第365話 商談準備

 一度店に戻り、一番上等な服に着替える。

 髪を整えている間にアズに靴を磨かせる。


「どうですか?」


 革靴の表面が鏡のように周囲の景色を移す。


「上出来だ」

「……ちゃんとすると結構さまになるのね」

「勝負服って感じ」


 レザーコートを着たヨハネをそれぞれが見る。

 おおむね肯定的な意見だった。


「カッコいいですよ、ご主人様」

「見え透いた世辞は言わなくていい」

「本音なんですけど……」


 アズが不満そうに言う。

 そんな様子を見て自然と緊張がほぐれた。


「今回はエルザに付いてきてもらおうか」

「分かりました。恰好はどうします?」

「司祭服はちょっと場にそぐわないな。外行きの服に着替えてきてくれ」

「はーい。ちょっと待っててくださいね」


 今回は商人同士の交渉だ。

 傍に連れていくのがアズやフィンだと見た目で舐められる可能性がある。

 アレクシアでもいいのだが、見た目が落ち着いた感じのエルザが最適だろう。


「お待たせしました」


 エルザは黒が基調の落ち着いた服に着替えてきた。

 下はロングスカートになっており、淑女のような装いだった。


「スタイルがいいから似合ってるな」

「そうですか? ふふ、奮発した甲斐がありました」


 見覚えがないと思ったら渡した金で買った服のようだ。


「下着も確認しますか? 服に合わせたんですよ」

「遠慮しておこう。行くぞ」

「あら。つれないですね」


 ロングスカートを掴んでヒラヒラさせたエルザから背を向けて外に出る。

 少しだけむくれたエルザが隣に追いついてくる。


 そろそろ出発の時間だ。

 王都での約束の時間はまだ先だが、トラブルがあってはいけない。


 商人にとって信用は大切だ。

 時間を守らないことはそれだけで信用が失われてしまう。


「留守を頼んだ。日帰りの依頼なら行ってきてもいいぞ」

「分かりました。気を付けて行ってらっしゃいませ!」

「面倒ね」

「貧乏暇なし、でしょ。稼げるときは稼いだ方がいいのよ」


 待機組に挨拶し、エルザを連れて移動を開始した。

 アズ達が見送ってくる。


 アレクシアもいるし留守番くらいなら問題ない。


 ポータルを使って王都に移動する。


「約束の時間まであそこで暇をつぶす」

「どこですか? ああ、なるほど」


 指さした場所は酒場だ。

 ただし、高級な店構えで一見は入れないようなところ。


 入り口には男が一人立っている。

 黒い服に身を包んでおり、荒事が得意そうな見た目をしていた。


「お客様、失礼ですが」

「これで入れないか?」


 提示したのはティアニス王女から預かっている身分証だ。

 一応直属に雇われたようなものということで携帯を許可されている。


 悪用すればすぐに取り上げられるだろうが、これ位は構わないだろう。


「これは……失礼しました。どうぞ中へ」


 男が頭を下げてドアを開き、中へ招く。

 右手で返事をして店の中へ入っていった。


 こういう店はクローズドな情報交換によく使われる。

 中で得た情報は決して漏らさない。


「こういう場所は初めて入りました」

「あんまりキョロキョロするなよ」


 エルザほどの美しい女が不用心に周囲を見ているとトラブルの元だ。

 こういう店なのでからまれることはないだろうが、既に視線を集めてしまった。

 中には下卑た視線をエルザの背中に送る男もいる。

 命知らずな男だ。もし強引に迫ればひどい目に合うのはそっちなのだが。


 カウンターに座り、店主に飲み物を注文する。

 交渉の前だがアルコールはエルザに中和してもらえばいい。


 カクテルが二人分提供された。


 そこで金貨を一枚スッとバーテンダーに渡し、これから会うことになっている商会のことを尋ねた。


 商人組合で多少のことは分かるのだが、現地の評判などはそこに住む人か積極的に情報を集めていなければ分からない。


 自分で集めるほどの時間もないので、王女様の権力を借りて利用することにした。


 バーテンダーは金貨を受け取ると、コップを磨きながら小さな声で色々と教えてくれた。

 商会長の性格や金周り、評判など。

 金貨一枚分なので踏み込んだことまでは教えてくれないが、ひとまず十分だ。

 こうして尋ねたことも向こうにはきっとネタになるのだろう。


 カクテルに口をつける。

 甘く、雑味が一切ない。


「おいしいですね、これ」

「そうだな。後味もいい」

「宜しければもう一杯いかがですか?」


 まだ時間がある。

 少しこの時間を楽しむことにしよう。


「別のものを」

「畏まりました」


 バーテンダーは空になったグラスを下げて、新しいグラスを用意する。

 皿に盛られた塩漬けのオリーブの実がスッと差し出された。

 どうやらサービスのようだ。よく漬かっている。その間に赤い色の酒を注いでいる。


「リンゴを使ったカクテルです。どうぞ」

「ありがとう」


 エルザと軽く話しながら酒をゆっくりと飲む。

 度数が強い。三杯目は飲まない方がいいだろう。


 エルザはほんのりと顔を赤らめている。

 静かで洒落たこの店に良く似合っていた。


「ありがとう、美味しかったよ」


 カクテルを飲み干して代金を支払い、席を立つ。

 安物のワインなら二本丸ごと買える値段だ。

 普段使いには少し高い。


 エルザが横に並んで腕を絡めてくる。


「酔っちゃいました」

「嘘つけ。そう簡単には潰れないだろう」

「ふふ。これは出会ったばかりの時にやるべきでしたね」


 右手の人差し指を唇に寄せて微笑む。

 幼さすら感じられる、親愛のこもった顔だった。


 すれ違ったカップルの男がエルザを見て思わず振り返り、恋人らしき女性に雷を落とされていた。

 悪いな、エルザは俺の女だ。


 店の外に出て、エルザに酔いを醒ましてもらう。

 アルコールでポカポカしていたからだが少しだけ冷える。

 エルザが触れている腕だけがとても暖かかった。


「そろそろ離れてくれ。気持ちを切り替えて目的地へ向かう」

「はい、残念だけど分かりました」


 エルザはそう言って腕を放し、横に並んだ。

 髪をかき分ける仕草は色気がある。


 目的の商会は王都の中では中の上といったところだが、食料品に限定すれば王都でも有数とのことだった。


 地に足がついたビジネスで、利用者からの評判は上々。

 無理な借金もしていないようだ。

 組む相手としては理想的だろう。


 約束より少しだけ早く、相手の店<カルネヴァーレ>に到着し、来訪の鈴を鳴らす。


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