第383話 猫の手亭

 旧友の来訪というものは、いつの時代でも喜ばしいものだ。

 オルレアンも交えて賑やかな食事を済ませた後、カズサに任せてある宿へと向かった。

 アズ達の部屋はこれ以上人を入れると手狭になってしまうし、なにより帝国の公爵からの正式な客だ。

 キチンともてなすのが役目だろう。


 移動しながらあの後のことを色々を聞いた。

 初めは色々とトラブルも起きたが、やはりトップである公爵が本気である以上少しずつ確実に変化していったらしい。


 その中でも中心的な存在、というかモデルケースとしてオルレアンはもっとも教育を多く施されたそうだ。


「収穫の時間は減ったのですが、むしろ暇な時間が増えてしまいました。その時間で皆勉強しています」

「ほぅ。確かにそうなってもおかしくないか」


 それまではただ言われた通りに手を動かしていた人達が、少しずつとはいえ色々なことを学んで自分で考えることを始めたのだ。


 生産性は相当上がっただろう。

 一握りの天才よりも、多くの平凡だが教育を受けた人たちがいる方が単純労働では大切だ。

 日常を改善し続けることができる。


「私達で荘園を管理できるようになって公爵様も喜んでおりました。人件費が浮くと」

「……それは大事だな」


 働かせるための人員などいない方がいい。

 完全に放任するのは問題だが、ヨハネがカイモルやカズサに対してしているように責任はとって現場は任せるのが効率がいい。


 歪んでいた荘園の運営はかなり改善されたようだ。

 農奴にも尊厳はある。決して粗末に扱っていいわけではない。


「私の成績が良いと褒めて頂き、色々な手伝いを許してもらえました。簡単な仕事などは任せてもらえることも」

「やるじゃないか。公爵家の家来なんて優秀な人間の集まりだろうに」


 小間使いといってもそこは公爵家だ。

 末端まで優秀な人間が集まる中で、少しでも仕事が任されることはオルレアンの年齢や経歴を考えても素晴らしい。


「いじめられたりはしなかったか?」

「いえ、そのようなことは……」


 少しだけ言葉を濁した。

 何事もなく、とはいかなかったようだ。

 向こうもプライドがあるだろうし、公爵家の部下にはそもそも貴族もいる。


「私は農奴出身ですから。それにこの子も守ってくれますし」

「火の精霊か。まあ精霊の巫女を相手に手を出すバカもいない。出身は関係ない、と言えたらよかったんだが貴族の家ではどうしてもな」


 今のオルレアンには火の精霊がついている。

 アレクシアと共にいるサラマンダーはその火の精霊の分身であり、その大元といってもよい強力な力を持つ精霊だ。

 見た目通りの若い女だと侮ると痛い目に合う。


「今なら分かります。旦那様がどれだけ手を尽くしてくださったか」

「大変だったが、まぁいい思い出だよ」


 火竜の咆哮を近くで浴びた時は死ぬかと思った。

 あれでアズ達と冒険をするという選択肢は事実上消えたといっていい。


 あのような怪物に立ち向かう気概はアズ達にはあるが、ヨハネにはない。


 それに、なんだかんだであの一連の出来事で十分な利益を得ている。

 オルレアンを助けたのは決して無駄ではなかったし、後悔もしていない。


 無茶はした自覚があるので、そこは反省しているが。


 話していると目的地の宿に到着した。


「この宿も旦那様が?」

「ああ。権利ごと買い取った。今は改装中だが、折を見て営業を開始する予定だ」


 オルレアンを連れて訪れた宿はずいぶんと様変わりしていた。

 内装の手配は終わり、外装に手を加えるとは聞いていたが思ったよりもきちんとしている。


 やや荒れていた周囲の地面はキチンと清掃された上で石畳を張りなおしており、清潔感がある。

 宿も悪い意味で歴史を感じさせていたのだが、白い塗料を上塗りしたのか見違えるようだ。

 看板も準備されている。

 布で覆われていたのでそれを剥いでみると、<猫の手亭>と書かれてあった。


 ヨハネの商会の傘下とはいえ宿の名前は特に気にしていなかったので一任したのだが、こうなったのか。

 宿が運営者の名前を名乗ることはよくあるので、これはこれでいいかもしれない。


「これからお前を任せる宿の子に合わせる。何かあれば頼るように」

「ありがとうございます。雨風をしのげればそれだけで十分です」

「そうはいかん。面倒を見て貰うということも覚えておけ」

「……勉強になります。旦那様」


 街から少し外れているとはいえ、この様子なら客も入るだろう。

 カズサには良いセンスがある。

 信頼できるという理由で任せたのだが、それは功を奏しそうだ。


 持っている鍵で扉を開けると、カズサがちょうど床掃除をしていた。


「ヨハネさん、いらっしゃい。そちらの方はどなたですか?」

「いきなり悪いな。この子は俺の客だ。予行練習だと思って泊めてやって欲しいんだが。食事はこっちで世話する」

「突然すみません。オルレアンと申します」


 オルレアンはそう言ってローブの端を両手で摘み、お辞儀をする。

 カズサは両手を胸の前にあげて振る。


「私はカズサです! よろしく! 大丈夫ですよ。部屋はすぐ準備できます」

「ありがとうございます。お世話になります」

「そんな遠慮しなくてもいいですよ……? ヨハネさんのお客さんなら歓迎です。なんせ雇い主ですからね」

「よくやってくれてるよ。宿の外壁も塗ったんだろ?」

「ええ。塗料が安く手に入ったんで弟と一緒に。予算はいまのところ予定通りに収まってます」

「分かった。困ったことがあったら言うように。それじゃあまた明日。道は覚えているか?」

「はい、大丈夫です」

「分かった。朝からうちに来るように。朝食を用意するから。アズも楽しみにしている」

「アズとも知り合いなんです?」

「はい。とてもお世話になりました」

「へぇ、よかったら話を聞かせてくれません?」

「もちろんです」


 カズサはオルレアンとすぐに打ち解けたようだ。

 接客業に向いているかもしれない。


 そもそも荒くれ者である冒険者達と組んで仕事をしていたのだ。

 これくらいはなんともないのかもしれない。


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