第267話 ずいぶんと親しくなったものだ

 アレクシアの肌は張りがあり、艶やかだ。

 部屋の明かりに照らされて、それは今まで見たどのような彫刻よりも美しく見えた。


「んっ」


 手が肌に触れた瞬間、アレクシアの声が漏れる。

 ただオイルを塗っているだけなのに変な気分になる。


「おい、変な声を出すな」

「くすぐったいの。それにオイルが少し冷たいから次から手で温めて」

「分かった」

「あと、しっかりオイルを伸ばして。寝るとき気持ち悪いから」

「注文が多いな……」

「肌の手入れは大変なのよ。それに私が綺麗なままの方がいいでしょ?」

「それはそうだが」


 オイルを塗った手をゆっくりと動かす。

 弾力を感じながら肌に沿わせる。

 言われた通り、薄く伸ばしていく。

 オイルが少なくなれば壺から必要な分をくみ取る。


 確かにこれは風呂上りで火照った身体には冷たいかもしれない。

 オイルをこぼさないように少し手の中に貯めておき、それから再開する。


 うなじから肩へ。そして背中へと少しずつ塗る場所が移動していく。

 手を動かす度にくぐもった声が聞こえる。


 風呂上りだからか、アレクシアに塗ったオイルが温められて石鹸の香りと混じって鼻孔に届く。

 それは不思議と落ち着く匂いだった。


 背中を塗り終わり、臀部手前で手を止める。

 もう十分だろう。


「これ位でいいか?」

「ええ、ありがとう。別に他のところも塗ってくれてもいいんだけど」

「後は自分で出来るだろう」

「まぁ、そうね」


 アレクシアは残りのオイルを自分で手に取ってさっと全身に塗ると服を着直して肌を隠した。

 ヨハネは手についたオイルをタオルで拭きとり、手の先をそっと嗅ぐ。


 馬油を使っているといっていたが、他にも保湿の為に何か使っているはずだ。

 さすがにこれだけでは分からない。


「ちょっと……」

「なんだ?」


 いつの間にかアレクシアが背後にいた。

 目が少しつり上がっている。これは不満がある時の顔だ。


「どうせあなたの事だから別の目的なのは分かるけど。乙女の肌を触った手を嗅ぐのはどうかと思いますわ」

「ああ、そりゃあ気にするよな。悪い」

「ま、まぁ分かってくれればいいんですけど」


 そう言ってアレクシアは視線を逸らして右手で髪をいじる。

 まだ何か言いたげだが、先ほどの不満そうな顔とは違って何かを期待しているような。


 そこで気付く。

 乙女心は複雑だなと思いながら。


「いい匂いだったぞ」

「このバカ!」


 アレクシアは大声でそう言うと大股でベッドに戻り、毛布をかぶって横になってしまった。

 どうやら欲しがっていた答えではなかったようだ。


 乙女心はやはり難しい。

 アズくらい分かりやすいならなんとかなるのだが。


「明かりを消すぞ」


 返事はなかった。寝て起きれば機嫌も直るだろう。

 部屋の中の蝋燭の火を消す。


 ただ何かあった時の為に手元の蝋燭だけは火をつけたままにしておいた。


「おやすみ、アレクシア」

「……おやすみなさい」


 眠りに就く。静かな夜だった。


「少しくらいなら、別によかったのに」


 意識が落ちる直前、アレクシアが何か言った気がした。



 次の日。朝日と共に目を覚ました。

 オイルの匂いのおかげか、寝起きはすこぶる調子がいい。


 まず寝ているアレクシアの毛布を引っぺがそうとすると、途中で掴まれた。

 起きているのかと思ったが、目は瞑ったままだ。

 無意識なのかもしれない。


 力比べではアレクシアに勝てないので、毛布から手を放すとそれを被ってまた寝始める。

 手ごわい。

 仕方ないのでベッドの横に移動してシーツを掴み、それを勢いよく持ち上げた。

 アレクシアの身体が毛布ごと転がる。

 アレクシアは良く鍛えてあるが、体重は平均的な同世代の女性と変わらない。


 それ位ならシーツごと持ち上げられる。

 アレクシアの身体はベッドから落ちるが、そのまま落下せずに左手をついて着地した。

 寝ていただろうに、素晴らしい反応速度だ。


「ちょっと、なにごとですの!?」


 いきなりの事で驚いたアレクシアが周囲を見る。

 驚くよな、そりゃあ。

 拍手すると、アレクシアがこっちを見た。

 立ち上がってこっちに歩いてくる。


 格好は着崩れたネグリジェで色っぽい。


 あっという間に壁際まで追い詰められた。

 両手を上げて降参のポーズをとる。


「ナイス着地」

「ちょっと、ご主人様。あなたね、私をベッドから落としたの!?」

「最初は普通に起こそうとしたんだぞ。だがお前が毛布を放さないから仕方なく、な」

「うっ、それは……」


 嘘ではない。時間が掛かりそうだから普通に起こすのはすぐに諦めただけだ。

 アレクシアは寝起きが悪い事に自覚があるのか、少しだけ勢いが緩む。


「今日も仕事だ。さっさと着替えて準備するぞ」


 そう言ってアレクシアの肩を掴み、壁際から押し戻した。

 抵抗がなかったので、もう怒ってはいないようだ。


「次からはもうちょっと丁寧に起こしてちょうだい。何事かと思ったわよ」

「ちょっと強引過ぎたな。悪い」


 自分の着替えをしつつ、アレクシアの方を見る。

 最初に躾の名目で命令されて目の前で着替えさせられた時は、真っ赤になってこっちを睨みながら着替えていたものだが、今はもうあまり気にせず目の前で着替えている。


 人間は慣れるもんだなとその着替えを眺めながら思った。

 ドレスを着終わり、装備をつけるのを手伝う。

 最後にアレクシアは赤い髪を後ろでくくる。


 そのままにしている事もあるが、邪魔になるからかポニーテールのようにしていた。

 活発な印象もあり、良く似合う。


「どう? 変になってないかしら?」

「ああ、今日も奇麗に決まってる」

「もう、口が軽いんだから」


 そう言いながらも、アレクシアの顔は笑っている。

 軽口を叩き合えるくらいにはずいぶんと信頼関係も築けてきたかもしれない。

 なんだかんだと、それなりに一緒に過ごしているからか。

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