第393話 濡れた太もも

「公爵様、もちろん仕事であれば承りますが……」


 どう言ったものか迷いつつ、一旦言葉をつなぐ。


「私は陸路を主としておりまして、海路となると勝手が違います。他に任せられる人物はいないのですか?」

「居ないわけではない。だが、うちの人間を送ることも難しいのだ」


 公爵はそう言うと、大きくため息を吐いた。

 どうやら公爵の悩みの種はこのイセリアという都市にあるらしい。


「何も話さずに受けろとは言わん。だが、これから話すことを聞くなら受けてもらう。もし断るなら今だ。以前の騒ぎを収めてもらった借りもあるから無理強いはしない」


 公爵ほどの人物が一商人に譲歩するとは。

 いささか驚きだ。


 この件は間違いなく厄介事だ。

 しかも引き受けなくてもお咎めはないという。


 言葉の通り、これまでと同じように付き合いはしてくれるだろう。


 少しだけ考える。

 答えはこの場で出さなくてはならない。

 ここで持ち帰るということはほぼ断ると同義だ。


 普通に考えれば断るべき。

 しかし商人としてはどうか。


 グラバール公爵はフェアな人物だ。

 もし受ければ十分な報酬を約束してくれるだろう。


 金はいくらあっても足りない。

 それに、もしもこの先帝国へ進出する際には公爵の後押しがあれば非常に有利にことが運べる。


 ……あとはオルレアンか。

 きっとこの仕事はオルレアンに引き継がれるだろう。

 公爵の口ぶりから、もし公爵の息のかかった人物が送られると不都合なことが起きる。


 それならば失ってもいい人間に任せることになるだろう。

 その上で確実に遂行できるとなれば、やはりオルレアンになる。


 乗りかかった船、か。

 助けた相手に頼られてここまで来たのだ。最後までやるべきだろう。


「分かりました。お引け受けします」

「うん。よく言ってくれた。そう言うと信じていたぞ」


 そう言うと、公爵は初めて安堵したような表情を見せた。


「まず、このイセリアには皇太子殿下が滞在している。というか緩やかな包囲ができつつある」

「包囲、ですか」

「ああ。といっても軍事的にではない。陸路からの出入りを妨害されている」

「それは……あまりよくないですね」

「うむ。井戸もあるし、魔導士もいるのである程度はなんとかなる。だが食料がな」

「だから小麦が必要だったんですか」

「そうだ」


 次期皇帝候補の皇太子が兵糧攻めにあいつつある。

 確かにこんなことは表に出せない。


「公爵様から届けられないというのは、周囲を刺激するから?」

「そうなる。私が皇太子殿下を支持しているのは周知の事実だ。無理に動けばそれこそ軍事行動につながる」

「なるほど。しかしそれならあの小麦を送ったところでただの時間稼ぎにしかならないのでは?」

「その時間が必要なのだ」


 公爵はそう言ってトントンと地図を指で叩く。


「イセリアを包囲している勢力は継承権でいえば第四位の皇女だ。配下の貴族を使って締め上げているものの、皇太子殿下の反撃を恐れてもいる。もし飢えが限界になれば皇太子殿下も黙ってはいない。軍隊を招集し反撃に出るだろう。国を割ることを恐れてそうしていないだけ」

「ああ、皇太子殿下の命が脅かされているわけではないと」


 反撃すればなし崩し的に内戦になるから反撃を控えている状態か。

 しかしそろそろ我慢の限界が近いと。


「食料が届けば一息つく。そしてその間に私や他の同志が切り崩す。すでに話し合いは進んでいるからな。ただこの皇女を刺激するのはギリギリまで避けたい。出来ればたまたま小麦を積んだ船がイセリアに到着し、小麦を売り払って出ていくという形にしたい」

「だから私が都合がいいんですね」

「そうだ。疑われるだろうが、それでも時間稼ぎにはなる」


 陸路が封鎖されていて食料を直接届けるのが難しい。

 放っておけば内乱がはじまり、恐らく皇帝が決まるまで終わらない。

 ならば海路から届けたいが、皇太子派の仕業だとはバレたくない。


 少しばかり事情が込み合っていてややこしいが、こういうことか。


「ですがそれだと海路も妨害されませんか? 私なら海も見張ります」

「……彼らに船はない。多少の妨害はあるかもしれないが、対処できる範囲だろう」


 海賊のように直接乗り込んできたらどうしようかと思ったが。

 まさか遠くから魔法や矢を撃ってくることはないだろう。

 厄介だが、危険というほどではない……か?


「報酬はこれだけ出す」


 袋にいっぱいまで詰め込まれた金塊が置かれる。

 思わず怯む。


 大量の金貨を見たことはあるが、このような金塊をまとまった数見たことはない。

 帝国の国旗が金塊に刻み込まれており、出所が確かなものだ。


「わぁ……」


 アズも思わず声が出たようだ。

 気持ちは分かる。

 オルレアンはさほど興味がないようだ。


 ある意味金とは無縁の生活を送ってきただけに無欲なのかもしれない。


「なんとしても届けて欲しい。頼めるな」

「分かりました。お任せください」


 そう言って公爵と固い握手を結ぶ。

 これが成功すれば、大きく躍進できるだろう。


 ……だがこの時、うまい話には裏があるという基本的なことが頭から抜け落ちていた。

 金塊の魔力に魅入られてしまったのか。

 公爵に頼られて気が大きくなっていたのか。


 それとも、いささか浮かれていたのか。


 キャラバンを解散し、アレクシアたちも回収して小麦が積み込まれた船に案内される。

 公爵の言う通り立派なガレオン船だ。


 乗組員たちも優秀らしい。


 時間がないとのことで、慌ただしく出立する。


 ……そして今、猛烈な嵐に揺られてずぶ濡れになっていた。


「うぇ」

「フィンさんしっかりしてください」


 フィンは船の隅で吐いている。

 船酔いに弱いとは知らなかった。アズが背中をさすっている。


「酷い嵐ね。この海域ではよくあるらしいわ」

「そりゃ妨害もされないわけだ。したくてもできないだろう」

「濡れて気持ち悪いよー」


 エルザとアレクシアが濡れたすそを絞っている。

 濡れた太ももがまぶしい。

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