第316話 良いことをしに行こう

「お肌がピカピカになりましたねー」

「もう少し丁寧にして欲しかったが」


 そんなエルザの明るい声を聞きながら風呂から上がる。

 タオルで強引に背中や腕をこすられてじんじん痛む。


 確かに綺麗にはなったが、力任せな感じだった。どうせ任せるならもっと心地よくしてほしい。

 用意された新しいタオルで体を拭く。


「じゃあまたさせて下さいね。それに少し急いだので次はもっとゆっくり丁寧にやりますよ」


 そう言ってエルザは髪の水気を乱雑にぬぐい取る。

 ……誰かに髪をこうして貰うのは子供の時以来か。


 不思議と嫌な気分はしなかった。

 相手がエルザだからだろうか。

 ただそれを伝えると調子に乗りそうな気がするので、あえて言わない。


「これでよし。男前になりましたよ」

「それは何よりだ」


 身嗜みは商売の基本だ。

 前回ジェイコブに会った時はあまりに慌てて少し疎かになっていたが、何度もそんな姿を晒す訳にはいかない。


 風呂に入っている間に衣類の洗濯も終わっていた。

 魔道具でも使ったのか乾燥まで終わっている。


 服を着て、鏡を見ながら整える。

 いつものヨハネの姿が映っていた。


 先ほどまではゾンビ一歩手前のような姿をしていたので、これで大丈夫だろう。

 部屋に戻ると、風呂に入ったせいか鼻がリセットされて薬品の甘ったるい匂いがする。


 フィンが床に座って体を伸ばしていた。

 そのまま背中を屈ませると胸までぴったりと床につく。


 素晴らしい柔軟性だ。

 潜入の時などにきっと必要になるのだろう。


「風呂から出たのね」

「ラミザさんはどうした? 説明を求められたら俺じゃちょっとな」


 正直何をどうしたのかさっぱり分からない。

 素人なりに話す程度ならともかく、相手を納得させるだけの専門的な話は出来そうになかった。


 フィンはあごで隅を指す。そこには毛布をかぶった塊があった。

 どうやらあれがラミザさんらしい。


「また寝てるわよ。睡眠は抑えるほど反動が強いから、あれだけ長時間起きてたら無理もないわ」

「そうか。まだ少し時間はあるし、少し待つとしよう」

「それならちょっとお茶を淹れてきますね。キッチンにあるものは好きに使っていいと言われたので」


 エルザはそう言って移動していった。

 それを見送って椅子に座り、両手を組む。


 ……少しだけ手が震えている気がする。


「図太いあんたでも緊張はするんだ?」


 柔軟を終えたフィンが隣に座るやいなや、口を開く。

 フィンの目は誤魔化せないか。

 少しからかうような口ぶりだった。


「これが商談なら平常心で挑めるんだがな。公爵家の時のように」


 公爵家御令嬢のアナティア、そして当主のバロバ公爵と会った時を思い出す。

 別の意味で緊張はしたものの、あの時は商談に関わる話も多かったので口もよく回った。


 せっかく免税特権を貰ったのだし、冬が終わればさっそく挨拶がてら荷を持ち込むとしよう。


「急に顔色がよくなったわね」

「そうか? そうかもな」



 金勘定はもはや人生に根付いている。考えるだけで楽しみを感じるほどだ。

 必要だから目指した生き方ではあるが、今ではこれが自分だと胸を張れる。



 とりとめのない話をフィンとしているうちにエルザが戻ってきた。

 言っていた通り薬草を煮だしたお茶を淹れてきたようだ。



 ガラスのポッドに入れられたそれは見た目は翡翠色で、向こうが見える程度には透明だ。



 それをコップに注ぐと湯気が漂う。

 それと同時に爽やかな香りが広がった。



 甘ったるい匂いで内心辟易していたので助かる。

 そこへ茶色い砂糖を入れる。未精製の砂糖が常備されてるとは錬金術師の家らしい。

 精製されたものは純白で高く売れるのだが、サトウキビから絞って乾燥させただけの未精製のものはあまり人気がなく少し値が落ちる。



 甘味として重宝されているのはもちろんだが、精製された砂糖はどちらかというと薬扱いされている。

 摂取すると大きく体力が回復するからだろう。



 薬茶を口に含むと、熱さの次に苦みと酸味を感じ、最後に甘くなって喉を通る。

 体に良さそうだ。



「苦いわね……」



 フィンはそう言って砂糖を追加していた。

 毒は平気なのに苦いのは苦手なようだ。



 ……歳を考えれば当たり前か。



「なによ」

「なんでもない」

「美味しい~」



 フィンに睨まれたが視線を逸らして誤魔化す。

 エルザは自分が淹れたお茶に舌鼓を打っていた。



 すると、匂いに反応したのか隅っこで寝ていたラミザさんが反応する。

 商売柄か鼻がいいのか。



「私にもちょうだい」

「どうぞ」



 コップに翡翠色の液体がそそがれていく。

 それをラミザさんは一息で飲み干した。



「目が覚めるわねー。上出来よエルザ」

「ふふ、ありがとうございます」



 いつの間にか名前を呼び合う仲になっていたようだ。

 年齢はラミザさんの方が上のはずだが、話が合うのだろうか。



「ラミザさん、それじゃあ領主のところへ行こうと思う。薬の説明が必要なので同行して欲しい」

「あー、うん。そうだよね。そうなるよねぇ。分かった。普段なら絶対断るけど今回は仕方ない。行くよ」



 ラミザさんはそう言うとローブを身に纏う。

 それだけで一気に錬金術師っぽくなった。



「行こうか。悲劇を防ぎにさ」



 フィンは再び変装し、エルザも立ち上がる。

 この四人で領主のジェイコブと対峙し、納得させる。



 向こうも今人手が足りない。きちんと道筋を立てて話せば否とは言わないはず。

 左手でポケットのアクセサリーをいじる。イテュスがくれた形見だ。

 自分で思っているよりも緊張している。



 すると、空いていた右手をエルザが掴む。

 やわらかく温かい手だ。いや、いつの間にか手が冷たくなっていたのだ。

 手が温められるほど、気持ちが落ち着く。



「恐怖は幻想にすぎない。不安は期待を覆い隠す。胸を張ってください。これからいいことをしに行くんですから」

「それは神の教えか?」

「ええ。久しぶりに誰かに言いましたよ」

「司祭だけあって、迷える子羊の相手は得意ということか」



 どうせやるしかないのだから、恐れても仕方ない。

 また牢屋にぶち込まれる訳じゃないんだ。



 大きく一歩を踏み出し、ジェイコブの元へと向かった。

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