メイドが着替えたアナティア嬢を絶賛する。
美しいプロポーションを惜しげもなく披露していた。
たしかに、元々美しい上に制服で少し露出が増えたこともあって人目を引く魅力がある。
アレクシアと二人で並べば見目麗しいお嬢様が二人。
これだけで金をとれそうだ。
そういう見世物にしたら怒られるだろうから心のうちに留めておく。
カズサも接しやすいアナティア嬢に安心したのか、少しずつ話が出来るようになっていった。
ああいう人ばかりなら平民も安心して過ごせるのだが、そうもいかないのが現実だ。
宿の方は特にトラブルもない。
極端な安売りをしていないので冒険者相手とはいえ客層も悪くない。
もしなにかあってもカズサなら対応できるだろう。
軽食の販売を開始する。
昨日と同じく、仕事前に食事をしようとたくさんの客が押し寄せてきた。
チラチラと制服を着た女性陣を眺めている連中もいるので、口コミもあるようだ。
中でも目を引くのはやはりアレクシアとアナティア嬢か。
エルザも入れて三人が視線を集めている。
肝心の仕事の働きは悪くない。
箱入りのお嬢様ということで、動きに難があると思ったがテキパキと動く。
指示にも柔軟に対応できる立派な戦力だ。
お付きのメイドも手伝ってくれたので昨日より客が多いのに余裕がある。
効率が上がったからか注文からの提供も早くなったのでずいぶん処理速度も上がった。
午前の客を捌き切り、食材もほぼ使い切る。
「買い出しに行ってきます」
年少組の四人で足りない食材を買いに行った。
今のうちに残った面々で午後に備えて後片付けを行う。
扉が開いたので、今は提供できないことを伝えようとそっちを見ると、ティアニス王女がカノンを連れて立っていた。
制服を着ているアナティア嬢をまじまじと見ている。
「アナティア叔母様、なにをしてるのかしら」
「ティアニスちゃんお久しぶり。あと叔母様っていうのは止めてって言ったよね? 少ししか年齢も離れてないんだから」
空気が変わった。
二人とも顔は笑っているのに目は笑っていない。
思わずアレクシアの後ろに移動したら呆れられた。
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