第368話 疲れていてもソロバンは弾く
体は元気なのに精神が疲れ切っているのか、座ったままでいたら思ったより時間が過ぎていたらしい。
どちらかが香水でもつけていたのか、部屋には甘い香りが残っている。
男なら誰でも魅了されるほどの美しい少女だが、ヨハネにとっては金こそが一番の魅力的な相手だ。
そのせいか、どうにもやる気が出ない。
アレクシアがコップに飲み物を用意して部屋に入ってきた。
「珍しいわね、そんなに疲れてるなんて」
「疲れてる訳じゃないさ。少しばかり責任の大きさを感じていただけだ」
コップの取っ手を掴み、口元に近づける。
レモンの香りがした。
口をつけると甘みと酸味を感じる。
どうやら白湯にレモンの果汁を絞って砂糖を加えたようだ。
「これ、私の家ではよく飲んでたの、疲れに利くと思うわ」
「そうだな。確かにこれは元気が出るかもしれない」
糖分で元気が補充され、酸味で気分がリラックスするような気がした。
アレクシアには気を使われたようだ。
「ちなみに」
「ん、どうしたの?」
「皇族はどうなんだ? やっぱりあんな感じなのか?」
帝国の方はどうなのか少し気になった。
あちらも皇帝には何人か継承権を持つ子供がいたはずだ。
「私は立場的にも直接話したことはないけれど……、噂ぐらいなら聞いたことはあるわ。それほど素行は悪くなかったはず」
アレクシアは顎に手を添えて思い出すように言った。
すくなくとも、ティアニス王女のような人物はいないらしい。
「そうか。まぁメリットもないわけじゃない。出来る限りのことはやるしかないか。美味しかったよ、ありがとう」
「どういたしまして。立ち上がるのに手を貸しましょうか?」
「そこまでしなくていい」
冗談交じりに聞かれたので断る。
あら残念、といってアレクシアはお盆に来客用のカップも載せて部屋を出ていった。
こういう時に話せる相手がいるのは思ったより救いになる。
アレクシアはもっと家が大きければきっと大成したのかもしれない。
まだ惰性に身を任せたいと思う心を押し殺し、立ち上がる。
自分の部屋へと戻ろうとすると、フィンとアズが端からこっちを見ていた。
ティアニス王女が突然来たので色々と気になっているようだ。
今は相手をする気分ではなかったのでシッシッと追い払うと、フィンは舌を出して悪態をついて居なくなった。
アズは慌ててフィンについて行く。
なんだかんだであの二人は仲良くやっているようだ。
歳が近いからだろうか。
エルザとアレクシアも仲が良いようだし、やはり気軽に話せる相手がいるのは日常を送る上で大切だ。
部屋に戻り、金庫を開けて帳簿を出す。
ここにある金と組合に預けてある金が今動かせる全てだ。
財産という意味では他にもあるが、売掛金であったりすぐには処分出来ない物だったりする。
それらは借金をするのには使えても、今から必要な分には流用できない。
無借金経営にこだわるつもりはない。
事実、アズ達三人を奴隷商から購入し装備を整える時は店を担保にして借金を借りて使った。
最初の奴隷をアズにしたのは今思えば正解だったが、当時は割と冒険だと思ったものだ。
その借金もアズ達の稼ぎで返済し終わっている。
計算したところひとまずまた借金はしなくてもよさそうだ。
カズサが辞退してくれたのがかなり助かった。
ちゃんとした子で宿も任せられそうだし。
必要な金貨を取り出して、残りは再び金庫にしまう。
金貨百五十枚。これでルーイドの大麦などの加工品をすべて買い上げてカルネヴァーレに売る。
売値は金貨百七十枚になる予定だ。
金とそれを使う場所があれば横に流すだけで金貨が懐に手に入る。
同時にそれに伴う責任も付いてくるのだが、それを加味しても美味しい仕事だ。
これが年に二回。儲けは金貨四十枚。
末永く続けたいものだ。
これはいいとして、小麦の方が問題だ。
元々の納める分はある。
倉庫に残っていた在庫も帳簿化されており、それを足すとなんとかティアニス王女に要求された分は確保できる。
念の為に自分の目で確認するつもりだ。
引き渡しの時も現場にいる必要があるだろう。
小麦の取引は少し複雑だ。
ノルマ分については小作民達から小麦を買い、それを王家と売買する。
王都の食料確保という名目で市場より安く売らなければならないのでこっちは金にならない。
過剰分は小作民達と折半になる。食べる分と行商人と交易する分以外は買い取ることがほとんどらしい。
なので本来は彼らがたくさん作るほど儲けが増える計算になるのだが、どういう訳かそうはなっていない。
幸い雇用の約束もしたことで彼らは協力的で、次からは作付面積を拡大してくれることになっている。
ティアニス王女からは身分の保証しかされておらず、ルーイドの管理することでの利益は直接回収しなければならない。
あの王女は便利な駒が出来たと思っているに違いなかった。
金貨を巾着袋にしまい、金庫に入れて鍵を閉める。
金貨百五十枚ともなるとギッチリとして重い。
数キロある。この重みこそが、商人の命だ。
今日はもう疲れた。風呂に入って寝てしまうとしよう。
風呂場でアズとアレクシアと遭遇するアクシデントがあった。
五人もいるとどうしてもタイミングが被る。
アズはもちろんだが、アレクシアも成長していた気がした。
「冷静に見ないでちょうだい」
「恥ずかしいです……」
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