第266話 道具の手入れは持ち主の役目

 泊まりの準備と着替えくらいは都市間を移動する時必ず準備している。

 アズ達を冒険に送る際も、日帰りの依頼であっても持たせていた。

 世の中は何が起きるか分からない。日用品と下着も含めて着替えくらいはあると役に立つ。

 さすがに連泊するつもりはなかったので、明日は洗濯と買い出しが必要だ。

 という訳で今日は気兼ねなく風呂を楽しむことができた。


 風呂はしっかり熱く、柑橘類の果実をネットに入れて浮かべてあり、ただの湯より香りも含めて楽しめた。


 メインで頑張ったアレクシアに比べるべくもないが、アズ達と一緒に力仕事をしたので非常に心地よい入浴時間だった。

 アメニティもさすがというか充実している。

 行きはポータルでアーサルムへ来た上に、宿泊の準備はしていなかったのでこれは助かった。

 四人だと荷物に入れて持ってきた分だけではすぐに使い切ってしまう。

 連泊するつもりなら、どうにか都合したのだが。


 自前で用意できるからか、旅先で消耗品を買うのは少しもったいなく感じてしまう。

 現地限定の商品などは買っても自分で使うより店に並べたいと思うし、ままならないものだ。


 部屋に戻り、まだ濡れている髪をタオルで拭く。

 アレクシアはまだ戻って来ていないが、女の風呂は長い。

 髪も長くて手入れも大変だろうし予想通りだ。

 片眼鏡もレンズを綺麗に磨いてベッド横の棚に置いておく。

 店を引き継ぐ時に父の形見として受け取ってから長く使っているが、品がいいので長持ちしている。

 大事にしているのもあるかもしれないが。


 父の思い出はもうおぼろげだが、この片眼鏡をかけて商品を優しく眺める顔だけははっきり覚えてる。


 持ち物は大事にしろと、常々言われていた。


 商人としてはもう追い抜いたと思う。

 だが、人間としてはまだずっと遠くにいる気がする。


 ペンと便箋を荷物入れの袋から取り出す。

 手紙は紙が良くないと読めなくなってしまうので少し高いのだが、こういう時の為に用意しているので使わねば。

 今のうちに店に送るために事情を書いた手紙をしたためておく。

 すぐ帰ると伝えて出てきたので、念の為。


 もっとも今の店にいる面子なら特に心配もしていないのだが、頼りにする事と放任は違うとちゃんと認識しておかねば。


 要点を纏めて書き終わり、片眼鏡の下に置く。


 アレクシアが戻るまでは灯りを消す訳にもいかないので、よく眠れるように体をほぐす。


 するとアレクシアが部屋に戻ってきた。

 柑橘系の匂いがする。

 服装は一目があることもあり、ネグリジェの上にバスローブを羽織っていた。

 部屋に入るなり邪魔なのか、スタンドに引っ掛ける。


 ネグリジェは透けているので少し目の毒だ。


「お風呂はやっぱりいいわね。たっぷりとお湯にはいれる事だけは本当に感謝してるわ」

「貴族時代は……いや、よかったな」


 貴族とはいえ貧乏だと生活環境に使う金も厳しいときく。

 そしてアレクシアの家は色々と厳しい情勢だった。


「気にしなくていいですわ。私に恥じることは何もないから。父を止められなかったことは今でも後悔しているけど。もし機会があれば父を陥れた奴の顔を殴ってやるわ」


 そう言ってアレクシアはベッドに座る。

 その後に手招きした。


 何事かと思って近づくと、櫛とタオルを手渡される。

 この櫛は買ってやった覚えがある。


「いつもはアズかエルザにやってもらうのだけど、今日はご主人様と同室だからお願いするわね」

「俺がか?」


 正直少し面倒な気もする。

 だが、アレクシアの髪は好きだ。手入れするのはやぶさかではない。

 アレクシアの身柄を買った理由の一つでもある。


「あら、私は貴方のモノなのでしょう? 商人なのに自分の道具の手入れもしないのかしら」

「ふん、言うじゃないか」


 そんな挑発的な目で言われては黙ってはいられない。

 アレクシアの後ろに回り、まずタオルで髪の水気を拭き取る。


 拭き取るというよりもタオルを当てる感じだ。

 力を抜いて優しく、そっと。芸術品に触るように。

 冒険者業をさせていることもあって痛んでいるのかと思ったが、そんなこともなく灯りに照らされてただただ綺麗だった。


 アレクシアは静かに佇んでされるがままになっている。

 水気を拭き取った後はアレクシアが魔法で暖かい風を生み出して乾かす。


「それで最初から乾かせばいいんじゃないか?」

「髪が痛みますわ」


 そう言ってアレクシアはうなじに両手を入れて髪を一度持ち上げて放す。

 きめ細やかな髪がゆっくりと元に戻る。

 完全に乾いたようだ。


 そこから櫛を入れていく。

 女性の髪に櫛を入れるのは二度目だ。

 最初の時は子供だったから力を入れて引っ掛けてしまい、怒られたものだ。


 すっと櫛が髪を通る。


「結構上手いのね」

「そうか?」

「ええ」


 感心したようにアレクシアが言う。

 櫛を入れ終わると、櫛を没収されて次に小さな壺を渡される。


 中身は半透明なオイルで、そっと嗅ぐと甘い匂いがする。

 アズ達の近くにいるとたまにする匂いだ。


「これは?」

「馬油を使ったオイルですわ。手入れはこれを使ってるの。エルザが見つけてきたんだけど、中々いいのよ」

「ああ、だから覚えがあったのか。うちの店にはないよな」

「ええ。詳しい事はエルザに聞いて頂戴。今はそれより、そのオイルで保湿して欲しいの」


 そう言ってアレクシアはネグリジェを脱いで素肌を晒す。

 確かに、一人では無理だ。


「後ろだけだぞ」

「ええ。それでいいわ」


 オイルを手に馴染ませてアレクシアの柔肌にそっと触れる。

 いつも白い肌は風呂で温められて少し赤みがあった。


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