第341話 居着く猫

 その後裏庭に顔を出すと、ちょうどアズ達は休憩していた。

 エルザが用意したであろう飲み物で喉を潤している。


 とうのエルザは熱心に傍にある畑の世話をしていた。


 こっちの姿を確認したのか座っていたアズが慌てて立ち上がろうとしたが、手で静止する。

 息も上がっているし、アズの体から白い蒸気が上がっているのが見える。

 寒い中で非常に激しい運動をして、体温が上がっているのだろう。


「ご苦労」

「いえ、せっかくの時間を無駄にしないようにしないと」


 いい心がけだが、休む時は休むのも大切だ。


「アレクシアが後から来るそうだ。ちょっとフィンを少し借りていくぞ」

「何か用事? この格好じゃちょっとあれだからシャワー浴びてから行くわ」

「ああ、部屋で待ってるよ」


 フィンを呼びだし、部屋に戻り羊皮紙を取り出して契約書の文面を考える。

 契約書で結ばれた契約は王国の法によってその効果を保証される。

 その為しっかりとした内容を記しておかなければ痛い目にあう。


 中には紛らわしい記載で相手をだますような人間もいるようだが、バレた時のことは考えないのだろうか。

 悪質と認められた場合は国外追放や死刑になったりしている。

 それも年に何人かは出るのだから呆れたものだ。


 まずはカズサとの契約書を作成する。

 内容はそれほど複雑ではないのでシンプルな契約書でいい。

 雇用条件、免責内容、カズサに対する補償。


 それらを書き記す。

 これをカズサと確認し合い、サインをすれば成立だ。

 本人確認のために魔石粉を使う。


 魔石を砕いたものを特殊な植物の汁と混ぜて練ったもので、それを親指に付けて指印をすると本人の魔力が魔石粉へと流れ、証を残す。


 詳しい原理は分からないが、本人の魔力で出来た証は凄腕の魔導士でも偽造できないらしくこういった時に本人確認として重宝されている。


 書き終わった頃にドアがノックされた。

 フィンが来たようだ。


 入るように指示すると、フィンが部屋に入ってきた。

 服装はいつもの黒を基調としたシャツとズボンだ。

 それに寒くないように上着を肩に掛けている。


「髪が濡れてるぞ」


 フィンはどうやらシャワーを浴びた後ざっと拭うだけで来たようだ。

 棚からタオルを取り出して近づく。

 この時期にそんな無精をしていては風邪を引く。


 タオルをもって手を近づけると奪うようにしてフィンがとった。

 乾かそうと思ったのだが、自分でやるようだ。


「気持ちは嬉しいけどさ、気が回りすぎるのも考え物よね」

「何の話だ?」

「べつに」


 ワシワシとフィンは両手でタオルを使って髪の水気を拭き取る。

 ある程度拭き取れたのか、タオルを投げてよこした。


 あとで洗濯物用のかごに突っ込んでおこう。


「で、なによ」


 フィンはささっと椅子に座ると、お茶請けに手を伸ばした。

 事前にフィンがよく食べている豆類を用意しておいたのだが正解だったようだ。


 こういう気遣いのことをさっき言っていたのだろうか?

 商人にとってこういう相手の心証良くする行動は必須に近い。


 商談を最後に決めるのは実は利益ではなく心証であることが非常に多い。

 確実に儲かると分かっている事でも、相手が受け入れられないということで破談するという話は聞く。


 商人とは利益を追求する存在だが同時に人間だ。

 頭を下げてくる相手には良い心証を抱きやすく、尊大な態度には悪い印象を抱く。


 なので出来る限りのことは相手に対して行い、少しでも心証をよくするのだ。

 これも自分の利益のため。

 丁寧な言葉や角を立てない言い回し、相手の好みを知ること。どれもそれほど労力はかからないながらも効果は高い。


 なによりも頭を下げるのはタダだ。


 フィンが固い豆を噛み砕く音が聞こえる。

 喉が乾かないようにコーヒーを用意すると、黒砂糖をスプーンに山盛りにして入れていた。


「私みたいなのにお菓子と飲み物を用意する依頼者はあんたくらいよ」


 はん、と半ば呆れたようなジェスチャーをしてフィンが言う。

 その後ぐいっとコーヒーを飲み干した。


「うわ、あま……」

「砂糖を入れ過ぎだ」

「カロリーが大事なのよ。カロリーが」


 暗殺者の社会的地位は決して高くはない。


 雇う者は地位があったり金持ちが多いだけに、金で動く便利な使い捨ての連中という扱いなのは想像がついた。


 だが、そうは思わない。

 商人が人間であるように彼らも人間だ。

 恨みがあればどこかで牙をむくだろうし、厚遇すればまた依頼を請けてくれる。


 とはいえフィン以外は会ったことすらないので、想像の域を出ないのだが。


「で、なによ」


 フィンが足を組み、両手を椅子に引っ掛ける。


「このまましばらくうちで働かないか? ちょくちょく依頼という形で協力してもらったが、場合によっては前みたいにタイムラグで行き違いが出る」


 公爵家の騒動の時、フィンが居ればもっと楽に事態が片付いただろう。

 きっと死者ももっと少なかったに違いない。


「……ふん、まあね」


 どちらともいえない小さな声だった。

 色々と考えているのだろう。


「俺ならある程度お前をサポートできるのはもう知ってるだろう。どうだ、この際。何なら契約書を交わさなくてもいい」


 口頭のよる契約は個人間の気持ち一つだ。

 契約をリスクなく破ろうと思えば破れる。


「そうねぇ」


 フィンの性格を考えると断るならもう断っている。

 即答で断られないならば、余地があるということだ。


「いいわ。別にしばらくここで過ごしても。本拠地も片してるから、いちいち宿を借りるのも不便だし」

「お、そうか」

「嬉しそうな顔すんな。ちゃんと貰うもんは貰うし、抜ける必要があると思ったら抜けるわ。だから契約書も要らない。報酬は今までと同じならとりあえずいいわ」

「それでいいさ。暇な時は家にいればいい」


 一つの不安がまた無くなり、心の荷が軽くなる。

 フィンは情報面でも実働面でも大きく頼りになるので、これから商会の規模を拡大していくにあたっても頼りになる。



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