第313話 実験の果てに
実験が始まってからどれだけ時間が流れただろうか。
羊皮紙が山々と積まれている。一枚一枚は大したことがなくても、これだけの枚数となると金貨で……何枚だろう。
全て実験結果を隅々まで記してある。
この分は後で請求されるのだろうかと、疲れ切った頭でヨハネは思った。
まともに頭が回らない。
「代わってあげるから。ほら、あんたは寝てなさいよ……目が血走ってて怖いわよ。まるでゾンビね」
「お、おぅ。すまん任せた」
夜通しラミザさんに付き添って助手まがいのことをしていたが、ついに限界が訪れた。
文字を書こうとすればミミズがのたくったような線になり、判別不明。
次の準備をしようとすれば手が震えてひっくり返りそうになる始末。
フィンが呆れて寝ろというのも無理はない。
十分な睡眠をとったフィンは完全に回復しており、任せるのに不足は無さそうだ。
「エプロンを着けてる。可愛いな」
「チッ、完全に寝ぼけてる……せめて普段言いなさいよ。女の扱いがなってないんだから」
フィンは一瞬驚くようにヨハネを見た後、舌打ちをしてエプロンの紐を背中で結ぶ。
「司祭。そいつ邪魔だから寝かしといてよ」
「はーい、任されました。疲労や寝不足はどうにも出来ないんですけど、リラックスはさせられますからゆっくり寝てくださいねー」
エルザに手を引かれながら、部屋の端に据え付けられた古びたソファーへと誘導される。
子守歌でも歌ってくれるのかと思いながらそのままソファーに横になった。
するとエルザもソファーに座り、膝の上に頭が乗るように移動する。
柔らかく温かい感触が後頭部を包み、眼前にはエルザの顔と胸が見えていた。
「こうするとよく眠れるんですよ。子供達に評判でした」
「俺は子供じゃ……」
そう言い切る前に急激な眠気が襲ってきた。
思った以上に心地よいからか、あるいは体が限界だったか。
目を瞑り、気絶するように眠った。
次にヨハネが目を覚ましたのは日が沈む寸前の夕方だった。
限界まで起きていた所為で爆睡していたようだ。
膝枕をしていたエルザは眠ってしまっている。
エルザを起こさないように、ゆっくりと上半身を起こしソファーから降りる。
そのあとエルザを横に寝かし、毛布をかけてやる。
規則正しい寝息が聞こえる。
普段微笑むことが多いだけに、眠っている姿は少し印象が違っておりその唇に思わず目が吸い寄せられる。
このままキスをしたとしても誰に咎められることもないが、そもそもここはラミザさんの実験室だということを思い出した。
エルザの唇から視線を逸らしながら大きく伸びをする。
するとこっちの様子に気付いたラミザさんが近寄る。
この人はあれから一切寝てないはずだが、意識ははっきりしている。
さすがに目の下にはクマがハッキリ浮き出ており、美貌が台無しだ。
頭が上がらない。
「起きた?」
「今しがた。腹が減りました。よければ食糧を調達してきましょうか」
この時間では店どころか屋台すら閉まっているので一度自宅に戻り、作って持ってくることになる。
だが、その程度の手間はラミザさんに比べれば大したことはない。
「それもいいけど、ちょっと手伝ってくれる? かなり組み合わせが絞れてきたから」
「分かりました」
どうやら人手が要るらしい。
テーブルに近づくと、フィンは羊皮紙を選り分けていた。
「ようやく起きたのね。あほみたいなツラしてよく寝てたわ」
「悪いな。任せっきりで」
「別に。この程度の作業なら一日寝なくても平気だし」
フィンはそう言いながらチラチラとこっちを見る。
何か言いたいのだろうか。
そういえばいつの間にか動物の刺繍が入ったエプロンをつけている。
見た目はアズとそう変わらない年頃だからかそのエプロンはよく似合っていた。
しかしうかつに可愛いと褒めるとへそを曲げないだろうか。難しい年頃だし。
「なによ。何か言いたいわけ?」
「いや……エプロンがよく似合ってると思ってな」
「うっさい」
案の定機嫌を損ねて蹴りを貰ってしまった。
女心は難しい。
「なーにやってんのさ。ほらこれ」
ラミザさんが笑いながらテーブルに皿を並べる。皿は六枚あり、それぞれに細かく砕いたハーブや植物の実が入っていた。
「ここまで絞り込んだよ。全部を混ぜ合わせれば効果があるはず。後は配分でその効果を調整しないといけないんだけど」
「けど?」
そこで言葉が区切られた。何か問題があるのだろうか。
言い辛そうに渋っている。
視線を合わせて続きを促した。
「配分が崩れると薬は毒になりかねない。それにこれを直接服用するんじゃなくて食べ物に混ぜるとなると、熱を加えることにもなる」
「そうなりますね」
「つまり、効果があるかどうか毒見役が必要になるんだよね。ここに限っては」
ラミザさんが言い辛そうにしていた理由が分かった。
ジェイコブに毒見もしていないものを提出する訳にもいかないので、当然のことだった。
何事もリスクなしでは成しえない。か。
「俺がやりますよ」
「やめときなさい」
やるといった瞬間にフィンから止められた。
「こういう時の為に私を連れてきたんだと思ったけど……。変な責任感を持つのはやめなさいよ。ただでさえ今回の件であんたちょっとは変なんだから」
すごい言われようだった。
確かに一連の行動は自分でもらしくないとは思うが。
フィンは横目でラミザさんを見る。
ラミザさんはフィンの正体を知らない。ただの手伝い要員だとしか思ってないはずだ。
「私はね。色々あって毒にはちょっと強いの。常人の倍は摂取しても症状は出ないわ。適材適所でしょ」
「……なにかあったら、必ず治療する」
「そう。じゃあお願いね」
「私が出来ればいいんだけど、もし何かあったら解毒剤を作らなきゃいけないからゴメンね」
「いえ、正しい判断ですよ」
そして、少しの時間でラミザさんは調合を完了させ、それを水に溶かして熱を加える。
「これで完成だよ。摂取しても何の症状も出ず、そしてポピーの実から作った麻薬を取り込むと無害化する。効果は二日間くらいかな」
「こればっかりは仕方ないか」
体内に取り込む以上いつかは排出されてしまう。
何日間か配り続ける必要があるという訳だ。
「素材は銀竜草以外はそれほど大したものじゃないね。素材代と調合代はあとで請求するとして。それじゃあグイっといってみようか」
粗熱を取り、温かい程度になった薬がフィンの前に置かれた。
大事をとるためにエルザを起こし、薬を飲み込むのを見届ける。
「もし症状が出るとすれば銀竜草の毒だから、失敗なら十分以内には反応があるはず」
そう言ってラミザさんは砂時計を置いた。
どうやら十分をこれで測るらしい。
「フィン、どうだ?」
「苦かったわよ。味の調整が必要ね。それ以外は別に――」
そこまで言って顔をしかめる。
まさか毒かと慌てると、フィンが口の中から尖った破片をだす。
「銀竜草の銀が混ざってたみたいだね」
「勘弁してよ……」
心臓がドキドキした。
どうやら関係ないらしい。
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