第351話 穏やかな時間を壊すモノ

 冬のもっとも寒い時期に突入してからの日々は穏やかなものだった。

 暖炉の中で燃えた木の爆ぜる音を聞きながら、ソファーで内職をする。


「どうぞ」

「ありがとう」


 アズがカップをソファーの前にあるテーブルに置く。

 白い湯気の中身はコーヒーだ。


 一口飲むと、苦みと甘みが口の中で交差する。


「濃いな。目が覚める」

「好みはバッチリです」


 そう言ってアズは隣に座る。

 外は吹雪いており、陽が落ちるのも早くなってしまった。

 帰り道になにかあってはいけないので、暗くなる前に従業員達は家に帰している。


「何をしているんですか?」

「ちょっとした雑務だ」


 寒い時期、家に籠るのでこういう事務作業には向いている。

 商人組合の組合員として割り振られた仕事を今のうちに片づけているのだ。


「あちち」


 アズがコップに口をつけると、熱かったのかそう言ってフーフーと冷ましている。

 子供らしい仕草だ。


 内職を再開すると、アズは何も言わずにただ隣でじっとしていた。

 暇だろうと思ったが、別にじゃまになる訳でもない。


 しばらくそうしていると、アレクシアとエルザが居間に入ってきた。

 肩に積もった雪を払いのけている。


「本当に寒いわね……信じられない」

「この辺りは例年この位冷えますけど」

「嘘でしょ」


 手には野菜の入ったかごがある。

 夕食のために裏庭の菜園に行っていたらしい。

 この寒さでも育つ野菜があるんだなと感心した。


「手伝います」


 隣にいたアズは空になったコップを持って二人のところへ行く。

 夕食はもっぱら三人で作ることになっていた。


「寒いからシチューにしましょう」

「いいわね。ご主人様、あのベーコン使っていいかしら」

「ああ。適当に使ってくれ。売るほどある」

「了解~」

「野菜の皮剥きますね」


 慌ただしく準備が始まる。

 野菜を切る音や、鍋を準備する音などが聞こえる。


 少し経つと、ベーコンを焼いたり、コトコトと鍋が湧きたつ音がし始める。

 三人ともずいぶんと手際が良くなったものだ。


「小麦粉とバターを混ぜてたら焦げちゃいました~!」

「あらら、ちょっと火が強かったのね。大丈夫、これくらいなら平気だから」

「本当ですか? よかった」


 アズが慌てふためいているが、エルザが優しく肩を押さえて落ち着かせている。

 ホワイトソース作りが終わったのか、シチューの匂いがキッチンから漂ってくる。


 そのタイミングで二階からフィンが降りてきた。


「おはよ」


 またインナー姿で歩いている。大きなあくびをしており、寝起きらしい。

 熟睡できないといっていたのは一体誰だったのか。


「服着るから」


 シッシッというジェスチャーをこっちに向けてすると、椅子の背中に吊るしてあった服を身に着けていく。


 三人の手伝いにはいかず、暖炉近くのソファーにドカッと座る。


「暖炉はいいわね。あんな格好でも寒くないんだから」

「お前風邪ひくぞ」

「すきま風のあるボロ屋で過ごした時にもひかなかったから、平気だって」


 そう言いながら両手を暖炉で炙る。

 フィンの来歴を考えれば腰を落ち着ける場所がなかったのだろう。

 暖炉程度でありがたがってくれるなら安いものだ。


「出来ましたよー」


 エルザがそう言って大きな鍋を両手で掴んでテーブルに持ってくる。

 フィンが左手でテーブルの鍋敷きを弾くと、ぴったりの位置に止まる。


「あら」


 エルザは鍋をそこに置くと、フィンに笑顔を向ける。

 フィンはプイっと顔を背けたが、エルザにはそれが微笑ましいようだ。


 アズとアレクシアも次々と料理の盛られた皿を持ってくる。

 汁物だからか、硬い黒パンをカットして皿に山盛りにしてあった。

 ベーコンは分厚く切って、よく焼いてある。


「今日の糧に感謝を。いただきます」


 エルザが創世王に祈りを捧げるのを皮切りに、食事が始まる。

 シチューには野菜が入っているが、どれもゴロゴロと大きい。


「野菜の育ちがいいです。寒さにも負けないし、全部大きく育ちますね。味も……うん、美味しい」

「そうだな。これほど変わるのか」


 エルザが裏庭の菜園を世話するようになってから野菜が収穫できるようになったが、それらは小粒なものばかりだった。

 土の精霊石の欠片が手に入ってからは野菜の病気が減り、大きく育つようになっていった。


 土の精霊の加護が最も人類にとって意味があるかもしれない。


 鍋一杯のシチューが空になるのにそう時間はかからなかった。

 念入りに黒パンで鍋にこびり付いたシチューをこそぎ落す。


 そんなことをしながら食事が終わる。

 ほぼ毎日こんな感じで過ごしていた。


 冒険者組合からの依頼もここ数日は途絶えており、雪が止むまでは何もすることがない。


 そう、思っていたのだが。


 パラパラと天井から埃が落ちてくる。


「ん?」


 一定の間隔で、僅かな揺れを感じた。

 それは次第に強くなってくる。


「なんだ?」

「揺れてませんこと?」


 ドスン、という音が小さく聞こえた気がした。

 その音の感覚は、まるで歩いているかのような。


「地震……でもないな」

「外へ見に行きましょう」


 エルザの提案で、慌てて防寒具を着込んで外に出る。

 外はもう月明りで薄暗い。

 同じことを思ったのか、他の住人達も外に出て周囲を見渡してざわついている。


 ドスン。


 外に出たことではっきりと聞こえた。

 大きな音だ。

 聞くだけで心の不安を搔き立てるような。


「ここじゃだめだ。冒険者組合に行くぞ」

「分かりました」


 四人を引き連れて冒険者組合へと急ぐ。

 辿り着いてみると、冒険者組合は騒然としていた。


 この時間は受付が一人暇そうにしているのが常だが、押し寄せて来た冒険者相手に慌ただしく対処している。


 近くの男に声を掛けてみた。


「いや、俺も詳しいことは分からないんだが……、また揺れたな。どんどん近くなってきた。いくらなんでもおかしいってことでここに来たんだ」


 他の冒険者も似たようなものだった。

 なにかは分からないが、地震ではないと思ってここに来たと。


 冒険者組合の組合長が奥の部屋から出てきた。


「臨時の依頼を発行する! 特大の氷ゴーレムが出現した! 火の魔法を使える魔導士は必ず受けてくれ!」


 周囲がざわつく。

 氷ゴーレム。氷を原料とした冬に出現する魔物で、寒いほど大きくなる。

 北の山ではよく遭遇するそうだが、この辺りでは小粒なものがたまに見られる程度だ。


 少なくとも、こうして歩く音が地面を揺らすようなサイズは出現した事がない。



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