第315話 夢の中の幻
量だけはたくさん用意した簡素な食事を四人で勢いよく食べた。
腹が減っていればなんでも美味いとは聞いたことがあるが、まさに今がそれだ。
具材を挟んだパンを山盛りにしたバスケットの中身が瞬く間に減っていく。
喉が詰まりそうになればスープで押し流す。
スープは熱々につくったのだが、気温のせいですぐにぬるくなってしまった。
だが今はそれがありがたい。
ラミザさんがチーズとワインを出してくれたので、それも摘まむ。
濃厚な味が堪らない。
こんな時でなければ味わって食べたいぐらいの高級な代物だが、今はただ腹を膨らませるだけの食材だ。
最後に焼き菓子をつまむ。
砂糖を入れ過ぎた甘すぎるそれは、デザートとしては完璧だった。
普段なら一口で食べるのを止めたかもしれない。ちょうど良かった。
用意した食事を一通り平らげると、全員そのまま椅子の上で横になった。
とてもハードな仕事だった。
まだ終わった訳ではないが、一息つく位の区切りは迎えたと思う。
「あ~お風呂入ってないや……」
「そんな暇なかったじゃないの」
「ですねー」
「一日に二日入らなくても死なないだろ」
「乙女にそんなこと言ったら、ダメですからねー」
ヨハネと同じく机に突っ伏したエルザが顔だけこっちに向けて咎めてくる。
だが、声に力がなかった。
疲れ切っているのだろう。
合間に睡眠がとれたとはいえ、それも良質なものとはいえない。
皆黙ってしまい、机に突っ伏したまま動かない。
すると誰かが寝息を立て始めた。
やがてその寝息の数は増えていく。
……暖炉で温められた空気に、限界まで食べたせいで訪れる眠気。
途切れ途切れの睡眠で頭痛すら感じる状態では抗えるはずもなかった。
外からは吹雪く音がする。
ああ、今はとにかく、寝かせてくれ。
「ヨハネ。起きて、ヨハネ」
誰かが肩を強く揺さぶる。
この遠慮ない起こし方をするのは記憶にある限り一人だけだ。
目を開けると、予想通りの人物がそこにいた。
「おはよう、イテュス」
「うん、おはよう。ヨハネ」
起こしたのは当の昔に死んだ幼馴染のイテュス。
青い髪に活発な笑顔が似合う少女。
どうやら、今夢を見ているらしい。
目の前に居るイテュスはアズよりも幼い姿だ。
「君だって、同じくらいの身長じゃない」
そう言われて視線を下げると、いつもより地面が近い。
どうやらイテュスに合わせて同じ年ごろになってしまっている。
夢なので何でもありのようだ。
「ずいぶんと頑張ってるんだね」
「そうかな」
「そうだよ。昼寝と冒険物の本を読むのがあんなに好きだったのに、今は全然じゃない」
そんな余裕はなかった。
必要な知識を蓄え、金を稼がねばならなかった。
「なんで? どうしてお金を稼ぐの」
「金がなかったから、お前を助けられなかった。だから金が要る」
そう。そうだった。
忙しい日々でイテュスの夢を見る事もなくなったが、それでもあの時の誓いは忘れていない。
イテュスはそれを聞いて腹を抱えて笑った。
「おかしいの。私はもう死んでるのに」
「分かってる。お前の死を受け入れられない訳じゃない」
「本当にそうかな? ならなんでもっと彼女達に触れてあげないの?」
彼女達。アズ達のことだろうか。
……彼女たちがもっと強い触れ合いを望んでいるのは分かっている。
エルザは特に顕著だし、アズもアレクシアも拒まないだろう。
だが、なぜだろう。より深く踏み込めない。
「また人を愛するのが怖いの?」
「分からない」
「また助けられない思いをするのが、怖いんだ」
「……」
否定できなかった。
そもそもこれは夢だ。目の前の少女はイテュスであってイテュスではない。
ヨハネの記憶が生み出した幻だ。
本物のイテュスはそんなことを知り様がないのだから。
アズを最初に送り出す時、過剰な装備を用意した理由は生きて帰って欲しかったから。
いや、そもそも奴隷が欲しかったのはイテュスの代わりが欲しかったからなのか?
「呆れた。こんなに時間が経ってもまだ引き摺ってるんだ」
「……そりゃそうだよ。冷たくなっていくお前の体を最後まで握りしめてたんだ」
あの感触は未だに記憶から薄れてくれない。
麻薬中毒による衰弱だった。
それも杜撰な精製のせいで毒性が強すぎて、症状は一気に進んだ。
子供だったヨハネはおろか、当時存命だった両親にすら打つ手がなかったのだ。
仮に今のヨハネの前にその状態のイテュスが居たとして何が出来るのだろう。
結局、言い訳がしたいだけなのではないだろうか。
これだけ金があれば救えたんだと、自分に言い聞かせるための。
「そろそろ、忘れてよ。私はもう死んだんだから。ほら、呼んでるよ」
「俺は……」
何か言ってやりたかった。
謝るべきか、また会えて嬉しいというべきか。
「ばいばい」
何も言えぬままイテュスの姿が消えていく。
夢はどうやら覚めるようだ。
「起きて。起きろ。起きろってば!」
強い力で揺さぶられ、目を覚ます。懐かしい夢を見ていた気がする。
起こしてきたのはフィンだった。
こっちが目を覚ましたことを確認し、ふんっと何時もの仕草をする。
「うなされてたから起こしたわよ。感謝しなさい……何泣いてんのよ」
「泣いてる? 俺がか」
言われて手の甲で目を拭うと、確かに涙がついた。
どうやら寝ている間に泣いていたようだ。
……泣いたのは何時振りだろうか。思い出せない。
「あら、目が腫れてますよ。動かないで」
エルザがハンカチで涙を拭き取ると、そっと癒しの奇跡を行う。
「悲しい夢を見ていたんですか?」
「どうだろう。思い出せないな。でも忘れてはいけない夢だった気がする」
「忘れるのは大事じゃないことよ。本当に大事なことは忘れないわ」
「そうとも限らん。お前はまだ俺よりずっと若いからな」
「子供扱いする気!?」
フィンが怒鳴る。
どうやら琴線に少し触れてしまう言葉だったようだ。
エルザが宥めながらまだ少し残っていた焼き菓子をフィンの口に突っ込む。
モガモガと焼き菓子を食べると、フィンは落ち着いたようだ。
「まあいいわ。あのごつい領主に薬を見せに行くんでしょ。早い方がいいんじゃないの」
「分かってる」
「その前にまずはお風呂に入って身嗜みを整えてからですよ」
立ち上がろうとすると、タオルと着替えをエルザから渡される。
そういえばフィンもエルザも服装が変わっていて肌もつるつるになっている。
どうやら寝ている間に風呂を済ませたようだ。
「ラミザさんがお風呂を貸してくれました。新しく沸かしなおしてますから奇麗で熱々ですよ」
エルザはそう言うと背中をぐいぐい通してくる。
「お、おい。一人で行ける」
「領主の前に出るなら清潔でないと。背中を流すのを手伝いますよ。これも奴隷のお仕事ですからね。ご主人様」
エルザの力に抗えるはずもなく。
強引に風呂の手伝いをされた。
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